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婚約破棄されたので禁域に潜ったら、王国の秘密を拾いすぎました~探索令嬢は帰還するたびに国を救ってしまいます~

作者: 棗 月雫
掲載日:2026/04/05


 婚約破棄というものは、もっとこう、密室で行われるものだと思っていた。


 少なくとも、王都の大広間で、楽団つきで、貴族たちに見物されながら行うものではないはずだ。


「リディア・フェルノア。君との婚約を破棄する」


 王都でもそれなりに名の知れた子爵家の嫡男エドガーは、やけに晴れやかな顔で言い放った。


「君は令嬢として致命的に華がない。それに、遺跡だの禁域だの、そんな危険なものにばかり興味を持つ変わり者だ。妻として並べるには不適切だ」


 周囲から、くすくすと笑いが漏れる。


 私は静かに瞬きをした。


「……そう」


「言い訳はないのか?」


「ありません」


「もっと悔しがったらどうだ」


「今、ちょっと別のことを考えていて」


「別のこと?」



 私は彼の背後、壁際に飾られた古い地図を見た。


 北方境界線のあたりに、消されたはずの禁域標識がうっすら残っている。


「王都の地図に、塗りつぶし跡があるな、と」




 会場がしん、と静まった。


 エドガーのこめかみに青筋が浮く。


「最後までそれか! だから君は駄目なんだ!」


「そうかもしれません」


 私は一礼した。


「婚約破棄、承知しました」


 そのまま踵を返すと、背後でざわめきが弾けた。


「待て、リディア!」

「泣かないのか!?」

「未練くらい見せろ!」



 見せるものなんて、もう何もなかった。


 だって私は知っている。


 社交界で褒められることより、古代結界の綻びを見つけるほうが、ずっと得意だと。



 三日後、私は王都を出た。


 向かう先は辺境の探索拠点都市、グランゼル。


 没落寸前の伯爵家に残されたものは少ない。


 名ばかりの伯爵家となった我が家では、子爵家との縁談でも断れない立場だった。



 けれど幸い、我がフェルノア家には古い禁域調査記録があった。


 売るには惜しい。使うなら今だ。



 受付の男は、私の推薦状を見て眉をひそめた。


「貴族令嬢が探索者登録?」


「はい」


「危険ですよ」


「婚約破棄の直後なので、だいたいのことは平気です」


「それは強いのか、弱ってるのか判断に困るな……」



 そのとき、横から低い声が聞こえた。


「通せ」



 振り向くと、背の高い男が立っていた。


 黒髪、無愛想、剣持ち。


 いかにも現場の人間だ。



「禁域第三層の地図を見て、入口の罠配置を言い当てたのはこいつか」


「え、ええ。そうですが」


「使える」


 それだけ言って、男は受付に書類を置いた。


「護衛枠で俺がつく。初回調査に同行させろ」


「カイル隊員!? 本気ですか」


「本気だ」



 そして彼は私を見て、少しだけ顎を引いた。


「カイル・ヴァレント。調査隊所属だ」


「リディア・フェルノアです」


「知ってる。王都で派手に婚約破棄された令嬢だろ」


「……有名なんですね」


「いや」


 彼は淡々と言った。


「禁域図面を見て十秒で『この封鎖、雑です』って言った変人として有名だ」


「そっちですか」


「そっちだ」


 少しだけ、救われた気がした。



 最初の禁域は、小規模な遺跡だった。


 石の回廊、古い封印扉、空気に混じる魔力のざらつき。


 私は胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。



「嬉しそうだな」


 背後でカイルが呆れたように言う。


「……少し」


「怖くないのか」


「怖いです。でも、こっちは筋が通ってるので」


「筋?」


「罠は罠らしく置かれてますし、結界は結界として歪みます。社交界より親切です」


