第五話『線を揃えろ』
「ついて来い!」
ケルビンに引かれるまま、ハルカは調律院の裏通路を駆けた。
扉が開く。格納スペースの空気は、冷たくて乾いている。
「お前も乗れ。説明は後だ」
ケルビンたちが駆る機体、バイオン。
軽いノックで胸部が開き、シートがせり出す。
彼はしなやかに乗り込み、一瞬で見えなくなった。
これは“現場用の簡易機”だと言う。
歌による力はハーモナザインに劣るが、別の役割がある。
線を揃えて縛るための機体――そういう役目だ。
続いてハルカもハーモナザインへと乗る。
相変わらずゲーミングチェアみたいなフィット感で、妙な馴染みの良さに混乱する。
次の瞬間、床が抜けたみたいに体が軽くなり、機体が街路へ射出された。
昼の街路は、音で満ちている。
シャッターの軋み、靴底、子どもの笑い。――人が生きてる音だ。
屋台の灯籠に短く歌い、火を灯す店主。
歌が魔法になる世界の、当たり前の生活――。
それが、抜けた。
ざらり、と空気が擦れる。
静かになるんじゃない。足りなくなる。
声の輪郭だけが残って、届かない。
「止まるな」
ケルビンが前に出た。
「人を下げろ。――ビープ、誘導」
ビープが短く頷く。
「了解だお」
ハルカも彼らに続いて、新入りなりに周囲へと拡声する。
必死さが地の“俺”の声を押し出しそうになるが、
ここでは勝手に補正がかかるようだ。
街路の中央、黒いもやが集まっていた。
霧みたいで、でも確かに“そこにいる”厄介なやつだ。
「ノーツ、展開!」
先導したバイオンの肩が跳ね上がり、青白い光のレーンが一本、まっすぐに伸びた。
隣でビープのレーンも走る。
丸いノーツが滑る。
キン。
命中点から淡いリングがポンと広がった。
消えない。薄く残る。
シャン。
二つ目のリングが重なる。
黒い輪郭が“そこ”へ寄せられる。逃げようとしても、戻される。
キン、シャン、キン。
ノーツは杭だ。刺さるたびにリングが増える。
輪が増えるほど、霧はほどけなくなる。
「いい。固定できてる」
手応えを感じたケルビンの声がヘッドセット越しに聞こえた。
「……見てろ。持ち歌だ」
(人は怖いと固まる。合図があれば動ける――ケルビンはそれを知ってる)
ケルビンが指を鳴らすみたいに、短く息を吸った。
「――線を揃えろ」
短い歌が、命令みたいに空気へ刺さった。
レーンがわずかに傾き、その声で真っ直ぐに戻る。
リングが同じ幅で重なっていく。
青白い輪が、黒い塊を縛り上げる。
ビープが口角だけで笑う。
「揃ったお」
「……私の声は澄んだ鈴」
バイオンのハッチが開いた。
ほどけた髪が風に揺れ、長いまつ毛が影を落とす。
(……天使だ)ハルカは、息を止めた。
ハッチは開かない。今は、線が切れないように。
次の拍で、声がサビに跳ねた。
サビの一言が波形を跳ね上げ、光が霧を貫いた。
黒が砕ける。けれど破片は落ちない。
青と桃の粒になって、空へ還っていった。
ケルビンは、息を吐いた。
終わった。……はずだ。
青白いリングが、ひとつだけ残っていた。
拘束の名残みたいに、空中で薄く震えている。
キン。
遅れて鳴った一音が、やけに澄んでいた。
リングの中心で、光が一瞬だけ“へこむ”。
そこに、穴みたいな暗さが生まれ――
目。
瞬きをするみたいに、黒が形を作った。
「……今の、見たか」
やけにいがらっぽく感じて、ハルカは喉に手を当てた。
ビープは、笑わない顔で頷いた。
「見たお。……嫌な予感がするお」
リングは、何事もなかったみたいにほどけて消える。
空気だけが、少し遅れて戻ってきた。




