第1話 兄と妹 (その1)
この連載小説は某ブログに掲載しているものを転載したものです。
その女は、朝早く、突然にやってきた。
「507号室にいる向井忠明の妹なんですが・・・。」と小さな管理人室の窓口を覗いてくる。
そう言えば、何度か見たような顔である。何となく陰のある、それでいて品のある顔立ちである。
「実は、昨夜から兄に電話をしているんですが、出ないんですよ。」と心配そうに言う。
「それでしたら、部屋のほうへ行かれても構いませんよ。」
「今、部屋に行ってノックしたんですけれど、出てこないんです。」
「だったら、旅行にでもお出かけされてるんじゃないですか?週末ですしね。」
「いえ、そんな筈はないんです。」
女はそう断言する。柔らかな言い方だが、凛とした強さがある。
「そう、おっしゃってもねぇ。私も、監視しているわけではないんですし。」と源次郎はぼやく。
女は、困ったように考え込んでいる。
「すみませんが、部屋の合鍵、お借りできませんか?」と女が言う。
「それは、出来ませんよ。規則ですからね。たとえ妹さんでもそれは駄目です。」
ここは、管理人としての立場を強調する。これは譲れない。
「だったら、管理人さんが立ち会って貰って結構ですから、合鍵で部屋へ入らせてください。お願いします。」
女が切羽詰ったような顔をする。これには弱い。
だが、奥には妻の美佐子がいる。そう、甘い顔もしてられない。
「そうおっしゃってもねぇ。ご本人の許可がないのに、部屋を開けるだなんて、できるものじゃあないですよ。管理人としての立場もありますしね。」
「兄には持病があるんです。万一のことがあったら、管理人さんの責任ですよ。」
女が気色ばむ。
奥から、美佐子が出てくる。頭にナイトキャップをつけたままである。
「あんた、一緒に行ってあげたら?お困りのようだし。それに、何かあったらうちも困るしね。」と言う。
美佐子がそういうのだったら、こりゃ行くしかない。
源次郎は、金庫から合鍵の束を取り出して、先を急ぐ女の後ろを付いていく。
(つづく)