「なるほど」


 カイルは少し考えてからうなずいた。


「それはわかる」



 わかるのか。


 ちょっと嬉しい。



 最奥で見つけたのは、宝箱でも秘宝でもなく、壁に埋め込まれた記録結晶板だった。


 私は手袋越しに触れ、息を呑む。


「……これ、北方防衛結界の基盤図です」


「そんなものが、なんでここに?」


「しかも、欠陥がある。三か所。いえ、四か所」


 嫌な汗が背中に伝った。


「このままだと、近いうちに北方の結界が裂けます」


「どのくらい近いうちだ」


「早ければ……数日以内に」



 沈黙のあと、カイルが短く言った。


「持ち帰るぞ」



 グランゼルへ帰還したその夜、拠点中が大騒ぎになった。


「本物だ!」

「北方結界が危ない!?」

「王都に急報を!」


 私は書類と結晶板の山に囲まれながら、呆然としていた。


「……初回から面倒なものを拾ってしまったわ」


「面倒どころじゃない」


 カイルが腕を組む。


「あんた、帰還一回目で王国を救う気か」


「そんな予定はなかったのだけれど……」



 結果として、北方守備隊は急ぎ再配置され、結界の補強が間に合い、魔物の大侵攻は防がれた。




 数日後、王都から使者が来た。


 褒賞ではない。


 黒い長衣をまとった、美しい男だった。


「封印管理局長、セルヴェイン・アルクレストです」


 彼は微笑んでいた。


 氷のように綺麗で、氷のように冷たい笑みだった。


「リディア嬢。あなたは優秀だ。しかし、禁域には見つけてはならない真実もある」


「真実に、見つけてはいけないものなんてあるのですか?」


「ありますよ。国を壊す真実は、ね」


 私は彼を見返した。


「壊れるようなものなら、最初から歪んでいるのでは?」


 セルヴェインの笑みが、わずかに薄くなる。


「……次からは、回収物をすべて王宮へ提出していただきます」


「断ったら?」


「おすすめしません」



 脅しだった。



 ただ、王宮の正式な差し止め命令が辺境の拠点に届くには、まだ少し時間がある。


 なら、その前に確かめるしかない。



 私は確信した。


 王国は、禁域に何かを隠している。



 二度目の探索で、私は古い保管庫を見つけた。


 中にあったのは金銀財宝ではなく、封印記録と系譜文書、そしてフェルノア家の紋章入りの鍵だった。


「……うそ」


「知ってるものか?」


「我が家の古紋です。今は使われていない、もっと古いもの」


 文書をめくる。指が震えた。


「フェルノア家は、建国初期の禁域管理家系……?」


「伯爵家が?」


「ええ。でも、それならおかしいわ。どうして今まで、その記録が一つも残っていないの」


「消されたんだろ」


 カイルの言葉は、あっさりしていて、そして正しかった。



 帰還後、今度は別の騒ぎになった。


 持ち帰った記録の一つが、南部の灌漑塔の修復法を示していたのだ。


 干ばつ寸前だった農地が救われるとわかり、拠点の学者が叫んだ。


「また国が救われるぞ!」

「やめて、そんな軽い感じで言わないでください!」


 私は机に額をぶつけた。


「どうして禁域に潜るたびに国家案件になるの!?」


「知らん」


 カイルは無表情で答えた。


「だが、もう無理だな」


「何がですか」


「あんたが『ただの探索者』でいるのは」



 そのころ王都では、元婚約者エドガーが慌てていたらしい。


『君ほど優秀だとは思わなかった』

『あのときは事情があった』

『やり直せないだろうか』


 届いた手紙は三通とも燃やした。


「未練はないのか」と聞かれて、私は首をかしげた。


「禁域のほうが面白いですし」


「言い切るなあ……」



 カイルは少しだけ笑った。


 その笑顔が、思っていたよりずっとやわらかくて、私はなぜか視線を逸らした。



 問題が本当に大きくなったのは、その翌週だった。


