第1話 兄と妹 (その25)
リーダーの男が、何やらメンバーに指で合図を送っている。
どうも、最後の曲を決めたようである。
メンバー全員が、各々頷いて、それぞれの楽器の音をその曲に合わせている。
ちょっとした静寂の間があってから、いきなりサックスの音から入ってくる。
その第一音が響いただけで、客達はまた、立ち上がって拍手する。曲が分かったらしい。
その曲に呼応する。
もちろん、源次郎には「曲名」などは分からない。しかも、今度の曲は、聴いた記憶がないのだ。
でも、周りに合わせるように、これまた立ち上がって拍手を送る。
サックスだけの音から始まって、次第に楽器の数が増えていく。それとともに、テンポも加速していくようだ。
客の反応も、それに添うように、そのボルテージが高まっていく。
そのうちに、客の誰からともなく、足踏みをし始める。
源次郎も同じようにしようと、一旦は足を軽く揚げて下ろしたが、違和感があってそれだけは自粛する。
何しろ、下駄履きである。
源次郎は、自然と笑がこみ上げてくる。
それは、自分のカッコウにではない。
ついぞ、1〜2時間前までは、大企業の部長さんだと思っていた向井という入居者。その男が見せた全く別な顔。それに付き合っている自分。そのすべてに、なぜかしら、笑がこみ上げてくるのだ。
曲のクライマックスが来たようである。
店中で共鳴する雰囲気から、源次郎でさえも、それを感じられる。
階段を1段1段昇るように、客の興奮度も上昇している。
そして、曲が終わった。
嵐のような拍手である。
当然、源次郎も最大の賛辞を込めて、拍手を送った。
どよめきが漂うように、それでも、潮が次第に引いていくように、静けさがやがて戻ってくる。
源次郎も、他の客に合わせるようにして、ボックス席に身を沈める。
「いゃあ、興奮するもんだなぁ〜」と声が出る。
喉の渇きを覚えて、手元にあった水割りを一気に飲み干す。
改めて、あの「旨さ」が喉に沁み込んでくる。
「同じものでよろしければ、おつくりしましょうか?」と声がかかる。
見ると、同じボックス席に座っている女性が源次郎のグラスを指差している。
30歳ぐらいの綺麗な女性である。美人なのだ。
慌てて、お願いします、と答える。
そう言えば、演奏中に源次郎に「あなたも立って・・・」と催促の仕草を送ってくれたのも、どうやらこの女性だったような気がしてくる。
この店の女の子なのだろうか?それとも、お客の一人なのだろうか?
源次郎には、想像も付かない。
「お見かけしないお顔のようですけれど、今夜はおひとりで?」と言いながら、作った水割りのグラスを源次郎の前においてくれる。
「いや、・・・・あの・・・・、ジョージさんって言う方に誘われまして・・・」と吃るように答える。
「えっ!・・・あの、その、ジョージさんのお知り合いですか?お友達なんですか?」とびっくりしたような声で詰め寄られる。
源次郎は、まるで豆鉄砲を食らった鳩の心境である。
(つづく)