第1話 兄と妹 (その10)
「そうね、良い人よね。」と美佐子が応じると、
「その、いい人ではなくて、あの妹さんだと名乗る彼女にとってだよ。好きな男ってこと。」とお竹さんが親指を立ててにこりと笑う。
「おっと、買い物に行かなくちぁ。今日は午後から仕事やさかい。後は頼んだで。よろしゅうに。」
お竹さんは、そう言って、507号室の中を再度見渡すようにしてから、足早にそこを去っていく。
その小さな後姿を目で追いながら、「お竹さんって、相変わらず元気やなぁ」と美佐子は感心する。
身長も150センチぐらいで、華奢な体つきである。あれで、付添婦をしているのだ。時間も不規則だし、当然のように徹夜での仕事もある。なのに、疲れたような顔を見せたことがない。
あの元気はどこから来るのだろう?
すぐ後ろでドアの開く音がして、可奈が出てくる。
「あっ、管理人さん。向井のおじさん大丈夫なんでしょうか?」と訊く。
「心配してるんだけれど、まだ様子が分からないから。連絡もないし。でも、脳溢血って、頭の病気だから、ひょっとすると暫くは入院ってことになるんじゃないのかなぁ。」と美佐子が答える。
医学的な知識は殆どないのだから、それぐらいしか言いようがない。
可奈は「早く退院できるといいのにね。」と言いながら、ドアの下に挟みこんであった雑誌を取り去る。
「この本、もう取ってもいいですよね。」と確認してくる。
「あっ、それは可奈ちゃんが差し込んでくれてたの?・・・・もう、いいよ。後は、私が施錠しとくから。」と言うと、
「この本、向井のおじさんから貰ったんだけど、まだ読み終わってないから、貰って帰りますね。」と取り上げた雑誌から丁寧に埃を払っている。
へぇ〜、向井さんとこの子、そんな間柄なんだ!と美佐子は不思議な思いがする。
一瞬、お竹さんが言った「夫婦茶碗の女」がこの子だったら・・・と考えて、まさかそんな訳はないか、と自分で否定する。60歳手前のおっさんと、20歳過ぎの女子大生。まさか、である。
パタパタと払われているその雑誌を意識して見ると、「広告業報」という業界雑誌のようである。
やはり、考えすぎだと美佐子は自嘲する。自然と笑えて来る。
「向井のおじさん、昨夜、妹さんが帰られてからなんでしょうね。倒れられたのは。」と可奈がポツリと言う。
「えっ!あの妹さん、昨夜も来てたの?・・・・」と美佐子が素っ頓狂な声を上げる。
(つづく)