婚約破棄されたので禁域に潜ったら、王国の秘密を拾いすぎました~探索令嬢は帰還するたびに国を救ってしまいます~
婚約破棄というものは、もっとこう、密室で行われるものだと思っていた。
少なくとも、王都の大広間で、楽団つきで、貴族たちに見物されながら行うものではないはずだ。
「リディア・フェルノア。君との婚約を破棄する」
王都でもそれなりに名の知れた子爵家の嫡男エドガーは、やけに晴れやかな顔で言い放った。
「君は令嬢として致命的に華がない。それに、遺跡だの禁域だの、そんな危険なものにばかり興味を持つ変わり者だ。妻として並べるには不適切だ」
周囲から、くすくすと笑いが漏れる。
私は静かに瞬きをした。
「……そう」
「言い訳はないのか?」
「ありません」
「もっと悔しがったらどうだ」
「今、ちょっと別のことを考えていて」
「別のこと?」
私は彼の背後、壁際に飾られた古い地図を見た。
北方境界線のあたりに、消されたはずの禁域標識がうっすら残っている。
「王都の地図に、塗りつぶし跡があるな、と」
会場がしん、と静まった。
エドガーのこめかみに青筋が浮く。
「最後までそれか! だから君は駄目なんだ!」
「そうかもしれません」
私は一礼した。
「婚約破棄、承知しました」
そのまま踵を返すと、背後でざわめきが弾けた。
「待て、リディア!」
「泣かないのか!?」
「未練くらい見せろ!」
見せるものなんて、もう何もなかった。
だって私は知っている。
社交界で褒められることより、古代結界の綻びを見つけるほうが、ずっと得意だと。
◇
三日後、私は王都を出た。
向かう先は辺境の探索拠点都市、グランゼル。
没落寸前の伯爵家に残されたものは少ない。
名ばかりの伯爵家となった我が家では、子爵家との縁談でも断れない立場だった。
けれど幸い、我がフェルノア家には古い禁域調査記録があった。
売るには惜しい。使うなら今だ。
受付の男は、私の推薦状を見て眉をひそめた。
「貴族令嬢が探索者登録?」
「はい」
「危険ですよ」
「婚約破棄の直後なので、だいたいのことは平気です」
「それは強いのか、弱ってるのか判断に困るな……」
そのとき、横から低い声が聞こえた。
「通せ」
振り向くと、背の高い男が立っていた。
黒髪、無愛想、剣持ち。
いかにも現場の人間だ。
「禁域第三層の地図を見て、入口の罠配置を言い当てたのはこいつか」
「え、ええ。そうですが」
「使える」
それだけ言って、男は受付に書類を置いた。
「護衛枠で俺がつく。初回調査に同行させろ」
「カイル隊員!? 本気ですか」
「本気だ」
そして彼は私を見て、少しだけ顎を引いた。
「カイル・ヴァレント。調査隊所属だ」
「リディア・フェルノアです」
「知ってる。王都で派手に婚約破棄された令嬢だろ」
「……有名なんですね」
「いや」
彼は淡々と言った。
「禁域図面を見て十秒で『この封鎖、雑です』って言った変人として有名だ」
「そっちですか」
「そっちだ」
少しだけ、救われた気がした。
◇
最初の禁域は、小規模な遺跡だった。
石の回廊、古い封印扉、空気に混じる魔力のざらつき。
私は胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。
「嬉しそうだな」
背後でカイルが呆れたように言う。
「……少し」
「怖くないのか」
「怖いです。でも、こっちは筋が通ってるので」
「筋?」
「罠は罠らしく置かれてますし、結界は結界として歪みます。社交界より親切です」
「なるほど」
カイルは少し考えてからうなずいた。
「それはわかる」
わかるのか。
ちょっと嬉しい。
◇
最奥で見つけたのは、宝箱でも秘宝でもなく、壁に埋め込まれた記録結晶板だった。
私は手袋越しに触れ、息を呑む。
「……これ、北方防衛結界の基盤図です」
「そんなものが、なんでここに?」
「しかも、欠陥がある。三か所。いえ、四か所」
嫌な汗が背中に伝った。
「このままだと、近いうちに北方の結界が裂けます」
「どのくらい近いうちだ」
「早ければ……数日以内に」
沈黙のあと、カイルが短く言った。
「持ち帰るぞ」
◇
グランゼルへ帰還したその夜、拠点中が大騒ぎになった。
「本物だ!」
「北方結界が危ない!?」
「王都に急報を!」
私は書類と結晶板の山に囲まれながら、呆然としていた。
「……初回から面倒なものを拾ってしまったわ」
「面倒どころじゃない」
カイルが腕を組む。
「あんた、帰還一回目で王国を救う気か」
「そんな予定はなかったのだけれど……」
結果として、北方守備隊は急ぎ再配置され、結界の補強が間に合い、魔物の大侵攻は防がれた。
数日後、王都から使者が来た。
褒賞ではない。
黒い長衣をまとった、美しい男だった。
