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月夜 ― 見張りの旅 ―【うさぎの視点で描く、老いゆく父と家族の最期の日々】

作者: 月森 いと
掲載日:2026/02/23

※この物語には、家族との別れを想起させる描写が含まれます。


動物と暮らしていると、人間が言葉にしない感情や、

隠そうとする気配を、ふと感じ取っているのではないかと思うことがあります。


これは、小さなうさぎが見張っていた、

ある夜の物語です。

第一章 いつもと違う


あのキャリーが出てきた。

きっと病院だ……


あのキャリーはいつだってそう。その合図。

爪を切られる。

お腹を触られる。

耳の中までのぞかれる。

ああ……病院だ……


でも、わたしの名前を呼ぶ声は、

いつもより少しだけ小さくて、

わたしを抱き上げる手は、

ほんの少し震えているみたいだ。


ママ、大丈夫だよ。

今日は“すず”いい子にしてあげるね。


第二章 止まらない


車の中は、ずっと静かだ。

ママが何も話しかけてくれない。

パパはテレビをつけない。

わたしはずっとキャリーの中。

あれ? 今日長くない?


赤い信号で止まっても

コンビニの前で止まっても

車はすぐ動き出す。


ママは、キャリーの中に

何度も何度も指を入れてくる。

いつもはそんなこと、しないのに。

どうしたの?

寂しいの?


だからわたしはその度に鼻先を押しつけて、

「すずはここにいるよ」と教えてあげた。


第三章 ここはどこ?


とても長い時間が過ぎたあと、

ようやく車は止まった。


知らない家の前だった。


ドアが開くと、ママとは違う、

でも、どこか似ているにおいがした。


「姉ちゃん、来てくれてありがとう。

兄さん、疲れたでしょう。

お、すずかぁ 遠いとこようきたなぁ。」


「父さんは?」

ようやくママの小さな声が聞こえた。


その部屋のドアは少し開いていた。

隙間から、弱っているにおいがした。

わたしと同じにおいだ。


ママは、その部屋の前で小さく息を吐いて

ドアを押した。


第四章 はじめまして


たくさんのチューブにつながれた、そのひとは

ベッドに起こされていた。


とても静かで、とても薄くて、

ドアの隙間から嗅いだにおいがする。


そのひとがゆっくりとわたしを見て

ほんの少し、笑った。


ママが「父さん」とそのひとを呼んだ。


「うさぎ……?」


とてもとても小さな声だった。


「珍しいな。白い目の子か?」


ママが少し笑いながら


「すず、白内障なん。

 可愛いけど、父さんよりお姉ちゃんやで」


わたしはキャリーの中でいい子にしている。

弱っているものの前では、大きく動いてはいけない。


でも、気のせいかな?

ドアの前より、においは薄まった気がした。


第五章 見張らなきゃ


いつの間にかすっかり夜になっていた。


わたしは知らない部屋のすみで、

ケージに入っていた。


部屋にそっとママが入ってきた。

涙のにおいがする。


ケージの扉が開いて、いつものように

ママがやさしく、わたしをなでる。


「すず……」

つぶやくように名前を呼んで

そして、それきり何も言わなかった。


わたしはママの手に鼻先を押しつけた。

冷たかった。


ママは少し笑って、それから泣いた。

声は聞こえなかったけど

手の震えとにおいでわかった。


そうか……

ママは誰にも見られたくないんだ。


わたしにはわかった。


ママ、大丈夫だよ。

今夜は“すず”が見張っていてあげるね。


第六章 はじまり


朝がきた。

また、あのキャリーが出てきた。

でも、もうわたしはわかっている。

病院じゃない――


「おはよう」と言って、

ママはお父さんの手を握った。


わたしはキャリーの中でいい子にしていた。


「父さん、私たち帰るね。

 また……また来るから……」


お父さんは小さく、うなずいた。

ママの手は小さく、震えている。

でも、それがわかるのは、わたしだけだった。


車は、

来た時と同じように、

長い時間、走った。


ママはときどき、

わたしの名前を呼んで

指を入れてきた。


わたしはその度、鼻先を押しつけた。

ママは笑っていた。


あの家のにおいが少しずつ、遠くなっていく。

見張りはもう、いらないみたいだ。


でもこの旅は、

まだ、見張りは続くのだと思った。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


動物は、言葉を持たないかわりに、においや体温、

わずかな震えの変化から、人の感情や別れの気配を

感じ取っているのかもしれません。


この物語が、誰かの大切な記憶に、そっと寄り添えたなら嬉しいです。

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