第1話 兄と妹 (その3)
「脳溢血だと思います。救急にはそう伝えてください!」女が大きな声で言う。
「おじさん、私が電話する。」と隣の女の子、及川可奈が言ってくれる。
「そうか、じゃあ頼む。」と答えたものの、これからどうすりゃいいのかが分からない。気が動転してる。
「源さん、あんたは下へ行って、入り口のところで救急車を待つんだよ。それから、玄関先に何台も停まっている自転車をどかせておくんだよ。あれじゃ、救急車が横付けできないからね。・・・分かった?」
お竹さんにそう言われて、源次郎は「なるほど!」と思った。
「それからね、下へ降りたら、美佐ちゃんにここへ来るように言ってよ。忘れちゃ駄目だよ。」とお竹さんが続ける。
「よっしゃ!」と言って、源次郎は廊下を走った。
慌てて、エレベーターで階下に向かう。毎日乗っているのに、これほど、エレベーターの動くのが遅いと感じたことはなかった。
「おっ!そうだ。美佐子にも言っとかなきゃ。」
ようやく妻の顔を思い浮かべる。
「119」へ通報していた可奈が携帯電話を切った。
「救急車、7〜8分で来れると言ってました。動かさないようにとも言ってましたよ。」と奥の和室に向かって言う。
「ありがとう。ついでで悪いんだけど、そこのドア、開けたままで固定しておいてくれない?ストレッチャーが来ると思うから。」と女が言う。
このマンションのドアは、開けてそのままにすると自動的に閉まるようになっている。便利なようだが、引越しをするときなどは、不便に思うことがある。
「分かりました。直ぐにやっときます。」と言って、可奈は一旦自分の部屋へ戻る。
「妹さん、保険証のあるところを知らない?下着なんかは適当にその辺にあるものを纏めておいたんだけど、肝心の保険証の場所が分からないもんで。」
お竹さんはいつの間にか大き目の紙袋を準備していた。
「有難うございます。保険証の場所は知っていますので、後で入れます。」
女は振り返るようにしてそう言いながらも、片時もその布団から離れようとはしない。
枕を外して頭を水平にし、男の顔を横に向かせるようにして、軽く押さえている。
「あんた、心得があるんだね。よかったよ。」
遠く目に見ていたお竹さんが、女の行動を見ていて、そうつぶやいた。
遠くから、救急車の音が聞こえてくる。
(つづく)