「封印管理局長、セルヴェイン・アルクレストです」
彼は微笑んでいた。
氷のように綺麗で、氷のように冷たい笑みだった。
「リディア嬢。あなたは優秀だ。しかし、禁域には見つけてはならない真実もある」
「真実に、見つけてはいけないものなんてあるのですか?」
「ありますよ。国を壊す真実は、ね」
私は彼を見返した。
「壊れるようなものなら、最初から歪んでいるのでは?」
セルヴェインの笑みが、わずかに薄くなる。
「……次からは、回収物をすべて王宮へ提出していただきます」
「断ったら?」
「おすすめしません」
脅しだった。
ただ、王宮の正式な差し止め命令が辺境の拠点に届くには、まだ少し時間がある。
なら、その前に確かめるしかない。
私は確信した。
王国は、禁域に何かを隠している。
◇
二度目の探索で、私は古い保管庫を見つけた。
中にあったのは金銀財宝ではなく、封印記録と系譜文書、そしてフェルノア家の紋章入りの鍵だった。
「……うそ」
「知ってるものか?」
「我が家の古紋です。今は使われていない、もっと古いもの」
文書をめくる。指が震えた。
「フェルノア家は、建国初期の禁域管理家系……?」
「伯爵家が?」
「ええ。でも、それならおかしいわ。どうして今まで、その記録が一つも残っていないの」
「消されたんだろ」
カイルの言葉は、あっさりしていて、そして正しかった。
◇
帰還後、今度は別の騒ぎになった。
持ち帰った記録の一つが、南部の灌漑塔の修復法を示していたのだ。
干ばつ寸前だった農地が救われるとわかり、拠点の学者が叫んだ。
「また国が救われるぞ!」
「やめて、そんな軽い感じで言わないでください!」
私は机に額をぶつけた。
「どうして禁域に潜るたびに国家案件になるの!?」
「知らん」
カイルは無表情で答えた。
「だが、もう無理だな」
「何がですか」
「あんたが『ただの探索者』でいるのは」
◇
そのころ王都では、元婚約者エドガーが慌てていたらしい。
『君ほど優秀だとは思わなかった』
『あのときは事情があった』
『やり直せないだろうか』
届いた手紙は三通とも燃やした。
「未練はないのか」と聞かれて、私は首をかしげた。
「禁域のほうが面白いですし」
「言い切るなあ……」
カイルは少しだけ笑った。
その笑顔が、思っていたよりずっとやわらかくて、私はなぜか視線を逸らした。
◇
問題が本当に大きくなったのは、その翌週だった。
王都上空で結界のひび割れが観測されたのだ。
封印管理局は「一時的な乱れ」と発表したが、私にはわかった。
「嘘だわ。最大禁域の封印が限界を迎えてる」
「根拠は?」
「今まで拾った記録が、全部そこに繋がるの。北方結界の欠陥も、灌漑塔の停止も、各地の封印記録の欠落も……全部、建国時の改変が原因よ」
王宮に呼び出され、セルヴェインと向かい合った。
「探索中止を命じます、リディア嬢。次に禁域へ入れば、正式に違法侵入として扱います」
「中止したら、封印は崩れます」
「情報が広まれば、王国はもっと混乱する」
「隠したまま崩壊するほうが、まずいでしょう?」
「国とは理想では守れない」
セルヴェインの声は静かだった。
「醜くとも、秘密でつなぎ止めねばならないものもある」
私は息を吐いた。
「でも、その秘密が今、国を壊そうとしているのなら」
顔を上げる。
「もう掘り返すしかありません」
王宮を出たところで、カイルが壁にもたれて待っていた。
「どうだった」
「止められました」
「そうか」
「行くのでしょう?」
「ええ」
「なら、俺も行く」
「命令違反になりますよ」
「今さらだ」
彼は当然のように言った。
「危険なところへ行く相棒を、一人で行かせる気はない」
胸の奥が、妙にうるさくなった。
「……相棒、ですか」
「違ったか?」
「いいえ」
少しだけ笑う。
「とても、嬉しいです」
◇
最大禁域は、王都地下のさらに奥に眠っていた。
誰も開けられなかった封印門が、フェルノア家の古紋の鍵で静かに開く。
「本当に、うちの家系が関わっていたのね」
「だろうな」
中は異様なほど静かだった。
罠も結界も、一つひとつが洗練されている。
雑な封鎖など一つもない。
まるで「本当に守るべきもの」がここにある、と告げているみたいだった。
「右はだめです」
「了解」
「三歩先、床が沈みます」
「了解」
「その壁、触ると爆ぜます」
「了解。禁域、性格悪いな」
「でも素直です」
「そこはまだわからん」
最深部で、私たちは巨大な記録装置を見つけた。
起動すると、光が走る。
映し出されたのは、建国の真実だった。
――初代王家は災厄を封じた英雄ではなかった。
古代の守護者たちを裏切り、封印技術と記録庫を奪い、都合の悪い事実を禁域に封じて王国を築いたのだ。
そしてフェルノア家は、本来の封印管理を任されていた補佐家系。