 王都上空で結界のひび割れが観測されたのだ。



 封印管理局は「一時的な乱れ」と発表したが、私にはわかった。


「嘘だわ。最大禁域の封印が限界を迎えてる」


「根拠は?」


「今まで拾った記録が、全部そこに繋がるの。北方結界の欠陥も、灌漑塔の停止も、各地の封印記録の欠落も……全部、建国時の改変が原因よ」


 王宮に呼び出され、セルヴェインと向かい合った。


「探索中止を命じます、リディア嬢。次に禁域へ入れば、正式に違法侵入として扱います」


「中止したら、封印は崩れます」


「情報が広まれば、王国はもっと混乱する」


「隠したまま崩壊するほうが、まずいでしょう?」


「国とは理想では守れない」


 セルヴェインの声は静かだった。


「醜くとも、秘密でつなぎ止めねばならないものもある」




 私は息を吐いた。


「でも、その秘密が今、国を壊そうとしているのなら」


 顔を上げる。


「もう掘り返すしかありません」




 王宮を出たところで、カイルが壁にもたれて待っていた。


「どうだった」


「止められました」


「そうか」


「行くのでしょう?」


「ええ」


「なら、俺も行く」


「命令違反になりますよ」


「今さらだ」


 彼は当然のように言った。


「危険なところへ行く相棒を、一人で行かせる気はない」


 胸の奥が、妙にうるさくなった。


「……相棒、ですか」


「違ったか?」


「いいえ」


 少しだけ笑う。


「とても、嬉しいです」



 最大禁域は、王都地下のさらに奥に眠っていた。


 誰も開けられなかった封印門が、フェルノア家の古紋の鍵で静かに開く。


「本当に、うちの家系が関わっていたのね」


「だろうな」


 中は異様なほど静かだった。


 罠も結界も、一つひとつが洗練されている。


 雑な封鎖など一つもない。


 まるで「本当に守るべきもの」がここにある、と告げているみたいだった。




「右はだめです」

「了解」

「三歩先、床が沈みます」

「了解」

「その壁、触ると爆ぜます」

「了解。禁域、性格悪いな」

「でも素直です」

「そこはまだわからん」


 最深部で、私たちは巨大な記録装置を見つけた。


 起動すると、光が走る。


 映し出されたのは、建国の真実だった。




 ――初代王家は災厄を封じた英雄ではなかった。


 古代の守護者たちを裏切り、封印技術と記録庫を奪い、都合の悪い事実を禁域に封じて王国を築いたのだ。



 そしてフェルノア家は、本来の封印管理を任されていた補佐家系。


 王家が真実を隠す過程で、記録ごと表舞台から消された。



「……ひどい」


 喉が乾いた。


「だから封印が歪んだのね。正しい継承も手順も、全部切り捨てたから」




 装置の中央に、最後の認証陣が浮かぶ。


 必要なのは、正統な管理家系の承認と、真実の公開。




「隠したままじゃ再起動できないのか」

「ええ」


 私は苦笑いした。


「最悪だわ。国を救うには、国の嘘を暴かなきゃいけない」


「やるのか」



 迷いは、たぶん少しだけあった。


 これを持ち帰れば、王都は揺れる。


 王家も貴族も、きっと黙っていない。




 ――でも。


 婚約破棄されたあの日、私は確かに失ったのだ。


 誰かに価値を決めてもらう生き方を。



 なら、今は自分で決める。


「やります」


 私は記録晶を手に取った。


「もう誰かに捨てられるのは、こりごりです。だから今度は、私が選ぶ」



 カイルが、ふっと目を細める。


「そういう顔、初めて見た」


「どんな顔ですか」


「王都の誰より、よほど強い」


 少しだけ照れてしまって、私は咳払いをした。


「戻りましょう。王国を救わないと」


「軽い言い方するなあ」



 王宮の大広間は、二度目だった。


 けれど今度は、見世物にされる側ではない。


「リディア・フェルノア! それ以上の発言は国家反逆に――」


