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明治時代と同い年  作者: 槇村 a.k.a. ゆきむらちひろ


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明治三十八年(1905年)、日比谷焼打事件

 大正元年の秋。私は日比谷公園の縁を歩いていた。かつて陸軍の練兵場であったこの広大な土地は、今では西洋風の瀟洒な公園として整備された。モダンな洋装の男女が語らい、子供たちが無心に走り回る、平和そのものの光景が広がっている。


 だが、この穏やかな風景を見るたび、私の脳裏には七年前のあの日のことが思い返される。


 明治三十八年(1905年)九月五日。

 日比谷焼打事件。


 黒い煙と、怒号と、そして炎に包まれた、狂乱の一日。それは、日露戦争という国民が一体となって成し遂げた輝かしい勝利の、あまりにも異様で、そして悲しい結末であった。


 当時、三十七歳の官吏であった私は、あの事件をまさに当事者のひとりとして目撃した。そして私はあの炎の中に、明治という時代が、その頂点と同時に、ひとつの大きな曲がり角を迎えたことを、はっきりと見て取ったのである。


 あれは、単なる暴動ではなかった。それは「国民」という、明治国家が創り出した巨大なエネルギーが、初めて、その創造主である国家そのものに牙を剥いた瞬間であったのだ。


 まず、あの狂乱がなぜ起きたのか。その背景には、ポーツマス講和条約に対する、国民の、あまりにも深い「幻滅」があった。


 一年半以上に及んだ、あの日露の死闘。我々国民は、文字通りすべてを捧げて戦った。男たちは赤紙一枚で戦場へ赴き、血を流した。女たちは銃後を守り、慰問袋を縫い、戦勝を祈り続けた。そして国民すべてが、増税に次ぐ増税という重い負担に、文句ひとつ言わずに耐えていた。「一億一心」。「挙国一致」。その言葉に偽りはなかった。なぜなら我々には、この苦しみの先に、輝かしい勝利と、それに見合うだけの「報酬」が待っていると、固く信じていたからだ。


 新聞は連日、我が軍の勇猛果敢な戦いぶりを報じ、国民の戦意を煽り立てた。奉天会戦の勝利。日本海海戦の奇跡的な大勝利。その報に日本中が熱狂のるつぼと化した。我々は、世界最強と謳われた大国ロシアを、完膚なきまでに打ち破ったのだ、と。誰もがそう信じていた。


 だからこそ、国民が、講和条約に期待したものは、途方もなく大きかった。日清戦争の時を遥かに上回る莫大な賠償金。樺太全土、沿海州の割譲。それくらいのものを得て当然である、と。賠償金さえ入ればこの増税地獄からも解放され、戦死した家族への弔慰金も手厚くなるだろう。そんな、素朴で、切実な期待が、国中に満ち溢れていた。


 しかし、ポーツマスから届いた講和条約の内容は、その国民の期待を無残に打ち砕くものであった。


「賠償金、なし」。


 この一報がもたらされた時の、国民の、唖然とした表情。そして、それが瞬く間に、裏切られたという怒りへと変わっていった、あの空気の急激な変化を、私は忘れることができない。


「なぜだ」。「あれだけ勝ったのに、なぜ賠見金が取れないのだ」。「政府は、弱腰だ」。「小村寿太郎は国賊だ」。そんな声が、国中のあちこちから堰を切ったように噴出し始めた。


 政府部内にいた我々はその理由を知っていた。我が国の国力は、もはや限界であった。これ以上の戦争継続は、国家の破産と敗北を意味していた。賠償金なしという屈辱を飲んででも、一日も早く、戦争を終わらせるしかなかったのだ。


 だがその内情を、政府は国民に、正直に説明しようとはしなかった。いや、できなかった、と言うべきか。国民の士気を維持するために、これまで、あまりにも「勝利」を強調しすぎていた。今更、「実は、もう戦えません」などと、口が裂けても言えなかったのだ。この、政府と国民との間に横たわる、致命的な「情報の非対称性」。それこそが、あの日比谷の悲劇を生んだ最大の原因であった。


 九月五日、講和条約反対を叫ぶ国民大会が、日比谷公園で開かれた。主催したのは、一部の新聞社や、硬六派と呼ばれる対外強硬派の政治家たちであった。彼らは国民の素朴な不満を煽り、それを自らの政治的立場のために利用しようとした。


 その日の朝、私が霞が関の庁舎へ向かう道すがら、すでに、日比谷の周辺には、異様な熱気を帯びた群衆が集まり始めていた。彼らの顔には、理不尽な現実への純粋な怒りが漲っていた。


 政府は、この大会を危険と判断し、公園の入り口を閉鎖し、警官隊を配備して、群衆の立ち入りを禁じた。これが、火に油を注ぐ結果となった。


 「国民の声を、聞け!」。「公園を開けろ!」。怒号が飛び交い、群衆と警官隊との間で小競り合いが始まった。そして、誰かが柵を乗り越えたのをきっかけに、秩序は完全に崩壊した。数万の群衆が雪崩を打って、公園内になだれ込んだ。


