第1話 兄と妹 (その18)
それは「向井忠明」からだった。いや、「向井忠明の携帯電話」からということになる。
「もしもし・・・・・。」と妹の声。
「お待ちしていましたよ。仙台の奥様には連絡しました。娘さんが来られるようですが。それと、病院の連絡番号は聞いて頂けましたか?」と源次郎は出来るだけ事務的に話す。
その方が、相手が楽だろうと思っている。
今後の連絡窓口となる担当部署の電話番号を聞いて、先ほど引っ張り出しておいた名刺のそれ照らし合わせてみる。変わっていないようだ。
「では、一度こちらへ来ていただけますか?」
源次郎は、仙台から来るであろう娘さんと、この妹を会わせるべきではないと思っている。自分の想定が仮に違ったとしても、向井に妹が居ないことを知っているだけに、無用な争いごとだけは避けるべきだと思う。
少なくとも市内にいるのだから、彼女への対応を先に済ませるのが当然だとも思っている。
「はい。これから直ぐに伺います。よろしくお願いします。」と言って電話が切れる。
「来るって?」と美佐子が確認する。
「ああ、これから来るそうだ。」源次郎が答える。
「じゃあ、準備だけはしておいてあげないとね。」と言って、美佐子は奥へ入る。
源次郎は名刺を見ながら、山王大学付属病院の医事課長、佐山泰助に電話を掛ける。
彼が今も在職しているのかどうかは分からないが、兎も角も電話をしてみる。彼が今もいるようだったら、話がしやすいと思っている。
電話をすると、佐山は昨年の人事異動で代わったという。残念だが仕方がない。
簡単に要件を伝えると、後任の田畑というものにつないでくれると言う。
「医事課長の田畑でございます。佐山部長のお知り合いでしょうか?」といきなり訊いてくる。
取り次いでくれた女性が、その辺りまで細かく伝えたのであろう。
「えっ!佐山さんは部長さんになられたのですか?」と思わず聞き返す。
「ええ、昨年の1月に、事務管理部長に着かれました。私の直属上長となります。」と田畑という男が説明する。結構図太い声である。
「そうなんですか?知りませんでした。申し訳ありません。」と源次郎が謝る。別にそうする必要はないのだが、相手が勝手に「上司の知り合い」だと勘違いしてくれたことに、一抹の罪悪感がある。
「いえ、知り合いって言うほどものではないのですが、以前に佐山さんにいろいろとお世話になったことがありまして・・・・。ところで、・・・。」と今朝方搬送された向井氏のこと、大阪には仕事で単身で来ているが、家族が仙台から駆けつける予定だ、などの要点を伝えて、それまでは経費の精算などは待ってくれる様に頼む。
相手は、そのひとつひとつに「はい、はい」と返事をくれて、最後には「お任せください。きちんとさせて頂きますから。」と明言してくれる。
「では、ご家族が来られましたら、田畑さんのところへ行くように伝えますので。」と源次郎は礼を言って電話を切ろうとする。
「あっ!ちょっと待ってください。佐山部長にはご連絡があったことをお伝えしたほうがよろしいのでしょうか?」と田畑が確認してくる。
「いいえ、それは結構です。今回のバタバタが終わりましたら、改めて佐山さんにはご挨拶させていただきますので・・・。」と念押しする。
「分かりました。それでは、これで。」と田畑の方から電話を切る。
病院と言えども、やはりサラリーマンと同じだなぁ、と源次郎はしみじみ思う。
(つづく)