入滅
文明社会からの逸脱、と言うより、この小さな世界、環境、関係からの出奔と言った方が適切かも知れない。
私が生きてきて悟ったのが、『人間は自分以外とは相容れぬ』ということだ。何も人間だけに限った事じゃないのかも知れないが、長年連れ添った妻でさえも、血肉を分けた我が息子でさえも、人間の傲慢さや貪欲さ、狡猾さには勝てず、挙げ句の果てに妻と息子は殺され、最悪の結果を招いてしまった。
出奔したのはまた別の理由なのだが、大きな要因の一つである事は確かだ。
そもそも何故こうなったのか?
それは私の部下であり教え子であったトミタが、ある古文書の中から【悪魔の顕現】という記述を発見した事から始まる。何でもその悪魔というのは世紀間隔で顕現するらしく、古くは古代マヤ文明にまで遡るというのだが、もちろん正常な思考であるなら『そんな事は有り得ない』と嘲笑されるのがオチだ。
それでも私はその文献を信じた。何より悪魔の存在を、頑なに信じて止まなかった。
だが其処には大きな問題が立ち塞がった。その悪魔は実体が無く、精神生命体とも言うべき存在なのだ。つまり、例えどんなに『我を崇めよ、我は悪魔だ』と吹聴していようが、その人物は決して悪魔ではなく、寧ろ重度の精神疾患と見なされ、病院送りが関の山だ。悪魔とはそのような下等な筈がない。
古文書の記述によると、取り憑くのは常に九ヶ月目の胎児であり、その悪魔は人間として生き、人間として死ぬらしく、取り憑かれし者は歴史的な殺人鬼になると断定されていた。
その記述を見て、私とトミタは目を合わせた。
二年前、二十二世紀史上最悪の連続殺人鬼が死亡したとのニュースを思い出したのだ。
男の名は『ノミヤマヒデト』。
早速、私とトミタは車を走らせ、彼の遺体の眠る墓地へと行き、復活の儀式を行った。まだ魂が残っているか不安ではあったが、無事成功した。そして、彼が復活して間もなく、トミタは彼に殺された。
私は何とかその場から逃げおおせる事ができたのだが、何かの突然変異らしく、彼の実体が出来上がってしまった。彼の顕現により世界は忽ちのうちに混沌に呑み込まれた。既に世界の人口の約七割は、彼に殺されてしまった。
私は後悔などしていない。寧ろ彼の存在を喜ばしく思う。
だが、そろそろお別れだ。
『ありがとう、父よ』と言われながら、上半身と下半身を二つに分けられた。
太陽に向かい飛び立つ様は、まるで天使の羽ばたきを見ているかのように高貴さと、神々しさに満ち溢れていた。
2009年2月。




