第1話 兄と妹 (その30)
その全身黒ずくめのライダーは、2人を待つように、ゆっくりとオートバイから降りる。
暗くて、よく見えないのだが、どうも250CCはありそうなバイクである。
そのバイクに追い抜かれてから、向井が話さなくなっている。
知り合いなのかな?と源次郎は思う。それでも、それを訊く雰囲気でもなさそうなのだ。
向井が、黙ったまま、そのバイクに向かって歩いている。
30メートルぐらいまで近づいたとき、そのライダーがフルフェイスのヘルメットを脱いで、脇に抱える。
「あっ!女性なんだ」と源次郎は思った。
顔かたちまでは分からないが、肩口までの髪を振りほどくのが見える。
そう思って見るせいか、ピッタリとしたライダースーツには、女性独特の柔らかなラインが浮き出ているような気もしてくる。
源次郎は足を止める。そうするべきなのかな、という直感があった。
明らかに向井とその女性ライダーは互いを認識しあっている。互いに声も掛けていないが、その分、言葉ではない何かで会話しているような気がするのだ。
ふたりの距離がなくなった。二言三言、言葉を交わしたようである。
源次郎は、後片付けがされようとしているであろう「夏祭り」会場の公園の方向を向いている。
このまま、「じゃあ、私は祭りの後片付けを手伝いますから・・」と声を掛けて離れるべきかな、とも考えている。
「管理人さん!ちょっといいですか?」と向井が声を掛けてくる。そして、手招きをしている。
源次郎は、慌てて身だしを整える。と言っても、何しろ浴衣姿である。胸元をちょっとだけ掻きあわせて、裾の状態を確認するように手で押さえるだけである。
それでも、そのライダーが女性であるという意識が、こんなおっさんにもそのような行動を取らせていた。
ふたりに近づいていくと、
「こちら、病院で看護師をされている小暮さん。そして、こちらが私の部屋の大家さん、吉岡さんです。」と向井が両方をそれぞれに紹介してくれる。
互いに、顔を見合わせて、「よろしく」とだけ挨拶する。
わぁ!美人だ、と源次郎は思った。
さきほど行った「ブルータス」で会ったあの女性も美人だったが、目の前の女性も、また別の意味で美しい。どうして、この向井の周りにはこのような美人が集まるのだ、と変なやっかみすら出てくる。
「それでは、これで失礼します。」と美人ライダーがぺこりと一礼する。
そして、またフルフェイスのヘルメットを頭からすっぽりと被って、乗ってきたバイクにヒラリと跨る。
そうしてみると、やはり男か女かは区別が付かない。
向井が軽く手を上げると、それに答えるように、エンジン音を響かせて、バイクが走り出す。
あっという間に、見えなくなった。
ふと気付くと、向井の手には、小さな紙袋が握られている。
源次郎がそれに気付いたことを察してか、向井が、
「これね、持病の薬なんです。連絡したら、彼女が届けてくれたんですよ。月曜日でも間に合ったんですが。」と説明をする。
「親切な病院ですね。」と源次郎が応じる。
(つづく)