調査結果
定められた時刻を過ぎても、師範魔術師モーリスは現れなかった。
「時間ですね……」
マルヴィナは大きくため息をつき、山積みの書類を几帳面に整えると、ゆっくりと立ち上がった。三十代半ばの彼女は普段、気象研究のデスクに張り付き膨大なデータを処理しているが、その緻密さを買われ、「魔術師連続殺人事件」の調査員たちを束ねる役目を任されていた。
モーリスは釈明の機会を自ら放棄したのだ。
最高位階であり、魔術師たちの規範となるべき師範魔術師が、協会の出頭命令に背くなど本来あってはならない。
しかも今回は通常の呼び出しではない。
規律の重大違反――すなわち、同胞殺しの嫌疑がかけられていた。
事態は今、最悪の結末へと向かいつつあった。
「ディミトリアス先生、あとは理事会でお願いいたします」
マルヴィナは目を閉じ、深い皺を刻んだ眉間にさらに皺を寄せているディミトリアスの前へ、厚みのある報告書をそっと置いた。
氷の魔術の権威として長年組織を支えてきた五十代の男は、重く閉じていた瞼をゆっくりと開き、苦渋に満ちた視線を資料へ落とした。
「……私の目から見ても、モーリスの行為は擁護しきれん。……すまんな、マルヴィナ。お前をこんな面倒な事務仕事に巻き込んで」
吐き捨てるような言葉とは裏腹に、その声色には親類である彼女を気遣う温度があった。
ことの発端は数週間前、中級魔術師二名の凍死体が発見されたことだった。
魔術師が任務中や訓練中に命を落とすことは珍しくない。
しかし、彼らが見つかったのは任務とも訓練とも無縁の場所――地方都市郊外の林の奥だった。
それだけではない。遺体には魔力の欠片すら残っていなかった。
直ちに調査が開始されたが、間もなく別の中級魔術師の遺体が見つかり、ついには上級魔術師にも被害が及び始めた。
マルヴィナは他の魔術師たちとともに遺体の調査と分析を行い、犯人が禁忌の『魂の結晶化術』を凍結術へ転用し、被害者の魂そのものを氷の結晶に変換するという極めて残忍な行為を行っていることを突き止めた。
微かに残された魔力の残滓は、犯人がモーリスであることを雄弁に示していた。
「いえ。気象解析に比べれば、この手の調査は単純です。……ただ、被害者たちは皆、苦悶の表情を浮かべていました。相当な恐怖と痛みがあったのでしょう。抗う術もない同胞に対し、これほどの非道を行ったモーリスに、私は憤りを感じています」
マルヴィナは翡翠色の瞳を揺らし、声を震わせた。
ディミトリアスは小さく息を漏らし、立ち上がった。
その身から、殺気とも取れる冷気がじわりと放たれる。
それは、自身の専門である氷の魔術を蹂躙され、殺戮と略奪の道具へ貶められたことへの、専門家としての痛烈な怒りだった。
「引き続き事前調査を……」
報告書を手にしたディミトリアスは、感情を押し殺すように軽く会釈し、足早に部屋を出ていった。
その直後、マルヴィナの端末に通信魔術が届いた。
青ざめた調査員の声が響く。
『マルヴィナ先生! モーリス先生の屋敷、地下実験室の調査報告です!』
「報告を。モーリス先生の姿はあったのですか?」
『いいえ。しかし……地下室は惨状でした。床には砕け散った氷の破片。魔力残滓の分析から、複数の弟子――おそらく一番弟子を含む数名の魔力が、その場で完全に消失しています』
「……弟子たちまで。それに魔力が消失とは、結晶化されて……」
『はい。モーリス先生は弟子たちをも捕食した上で逃亡した可能性が高いです。残りの弟子の行方も不明。極めて危険です』
通信を終えたマルヴィナは、手にしていた書類を落としそうになった。
モーリスの狂気は、こちらの想像を遥かに超えていた。
彼女は震える足で、ディミトリアスを追いかけた。




