第1話 兄と妹 (その23)
「ジョージさんと、さっきの若い子が言ってましたが・・・・。」と源次郎が確認する。
「ああ、ジョージというのは私の名前。シルバー・フォックスではそう呼ばれています。」
「そのシルバー・・何とかというのは?」
「バンドの名前です。私が参加しているジャズバンドの。シルバー・フォックスと言います。少しだけカッコいいでしょう?」
源次郎は、頭がくらくらしてくる。
「と、言うことは、向井さん、ジャズをおやりになってるってこと?」
「はい。でも、あくまでも遊びですよ。仕事ばかりじゃ、人間、息詰まりますからね。」
「いつから?」
「それは、ジャズドラムを始めたことですか、それとも、この店でのこと?」
「いゃあ、両方とも。・・・・・想像もしてなかったものなぁ。」
向井は、笑顔で話している。マンションで顔を合わせることも幾度となくあったが、今のような、少しやんちゃ坊主のような、心底から楽しんでいる風な笑顔は初めて見る。
源次郎は、改めて「人は見かけによらない」ことを実感する。
「じゃあ、その話は後ほど詳しく。管理人さん、まぁ、ゆっくり飲んでてください。どうやらメンバーが揃ったようなので、ちょっとばかり、遊んできますから。」と向井が立ち上がる。
「その、管理人さん、というのはやめて貰えません?どうも、このようなお店では格好が付きにくいですよ。」
「あっ!そうですね。これは失礼をいたしました。では、吉岡さん、でよろしいでしょうか?」
あくまでも、向井は楽しそうである。
向井が黒いカーテンの向こうに姿を消してまもなく、店全体の照明が落とされたような気がした。
と、いきなりスポットライトが灯されて、その眩さの中に、ジャズバンドが出現する。
後ろのボックス席から大きな拍手が起きる。
源次郎も慌てて、拍手を送る。
中央に立った男が、マイクを握る。
「ナニワのジャズスポット『ブルータス』へようこそ。今宵は、我がシルバー・フォックスがお相手いたしますので、最後まで存分に酔いしれていただきたいと思います。」
ひとり、ふたり・・・・・全部で5人のバンドらしい。中央の奥に、向井さん、いやジョージさんのドラムがでんと座っている。
そのジョージさんが、ドラムスティックを合わせて、「カン・カン・カン」とリズムをとる。
そして、演奏が始まりだす。
申し訳ないが、源次郎はジャズは全くの門外漢である。
今、演奏されている曲も、どこかで聴いたことがあるような気はするのだが、曲名などは一切分からない。
ただ、リズムだけは何となく身体に心地よく響いてくる。
とりわけ、向井さん、いやジョージさんが叩いているドラムの音は、床を這うように伝わってくる。
旨い水割りをちびりちびりやりながら、そのジャズの世界なるものに浸り始めている。
目は、ドラマーだけを見つめている。何とも心地よいものだ。今まで、ジャズを改めて聞くようなことはなかったが、これはこれで、素敵な世界なのだ、と思えるようになっている。
1曲目が終わったようである。後ろのボックス席やカウンター席からも拍手が起こった。
源次郎も、慌てて拍手を送る。
気がついたら、すぐ後ろのボックス席にも4人の客が座っているし、カウンター席もほぼ満席の状況である。そうした中で、たった一人で、ボックス席を占領しているのが何となく心苦しくなってきた。
そして、次の曲がはじまったようである。 また、大きな拍手が巻き起こる。
(つづく)