第1話 兄と妹 (その20)
源次郎は、昨年の夏に町内会が主催した「夏祭り」のことを思い出している。
その夜、近くの公園で行われた「盆踊り」を美佐子と見に行ったのだった。
いや、美佐子は踊りに行ったと言う方が正しいのかも知れなかった。
公園に着くなり、直ぐに町内のおばさん連中からお声がかかって、最初は尻込みを見せるものの、結果としてはその中心になって踊りだす。
そして、それが毎年の形だった。
ひとり放り出されたようになった源次郎は、仕方なく、いや、これもそれを十分計算していて、と言うのが正しいが、男連中が屯している屋台をやっているテントの中へ収まる。
暑い日だったから、何よりも「冷えた生ビール」が美味いのだ。
「やぁ、やってるね。」と知り合いの顔に挨拶をする。
既に出来上がっている連中も居る。折角の浴衣が台無しとなるような奴も居る。
用意されていた床机に、上半身裸で、ビールを浴びるように飲んでいる奴も居た。
一番奥の床机が空いているのを見つけて、そこへ座る。
薬局の女将さんが、屋台を切り盛りしていた。
「お嬢、こっちにも生ひとつ!」と大声をかける。お嬢とは、小泉薬局の女将さんのあだ名である。
「はいよ!源さん。相変わらず美佐ちゃんは、これ一本かい?」と踊る仕草を真似る。
太っているから、まるで重戦車がでこぼこ道を走っているような格好に見える。
「あはは・・・。そのお陰で、こうして美味しさにもありつけるんだから、こっちは嬉しいけれど。」
と源次郎は茶化すように言いながら、差し出されたジョッキを受け取る。
重戦車がでこぼこ道を運んできたから、1/3ぐらいは零れて減っている。
それでも、こうした雰囲気が好きだ。大阪らしいと思う。
枝豆を片手に、三口ぐらいを一気に飲む。美味い!・・・この喉を通るときの感触は、ホントたまらない。
ふ〜っと息をつくと、そこへ後ろから肩を叩く奴がいる。
誰かな?と振り向くと、そこには意外な男が座っていた。
それが、向井忠明であった。
「いつも管理人さんにはお世話になっています。とりわけ、奥さんには、いろいろとご厄介をかけまして。」と丁寧な挨拶をする。
「まあまあ、こんなところで固苦しい挨拶なんて、なしにしまへんか。」と源次郎はわざと砕けて返す。
それから、一時間以上、一緒に飲むことになった。床机に跨るようにして、男2人が向かい合う。
いろいろと話したように思う。互いに年齢が近いこともあったし、互いに中間管理職という共通点もあった。
周囲はドンちゃん騒ぎのようであったから、幸いにも向井と話しているだけで、他の連中が割り込んでこなかった。あまり酒量には自信のなかった源次郎にとっては、ある意味救いの神だったかもしれない。
「管理人さん。良かったら、ちょっと、駅前までぶらぶら行きませんか?」と向井が言う。
「?」とは思ったが、折角ここまで話せたのだから・・・と同道することにする。
「ええですよ。ここは落ち着かへんしね。」と言うと、向井は少し笑ったように見えた。
それから、2人は並んでバス通りを駅に向かって歩き出す。
公園の喧騒が少し遠ざかったところまで来たとき、ふと向井が口にする。
「いいご夫婦ですよね。管理人さんのところは・・・・・。」
何と答えようかと向井を見ると、彼の目が、どこか遠くを見ているような気がした源次郎であった。
(つづく)