 私は庁舎の窓から、その光景を、息を飲んで見つめていた。それはもはや、政治集会などではなかった。それは指導者も明確な目的も失った、巨大なエネルギーの奔流であった。


 公園での集会が終わった後も、その勢いは衰えることがなかった。群衆のエネルギーは行き場を求めて、市中へと溢れ出す。そして、群衆の一部が暴徒と化した。


 最初の標的となったのは、内務大臣官邸であった。群衆は官邸を取り囲み、石を投げ、門を破壊し、ついには火を放った。黒い煙が官庁街の空に不吉に立ち上る。


 次に彼らが向かったのは、講和を支持したとされる、政府系の国民新聞社であった。社屋は瞬く間に炎に包まれた。さらに暴徒は、市内の交番を次々と襲撃し、破壊し、焼き払っていった。警察は国家権力の、最も身近な象徴であったからだ。


 その日の夜の東京市の光景は、地獄絵図のようであった。

 あちこちから火の手が上がり、夜空を赤く染めている。割れるガラスの音。狂乱した人々の怒号。そして、鳴り響く半鐘の音。それはまるで戦場そのものであった。つい数ヶ月前まで、同じ国民として共に戦勝を祝い、万歳を叫んでいたはずの人々が、今や国家の施設に火を放ち、警官に襲いかかっている。


 私はこの光景に、深い戦慄と、そして、ある種の既視感を覚えていた。それは、私が父から聞かされていた、幕末の「ええじゃないか」の乱舞の光景に、どこか似ていた。旧い秩序が崩壊し、新しい秩序が生まれようとする混沌の瞬間。そこでは民衆の抑圧されたエネルギーが、時としてこのような破壊的な形で噴出する。


 日露戦争は、国民を「国家」という一つの目標の下に強力に統合した。しかし、その戦争が終わった瞬間、その統合のたがが外れ、行き場を失ったエネルギーが暴走を始めたのだ。


 政府は翌日、ついに東京市に戒厳令を布告した。軍隊が出動し、剣を着けた兵士たちが市中の警備に当たる。自国の首都を、自国の軍隊が鎮圧する。これ以上の、国家の失態はなかった。


 日比谷焼打事件。このわずか一日ほどの出来事は、我々日本人に、多くの、そして重い問いを、突きつけた。


 それは、第一に、「国民」とは、かくも恐ろしく、そして御し難いものであるという、為政者側の痛切な自覚であった。

 明治政府は、教育と徴兵によって、忠良なる「臣民」を創り出そうとしてきた。しかし、その「臣民」は、一度、国家への期待を裏切られたと感じた時、牙を剥く「暴徒」へと容易に変貌する。この事件以降、政府、特に山県有朋ら陸軍閥は、民衆の力に対する警戒心を極度に強めていくことになった。


 第二に、メディア、すなわち新聞の恐るべき影響力を白日の下に晒した。

 新聞は、無責任に国民の期待を煽り、講和条約への不満を増幅させ、結果としてこの暴動の引き金を引いた。言論の自由という文明国の証が、時として、国家の秩序を脅かす凶器にもなり得る。この事件は、その後の政府による言論統制強化の大きな口実を与えてしまった。


 そして第三に、それは、近代日本の、ある種の「青春時代の終わり」を、象徴していた。

 明治維新以来、我々は、「富国強兵」、「西洋に追いつけ」という、分かりやすい目標に向かって、国民が一丸となって坂を駆け上ってきた。日露戦争の勝利はその頂点であった。しかし、その頂点に立った瞬間、我々は祭りの後の、深い幻滅と空虚さを味わった。


 もはや、国全体を一つにするような単純な目標は存在しない。これからは、国内の様々な利害や意見の対立と向き合っていかねばならない。政府と国民。都市と地方。資本家と労働者。日比谷の炎は、そうした近代国家が必然的に抱え込む複雑な亀裂を、初めて白日の下に晒したのである。


 大正元年の今、デモクラシーの波が、日増しに高まっている。民衆は、政治へのより直接的な参加を求めている。その姿は、七年前の日比谷の群衆の姿に、どこか重なって見える。


 我々は、あの事件の教訓を本当に学んだのだろうか。

 民衆のエネルギーを、単に抑えつけるのではなく、いかにして建設的な方向へと導いていくか。政府は国民に対して、いかにして誠実に、正直に向き合うべきか。その極めて困難な問いに対する答えを、我々はまだ、見つけ出してはいない。


 日比谷公園の、平和な昼下がり。あの日の炎と怒号は、まるで幻であったかのように静まり返っている。だが、あの炎は決して消えたわけではない。それはこの国の、民衆の心の深い地層の中で、今もなお静かに、次の噴出の時を待っているのかもしれない。



 -了-

読んでいただきありがとうございます。

次回の更新は11月14日になります。


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