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目立たない、控えめだと罵られた令嬢本気出す

作者: ピラビタ

 貴族令嬢であることに、誇りはあっても疑問を持ったことはなかった。

 少なくとも、あの日までは。


 レイナ・アルフェルドは、磨き上げられた回廊を歩きながら、ほんの少しだけ足を止めた。

 白を基調とした学園の壁は、どこまでも清潔で、隙がない。

 それはまるで――ここで生きる者は、余計な感情すら持ってはいけないと言われているかのようだった。


「……大丈夫よ」


 誰に聞かせるでもなく、そう呟く。

 今日もいつも通り。

 婚約者の隣に立ち、微笑み、相手を立てる。

 それが、レイナに求められている役割だった。


 名門アルフェルド侯爵家の一人娘。

 そして、次期宰相候補とも噂される青年――

 ディオン・クラウゼルの婚約者。


 幼い頃から決められた未来。

 選択の余地など、最初からなかった。


 けれど、当たり前だと思っていた日常は、ほんの一言で崩れ始める。


「レイナ様」


 中庭で呼び止められ、振り返る。

 そこに立っていたのは、淡い金髪を揺らす少女だった。


 マリエ・エストラン。

 ここ数か月で、急速に名を広めた子爵令嬢。


「少し、お話よろしいですか?」


 柔らかな声音。

 だが、その瞳には、確かな意思が宿っていた。


 ――嫌な予感がした。


 噴水の水音が、やけに大きく響く。

 マリエは人目を気にする様子もなく、言った。


「単刀直入に申し上げますね」


 そして、微笑んだまま。


「ディオン様とのご婚約、解消なさるおつもりはありませんか?」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。


 時間が、止まったように感じる。

 風が、頬を撫でる。

 噴水の水音だけが、現実を繋ぎ止めていた。


「……それは、どういう意味かしら」


 ようやく絞り出した声は、震えていなかった。

 それが、かえって自分でも不思議だった。


「ディオン様は、もっと前に出るべき方です」


 マリエは、まるで既に結論が出ているかのように続ける。


「社交界でも、学園でも。

 あの方には、隣で導く存在が必要です」


 導く。

 その言葉が、胸の奥に引っかかった。


「あなたは……控えめすぎる」


 悪意のない言い方だった。

 だからこそ、残酷だった。


 レイナは、何も言えなかった。

 否定する言葉は、いくらでもあったはずなのに。


 ――控えめ。

 それは、ずっと褒め言葉だと思っていた。


 *


 その日から、学園の空気が変わった。


 視線が、増えた。

 囁きが、背中に刺さる。


「……あの方が婚約者なの?」

「悪い人ではないけれど……ね」


 直接言われることはない。

 だからこそ、逃げ場がない。


 レイナは、何度も考えた。

 自分は、本当に相応しいのだろうか。


 夜、部屋で一人になると、思考は止まらなくなる。


 ディオンの隣に立つ自分。

 彼の未来を、狭めてはいないか。


 ――私が、足りないから?