王家が真実を隠す過程で、記録ごと表舞台から消された。
「……ひどい」
喉が乾いた。
「だから封印が歪んだのね。正しい継承も手順も、全部切り捨てたから」
装置の中央に、最後の認証陣が浮かぶ。
必要なのは、正統な管理家系の承認と、真実の公開。
「隠したままじゃ再起動できないのか」
「ええ」
私は苦笑いした。
「最悪だわ。国を救うには、国の嘘を暴かなきゃいけない」
「やるのか」
迷いは、たぶん少しだけあった。
これを持ち帰れば、王都は揺れる。
王家も貴族も、きっと黙っていない。
――でも。
婚約破棄されたあの日、私は確かに失ったのだ。
誰かに価値を決めてもらう生き方を。
なら、今は自分で決める。
「やります」
私は記録晶を手に取った。
「もう誰かに捨てられるのは、こりごりです。だから今度は、私が選ぶ」
カイルが、ふっと目を細める。
「そういう顔、初めて見た」
「どんな顔ですか」
「王都の誰より、よほど強い」
少しだけ照れてしまって、私は咳払いをした。
「戻りましょう。王国を救わないと」
「軽い言い方するなあ」
◇
王宮の大広間は、二度目だった。
けれど今度は、見世物にされる側ではない。
「リディア・フェルノア! それ以上の発言は国家反逆に――」
貴族の怒声を遮って、私は記録晶を掲げた。
「反逆ではありません。修復です」
その瞬間、天井近くの結界がびりっと不穏な音を立てた。
広間の誰もが息を呑む。
――もう、先延ばしにできる段階ではない。
ざわめきが広がる。
王座の前、セルヴェインが静かに立っていた。
「本当に公表するのですね」
「しなければ、封印が崩れます」
「混乱は避けられませんよ」
「ええ。でも」
私は彼を見た。
「隠して守ったつもりのものが、もう壊れているんです」
記録が公開される。
建国の真実。封印の歪み。修復法。必要な術式。
――王都は震えた。貴族たちは青ざめ、王宮は騒然となる。
けれど時間はなかった。
「西塔の結界柱に再接続を!」
「南の導路を開けろ!」
「遅れると王都上空から裂けます!」
私は中央制御陣に立ち、術式を走らせる。
外ではカイルが崩れかけた防壁の前に立ち、魔物の侵入と場内の混乱を抑えていた。
「リディア! あとどれくらいだ!」
「三十秒!」
「長い!」
「短いです!」
魔力がうなり、王都全体に光が走る。
裂けかけた結界が、一本の線になる。
――そして次の瞬間、空を覆う防壁が完全に再起動した。
眩い光のあと、静寂が落ちる。
誰かが呟いた。
「……王都が、助かった」
その場にいた全員が、ようやく息をした。
セルヴェインはしばらく黙っていたが、やがて目を伏せた。
「……私の負けです、リディア嬢」
「勝ち負けではありません」
「いいえ」
彼は珍しく、少し疲れた顔で笑った。
「あなたのほうが、国を信じていた」
◇
騒動の後、私はいろいろなものを差し出された。
王宮付き探索官の地位、褒賞金、名誉、縁談、復権。
――その中には、見覚えのある名前からの手紙もあった。
『今の君なら私の隣に相応しい』
「燃やせ」
「燃やしましょう」
カイルの許可が出たので、遠慮なく暖炉に放り込んだ。
ぱち、と小さな火が上がる。
「すっきりしたわ」
「よかったな」
「ええ。ところで、王宮付きの話は断りました」
「知ってる」
「驚かないんですね」
「王都の飾りになるより、禁域に潜る顔だった」
「……褒めてます?」
「かなり」
◇
結局、私が選んだのは、禁域調査体制の再編だった。
隠されていた記録を正しく回収し、必要な技術は公開し、封印は本来の手順で管理する。
その中心に探索者を置く。
王都ではまだ揉めている。たぶんしばらく揉める。
でも、もういい。
私は私の得意な場所で、やるべきことをやる。
拠点都市へ戻る馬車の中で、私は新しい地図を広げた。
「次は東の禁域ですね」
「もう行くのか」
「気になる印があるの。ほら、ここ」
身を寄せたカイルが地図を覗き込み、眉をひそめる。
「嫌な予感しかしない」
「大丈夫です」
「何が」
「たぶん、また国を救うだけです」
カイルは数秒黙ってから、盛大にため息をついた。
「さらっと言うな」
「事実ですし」
「……なら、今回も隣にいる」
思わず顔を上げる。
彼は少しだけ視線を逸らしながら、それでもはっきり言った。
「相棒だからな」
なんだか、胸の奥があたたかくなってしまって、私は誤魔化すように笑った。
「ええ。よろしくお願いします、カイル」
馬車は揺れながら、次の禁域へ向かう。
婚約破棄された令嬢なんて、もう過去の話だ。
今の私は、拾ってはいけない真実を拾い、帰還するたびに王国を救ってしまう、ちょっと厄介な探索者である。
……本当は、ちょっとどころではないのだけれど。




