07 ねえさま
タイル張りの台座の上に横たわる女性を初めて見たのは、僕が「今のバージョンの僕」になった次の日のことだった。
初雪よりも昼の新月よりも純白の肌は、血の気がまったくなく、まるで実体がないかのようだ。
透き通るような空よりも、終わりの見えない海よりも、深い深い青に染められた長い髪。
細やかなタイル地の上にゆるい流れを作り、裾野まで広がっている。
そして、閉じられたまぶたの向こう側にある瞳は、髪色を濃縮したような紺碧の色をしているのだろう。
妹のルイの瞳が、髪色と呼応した真紅であるのと同じように。
〈まおうのしろ〉の一室。
元々は両親の寝室だった場所に、その空間はある。
「姉様が生きるためには、ひだまりの力が必要なのです」
部屋に一歩踏み入った瞬間、僕の全身は心地よいぬくもりでいっぱいになる。
よく晴れた春の昼下がりを思い起こさせる、そんな優しいあたたかさ。
天井いっぱいから降り注ぐ光は、部屋全体を明るく照らし出す。一見真っ白なタイルは、光の角度によって、ピンク、紫、エメラルド、と、とりどりに色を変える。
部屋を包むあたたかさ、明るさの正体は、世界から集められたひだまりだった。
「亮さまがこちらの世界にくる前のお話です。
姉様は、〈まおうのしろ〉に乗り込んで来た光の勇者の封印魔法を受けました」
ルイは驚くくらいに淡々と、説明を続ける。
「世界のひだまりを全てここに集めなければ、姉様の封印は解けません。
封印が解けるその日までーー姉様は眠り続けたままです、目を覚ますことはありません」
こんなにもポカポカしたひだまりの中にいるのに、姫様の頬は不思議なくらい真っ白で。
本物の作り物よりも、作り物のようですらあった。
「ということは……ひだまりを集める本当の理由は……世界を闇で埋め尽くすことではなく……」
「はい」
ルイは僕を見据えて、言った。
「姉様の封印を解くためです」
ルイは続けた。
「この魔王制度は近年確立されたもの。
それまで、先代の魔王さまたちは民に害をなすことは殆どありませんでした」
「え、魔王なのにか?」
「はい。力を使うのは、時々、自分は選ばれし者だと勘違いした、正義感溢れる勇者を、圧倒的な力でもって捻り潰すときくらいです」
すごい言いようだな。
「つまり、〈まおうのしろ〉は、モンスターの本拠地、ラスボスの根城……という"権威の象徴"としての意味合いが強かったのです」
「頑張ってダンジョンを攻略して、魔王を倒す……っていうほどの理由がなかったわけか」
「そういうことになります。
なにもせずとも、魔王さまはそこに存在するだけで、人々に権威を示すことができていたのです。
これは、魔王にとっても、人々にとっても、友好な関係であったとわたくしは思います。
魔王が存在していながら、争いがなかったのですから」
「……そんな最中、先代の魔王が死んでしまったんだな」
ルイはゆっくりと頷く。
「詳しいことは表に出ていませんが、不慮の事故だったといいます」
「魔王が死んだっていうのに、詳細はニュースにならないのか?」
「いえ、本来ならばすぐに知らされるべきです。たとえそれが事故であっても。
しかし魔族は、〈まおうのしろ〉の権威を守り、争いのない現状を維持したいと考えたのです」
圧倒的な強さをもち、象徴としてだけで民を統べてきた〈まおうのしろ〉の主が、不慮の事故で死んだ……なんて、権威の失墜に繋がりかねない事態だ。
いつかは公表するにせよ、死亡時期や死因に情報操作が入ってもおかしくないだろう。
「城に近づく者は殆どいませんが、だからといって、城を空にしておくわけにもいきません。
そこで魔族は、次の魔王が決まるまでのあいだ、〈まおうのしろ〉にお目付役を送り込みました」
「そのお目付役が……ルイと、この、姫様なんだな」
姫様の眠る台座に傅き、真っ青な髪を撫でるルイ。
「親も早くに亡くし、二人きりの家族でしたので……都合がよかったのでしょう。
わたくしたちは、次の魔王が城へ来るまで、城から出ることができなくなりました」
そして、「魔王代理」であることを知らない〈光の勇者〉の手で。
ルイの姉である、たった一人の家族である、姫様は封印されてしまったーー。
ルイは僕が来てからも、先代の死を報じてからも、表向きには「魔王の政策」としてひだまりを集めていた。
「魔王代理」の話を公表するわけにはいかないからだ。
「魔王さまである亮さまが来てくださった今、わたくしのやるべきこと一つです。
世界のひだまりを集めて、姉様の封印を解く。
そうして、わたくしは……姉様と共に、この世界から自由になるのです」
ルイはスッと立ち上がり、僕のほうへと歩み寄った。
そして、いつものスマイルに戻って、言った。
「協力してくださいますよね、魔王さま」