01 くらやみ
朝起きると真っ暗だった。
これでは僕の言いたいことは伝わらないとは思うが、文字通り、真っ暗だったのだ。
午前七時二八分、天気は快晴、最高気温一八度、最低気温九度。
うららかな春の一日の始まり。
僕は僕の部屋でいつものように目を覚まし、いつものように学校へ向かう準備に入る、はずだった。
開け放ったカーテンの向こう側。
空は真っ暗だった。
「おはようございます、亮さま」
そしてその代わりにと言ってはなんだけれど、目の前には見ず知らずの女の子が僕に傅いていた。
白い肌とは対照的な真っ赤な装束に身を包んだ彼女は、先ほどから僕のことをつぶらな瞳で見つめ続けている。
口元には絶えない微笑み。一つに束ねられた赤い髪は、ほどけば小柄な彼女の身の丈を優に越しそうなほどに長かった。
「さあ起きてください、共に力を合わせて我らの憎き敵どもを蹴散らしましょう!」
彼女は高らかに言うと、僕の手を力いっぱい握りしめた。痛い。
「……ごめん、なにがなんだかさっぱりわからないのだけれど」
「なにをおっしゃるのです、寝惚けている場合ではありませんよ。事態は一刻を争うのです」
「いや、本当になにもわからないんだよ。一体君は誰なんだい」
「……!」
迫る彼女に問いかけると、動きが凍りついたかのように止まった。なぜか握る手の力は強まる。痛い。
「ああ、本当に〈やりなおしのくすり〉を飲んでしまわれたのですね」
「〈やりなおしのくすり〉?」
「亮さまは昨晩、大層思いつめておいででした。
『僕なんかが生きていて本当にいいのか』『生まれてきてごめんなさい』などとぶつぶつ呟きながら、ご寝室に入って行かれて……。
まさか本当に、服薬してしまうなんて思いもよりませんでした」
昨日の僕になにがあったのかはわからないが、そこまで思いつめた風だったのなら一言かけてほしかった。
僕の口からそんな台詞が出るなんて、僕が一番びっくりである。
「いえ、止めたところでどうにもなにませんよ。いつものことですから。でもまぁ、かまいませんよ。バージョンが更新されたというだけで、亮さまは亮さまですから。また再び、共に闘ってくださいますよね……?」
手に込められた力がようやく抜け、にこーっと満面の笑みを向けてくる。
八重歯ののぞく唇が、たまらなく愛くるしい。気づくと僕は、さっきからずっと、彼女の顔をまじまじと見つめていた。
不意に我に返り、動揺して目を逸らす。
そして取繕うように尋ねた。
「そ、その前に、闘う理由を教えてくれよ。
僕は武術の心得があるわけでもないし、いきなり闘うって言われても困る。
それに、どうして空が真っ暗なのかも。ちゃんと一から説明してもらえるかな」
「あら、これは失礼いたしました。遅ればせながらご説明いたしますね。
この世界は今、魔王が乗っ取っております。
あれは言うなれば、魔王の支配の象徴のようなものです。
魔王は夜がお好みで、昼間の光を嫌いました。世界を支配下においた際に一緒に太陽の光を奪い、世界を夜一色に染めることに成功したのです」
「魔王の支配の証が、この空だと」
彼女は大きくうなずく。
「力の大きさに比例して、闇は広がります。近年は増大傾向にあるため空の約八三パーセントを闇が占有しており、これは前年比+二ポイントの増加にあたります」
そんな企業株主のような制度で世界を支配していていいのだろうか。
「とにかく、この空は魔王の仕業ってことだよな。で、年々魔王の力は増していて、世界を飲み込もうとしている、と」
「そうなります。このままいくと五年後には世界は闇で覆い尽くされ、政権交代までは地表が日の目を見ることはないでしょう」
彼女は神妙な面持ちでこちらを見据えた。
「亮さまが、わたくしたちの世界のただひとつの光なのです」
果たしてこれは昨日の続きの世界なのか。
それとも別世界の話なのか。
はたまた夢の中の出来事なのか。
あるいはとうとう頭がおかしくなってしまったのか。
僕にはわからない。
しかし、世界から僕の大好きな春の木漏れ日が失われようとしているということはわかる。
これが僕の妄想で、目が覚めたら現実世界に戻っていた、でも構わない。
今目の前の問題に、全力を尽くしてみるのも悪くはないのではないだろうか。
「憎き敵たちを蹴散らす」、上等だ。
「わかった。僕はやるよ。魔王だかなんだか知らないが、僕がこの手で倒してやろうじゃないか。一緒に闘わせてほしい」
そして僕は彼女を見つめ返して、こう言った。
「世界のひだまりは僕が守る」
彼女は先ほどの愛らしい笑顔のまま僕を見ていた。そして呟く。
「魔王」
「え?」
「亮さまは、魔王さまでいらっしゃいます」
「……えっ」
「亮さまは、魔王さまでいらっしゃいます。奪う方です。ひだまりを」
「えっ……まさかそんな……!
いや……そうじゃないかなあとは思ったんだ、けど……その……」
「……世界のひだまりは、僕が守る」
「…………」
かすかに、ぷしゅーっ、という音が聞こえる。
彼女が堪え切れずに吹きだした音だった。
ルイは、コホン、と咳払いをひとつすると、改まって僕にこう告げた。
「わたくしのことはルイ、とお呼びください、魔王さま」