 答えは出ない。

 けれど、心の奥に、確かな揺らぎが生まれていた。


 *


 数日後、ディオンと顔を合わせた。


「最近、何かあった?」


 いつもと変わらない声。

 だが、その一言に、胸が詰まる。


「いいえ、特には」


 反射的に、そう答えていた。


 ――言えなかった。

 自分の不安を、彼の負担にしたくなかった。


 ディオンは、少しだけ眉を寄せたが、それ以上は聞かなかった。


「無理はするな」


 それだけ。


 その優しさが、逆に苦しい。


 彼は、何も悪くない。

 悪いのは、自分の在り方なのではないか。


 *


 翌週、学園運営に関わる補佐業務で、小さな混乱が起きた。


「進行表が合っていません」

「この書類、承認が抜けています」


 場がざわつく中、マリエが前に出た。


「私が対応しますわ」


 迷いのない声。

 周囲は、自然と彼女を見る。


 レイナは、一歩下がった場所から全体を見ていた。


 ――違う。


 彼女の判断は早い。

 だが、全体を見ていない。


「……少し、よろしいですか」


 気づけば、レイナは声を上げていた。


 視線が集まる。


「こちらの行事と重なっています。

 人員を動かすと、別の支障が出ます」


 一瞬の沈黙。


「ですから、順番を変えましょう。

 こちらを先に片付ければ、混乱は最小限です」


 自分でも驚くほど、冷静だった。


 教師が頷く。


「……なるほど。

 エストラン令嬢、今回はアルフェルド令嬢の案で進めましょう」


 小さなざわめき。


 マリエは、僅かに目を見開いた。


 レイナは、胸の奥で、何かが静かに変わるのを感じていた。


 ――ああ。

 私は、前に出てこなかっただけなのだ。


 *


 その日の帰り道。


「さっきの判断、見事だった」


 声をかけてきたのは、見慣れない青年だった。


 落ち着いた佇まい。

 派手さはないが、目がよく周囲を見ている。


「……ありがとうございます」


「私はカイル・ローデン。

 外部監査のため、しばらく学園に滞在している」


 その名を聞いて、レイナは少しだけ驚いた。

 実務畑で名の知れた人物だ。


「あなたのような方が、なぜ今まで目立たなかったのか……不思議ですね」


 その言葉は、評価でも、口説きでもなかった。


 ただの、事実。


 胸の奥に、温かいものが広がる。


 ――私は、何者にもなれる。


 その可能性を、初めて自分自身が信じられた瞬間だった。


学園の夜は、昼間とは全く別の顔を見せる。

 窓から差し込む月光は淡く、長い影を床に落とし、廊下の石畳を冷たく照らしていた。

 レイナ・アルフェルドは、灯りを頼りに書類の山に目を通す。

 心の奥では、昼の小さな成功がまるで幻だったかのように揺らいでいた。


「……これで、十分なのかしら」


 自問する声は、誰にも届かない。

 だが、胸の奥がざわつくたび、心臓の鼓動は確かに存在を主張していた。

 彼女の中で、ずっと抑え込まれてきた不安が、少しずつ形を変えて顔を出す。


 ――私は、ただ“支えるだけ”でいいのか。


 数時間前、マリエ・エストランの一言が、胸に突き刺さった。

 控えめでいること、相手を立てること。

 それは一見、美徳に見える。

 だが、もしそれが自分の人生を縛る枷なら、果たして誇れるのか――?