 貴族の怒声を遮って、私は記録晶を掲げた。


「反逆ではありません。修復です」



 その瞬間、天井近くの結界がびりっと不穏な音を立てた。


 広間の誰もが息を呑む。



 ――もう、先延ばしにできる段階ではない。



 ざわめきが広がる。



 王座の前、セルヴェインが静かに立っていた。


「本当に公表するのですね」


「しなければ、封印が崩れます」


「混乱は避けられませんよ」


「ええ。でも」


 私は彼を見た。


「隠して守ったつもりのものが、もう壊れているんです」




 記録が公開される。


 建国の真実。封印の歪み。修復法。必要な術式。



 ――王都は震えた。貴族たちは青ざめ、王宮は騒然となる。



 けれど時間はなかった。


「西塔の結界柱に再接続を!」

「南の導路を開けろ!」

「遅れると王都上空から裂けます!」



 私は中央制御陣に立ち、術式を走らせる。


 外ではカイルが崩れかけた防壁の前に立ち、魔物の侵入と場内の混乱を抑えていた。


「リディア! あとどれくらいだ!」

「三十秒!」

「長い!」

「短いです!」


 魔力がうなり、王都全体に光が走る。


 裂けかけた結界が、一本の線になる。



 ――そして次の瞬間、空を覆う防壁が完全に再起動した。


 眩い光のあと、静寂が落ちる。




 誰かが呟いた。


「……王都が、助かった」



 その場にいた全員が、ようやく息をした。



 セルヴェインはしばらく黙っていたが、やがて目を伏せた。


「……私の負けです、リディア嬢」


「勝ち負けではありません」


「いいえ」


 彼は珍しく、少し疲れた顔で笑った。


「あなたのほうが、国を信じていた」



 騒動の後、私はいろいろなものを差し出された。


 王宮付き探索官の地位、褒賞金、名誉、縁談、復権。



 ――その中には、見覚えのある名前からの手紙もあった。


『今の君なら私の隣に相応しい』



「燃やせ」

「燃やしましょう」


 カイルの許可が出たので、遠慮なく暖炉に放り込んだ。


 ぱち、と小さな火が上がる。


「すっきりしたわ」


「よかったな」


「ええ。ところで、王宮付きの話は断りました」


「知ってる」


「驚かないんですね」


「王都の飾りになるより、禁域に潜る顔だった」


「……褒めてます?」


「かなり」



 結局、私が選んだのは、禁域調査体制の再編だった。


 隠されていた記録を正しく回収し、必要な技術は公開し、封印は本来の手順で管理する。

 その中心に探索者を置く。


 王都ではまだ揉めている。たぶんしばらく揉める。



 でも、もういい。


 私は私の得意な場所で、やるべきことをやる。



 拠点都市へ戻る馬車の中で、私は新しい地図を広げた。


「次は東の禁域ですね」


「もう行くのか」


「気になる印があるの。ほら、ここ」


 身を寄せたカイルが地図を覗き込み、眉をひそめる。


「嫌な予感しかしない」


「大丈夫です」


「何が」


「たぶん、また国を救うだけです」




 カイルは数秒黙ってから、盛大にため息をついた。


「さらっと言うな」


「事実ですし」


「……なら、今回も隣にいる」


 思わず顔を上げる。



 彼は少しだけ視線を逸らしながら、それでもはっきり言った。


「相棒だからな」


 なんだか、胸の奥があたたかくなってしまって、私は誤魔化すように笑った。


「ええ。よろしくお願いします、カイル」




 馬車は揺れながら、次の禁域へ向かう。


 婚約破棄された令嬢なんて、もう過去の話だ。




 今の私は、拾ってはいけない真実を拾い、帰還するたびに王国を救ってしまう、ちょっと厄介な探索者である。



 ……本当は、ちょっとどころではないのだけれど。



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