 思考の渦に囚われたまま、レイナは書類の向こうに、遠くの月を見上げた。

 夜空に浮かぶ光は静かで、揺るがない。

 それと同じように、私も揺るがない存在でありたい。


 *


 翌日。

 学園の庭園は、朝露で光っていた。

 木々の葉が風に揺れるたび、微かな香りが空気を満たす。

 レイナは、手元の書類を片手に、静かに歩みを進める。


「アルフェルド令嬢」


 振り返ると、ディオン・クラウゼルが立っていた。

 彼は相変わらず、完璧な礼装に身を包み、表情も崩さない。

 だが、その目の奥に、微かな苛立ちが見え隠れしていた。


「進行表の件、順調ですか?」


 質問は冷静だ。

 しかし、彼の声のトーンがわずかに高まったことを、レイナは見逃さなかった。


「はい、問題ありません。優先順位を見直して整理しました」


 言葉を発しながら、レイナの胸は微かに高鳴る。

 自分の判断を受け入れ、ディオンが頷いた瞬間――

 その静けさに、密やかな達成感が混ざった。


 だが、心の片隅で、何かがまだ満たされない。

 それは、昼間のマリエの存在が常に引っかかっているからだった。


「……あなたは、控えめすぎる」


 あの声が、頭の中で反響する。

 控えめさは、褒め言葉でもあり、呪縛でもある。


 *


 昼下がり、図書室でのこと。

 レイナは資料の整理をしていた。

 そこへ、静かに扉が開き、先ほどの青年――カイル・ローデンが入ってきた。


「また、徹夜ですか?」


 地味で落ち着いた声。

 しかし、レイナはその一言で、気持ちが揺れるのを感じた。


「ええ、少し……整理したくて」


 微かに俯きながら答える。

 カイルは微笑み、書類を一つ手に取り、目を通す。


「あなたの判断は正しい。

 しかし、周囲が追いつくまで、もう少し手助けが必要かもしれません」


 言葉に余計な飾りはない。

 でも、伝わる重みが違う。


 ――支えてくれる存在とは、こういうことなのか。


 レイナは初めて、自分の選択が誰かに認められる喜びを噛み締めた。

 その瞬間、胸の奥に新しい光が差し込む。

 淡く、しかし確かに、自分の道が見えたのだ。


 *


 日が沈む頃、学園の回廊を歩くレイナの影は長く伸びる。

 噴水の水面に映る月は、静かに揺れていた。


 「もう、迷わない」


 心の中で呟く。

 この日から、彼女の決意は固まったのだ。


 ――自分の人生を、選ぶ側として歩む。


 小さな勝利、確かな自信。

 そして、まだ見ぬ未来。


 その全てが、重くも温かく、胸に響く。


数週間が過ぎた。

 学園の空気は、微妙な緊張感とともに変化していた。


 マリエ・エストランは、学園内での立場を徐々に失い始める。

 表向きは華やかで傲慢な微笑を保っているが、内心は焦燥に揺れていた。


 彼女が主導した計画は、小さな不手際や判断ミスにより、周囲の信頼を失いつつある。

 教師たちは眉をひそめ、同級生たちの視線も冷たくなる。

 ――かつて自分を崇めていた者たちの目が、今や距離を置くようになったのだ。


 レイナは、その様子を遠くから静かに見守っていた。

 胸に一抹の寂しさを覚えつつも、彼女は感情に流されなかった。

 自分は、他人を蹴落として成り上がるのではなく、

 自分の価値を積み上げてきたのだと、自信を噛み締めていた。


 *


 そして迎えた婚約の決着の日。

 広間には、侯爵家の面々、教師、友人たちが集まっていた。

 重厚なシャンデリアが光を落とす中、レイナは静かに立っていた。


 ディオン・クラウゼルが彼女の前に歩み寄る。

 その目は、以前よりも誠実で、互いの信頼を映すように穏やかだった。


「レイナ、話がある」


 大勢の視線が二人を見つめる中、ディオンはゆっくりと口を開いた。


「僕は、これからも君の隣に立ちたい。

 でも、君を縛ることはできない」


 言葉の重みが、レイナの胸に深く刺さる。

 彼は自分の立場や期待を押し付けず、

 互いに尊重し合える関係を望んでいた。


 ――選ばれる側ではなく、選ぶ側。


 レイナはゆっくりと頷く。

 微笑みを浮かべ、声を落ち着かせる。


「私も……自分で選びます」


 その瞬間、広間に静かな拍手が起こる。

 祝福というより、誰もが胸を撫で下ろすような、温かい拍手だった。


 *


 後日、レイナは学園内での新たな役割を与えられていた。

 授業補佐、イベント運営、書類整理――

 小さな仕事のひとつひとつを、彼女は確実にこなしていた。


 以前なら、見過ごされていた些細な判断も、

 今では多くの信頼を集め、周囲から頼られる存在になっていた。

 その変化を、彼女自身が一番実感していた。


 ある日、庭園でカイル・ローデンと出会う。


「また徹夜ですか?」


 微笑みを交わし、二人は歩き出す。

 肩を並べて歩く距離は、自然で、何のぎこちなさもない。


「今日は、あなたに手伝ってもらおうかと思って」


 カイルの声は落ち着いているが、確かな温かさを伴っていた。

 レイナは軽く頷く。


「よろしくお願いします」


 その瞬間、心が軽くなる。

 支えられる喜び、そして互いに尊重し合える関係。

 それが、これからの日々を支える確かな力になる。


 *


 学園の回廊に日が沈み、窓から差し込む光はオレンジ色に変わる。

 噴水の水面は、夕日に照らされてゆらゆらと光る。

 レイナは静かに息をつき、視線を前に向ける。


 ――ここからが、本当の私の人生だ。


 かつての不安も、嫉妬も、全ては過去の影。

 今は、自分の意思で歩む道がある。


 隣で歩くカイル、尊敬と信頼で結ばれた仲間たち。

 誰かの影ではなく、自分自身の光の中で生きる――


 レイナは、心から微笑んだ。


 春の風が、髪を揺らす。

 温かく、優しく、確かな未来を包み込むように吹き抜けていった。

このお話は、華やかな舞台や派手なざまぁは控えめですが、主人公が静かに、確実に評価を積み上げ、

自分の人生を手に入れる――

その過程を丁寧に描きました。


物語の最後には、

「自分の足で歩くことの喜び」と「未来を選ぶ力」を感じてもらえれば幸いです。


少しでも共感した、応援したい、スカッとした、

と思っていただけた方は、


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