表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明治時代と同い年  作者: 槇村 a.k.a. ゆきむらちひろ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/18

明治三十八年(1905年)、ポーツマス条約

 大正元年。窓の外に見える官庁街の銀杏並木が、黄金色に染まっている。この穏やかな光景を眺めていると、わずか七年前の夏の日が、まるで遠い昔のことのように思えてくる。


 明治三十八年(1905年)、ポーツマス。アメリカ東海岸の、一介の軍港都市に過ぎなかったその地名である。だがこの年、この地名は、我々日本人の心に、栄光と深い屈折を伴う、忘れ得ぬ記憶として刻み込まれている。


 ポーツマス講和条約。それは日露戦争という、この国の存亡を賭けた死闘に終止符を打った条約であった。そして同時に、輝かしい勝利の凱歌の裏側で、我々が近代国家として初めて、国民と国家の「期待」の乖離という、苦い現実を味わった出来事でもあった。


 当時、三十七歳であった私は一官吏として、この講和の行方を固唾を飲んで見守っていた。その結末がもたらした、あの歓喜と怒りが渦巻く奇妙な熱狂を、今も肌で覚えている。

 あの条約は我々に何をもたらし、我々から何を奪っていったのか。大正の平和の中で、私は改めて、あの勝者の孤独に思いを馳せずにはいられない。


 我々はなぜ、あの講和を受け入れねばならなかったのか。その背景には、戦勝の華々しい報道の裏に隠された、我が国の、あまりにも厳しい実情があった。


 明治三十七年の開戦以来、我が軍は確かに奇跡的な勝利を重ねていた。鴨緑江を渡り、旅順を陥落させ、そして奉天の会戦でロシア陸軍主力を打ち破った。続く日本海海戦では、東郷大将率いる連合艦隊が、世界最強と謳われたバルチック艦隊を完膚なきまでに撃滅した。


 これらの報に、日本中が沸き立った。新聞は連日、勝利を讃える勇ましい記事を掲げた。国民は提灯行列に繰り出し、戦勝を祝う酒杯を酌み交わした。誰もが、我々は完全に、そして圧倒的にロシアに勝利したのだと信じていた。次はウラジオストクか、あるいはシベリアまで攻め上るのではないかとさえ、本気で語られていた。


 しかし、政府部内で、数字を扱う我々官吏が目にしていた現実は、その熱狂とはまったく異なっていた。


 奉天会戦は、確かに勝利した。だがそれは辛勝といっていいものであり、我が軍の損害もまた甚大であった。弾薬はほぼ尽きかけていた。そして何より、兵力の補充が限界に達していたのだ。これ以上、戦争を継続すれば、次の会戦では確実に負ける。それは軍首脳部と政府中枢の共通した、しかし、国民には決して明かせない極秘の認識であった。


 国家財政もまた、破綻の瀬戸際にあった。戦費は当初の予想を遥かに超え、国家予算の数倍にまで膨れ上がっていた。そのほとんどを、イギリスやアメリカで募集した外債、つまり借金で賄っていた。だがそれも、もはや限界であった。これ以上の戦争継続は、国家の破産を意味した。


 例えるならばこの時の我々は、土俵の上で横綱を大いに責め立て、今にも勝利を収めようとしている若手力士のように見えた。だがその実態は、張り手を続けた手は砕け、足はふらつき、あと一撃でも反撃を食らえばその場に倒れ込んでしまう、満身創痍の状態だったのである。


 この、国民の熱狂と、国家の厳しい現実との、巨大な乖離。その狭間で政府は、アメリカ大統領の仲介という、渡りに船の講和交渉に最後の望みを託したのだ。


 全権としてアメリカのポーツマスへ赴いたのは、小村寿太郎外相であった。小柄ながら、その双眸に鋼のような意志を宿した、稀代の外交官。彼に課せられた使命は、あまりにも過酷であった。それは疲弊しきった国家の内情をおくびにも出さず、あくまで「勝利者」として、ロシアから最大限の譲歩を引き出すというもの。あまりにも、至難の業であった。


 国民の期待は、天を衝くほどに高まっていた。新聞は無責任に、「賠償金は三十億円は取れるだろう」、「樺太全土と、沿海州も割譲させよ」など、威勢の良い言葉を書き立てた。日清戦争の時には、多額の賠償金と領土の割譲を得ている。今回はそれ以上の大国に勝ったのだから、それ以上の戦果を得るのは当然である、と。誰もがそう信じていた。


 しかし、交渉の相手であるロシアの全権・ウィッテは、老獪な外交官であった。彼は日本の内情を正確に見抜いていた。そして、交渉の冒頭から、驚くべき強硬な姿勢で、我々を揺さぶってきた。


「我々は負けてはいない。戦争を継続する力は、まだ十分にある。故に、賠償金は一ルーブルたりとも支払う意思はない。領土の割譲も、断じて認めない」


 それは交渉というよりは、恫喝に近いものであった。

 ポーツマスでの交渉は、連日、難航を極めた。小村全権は粘り強く、我が国の主張を繰り返した。韓国における日本の優越権、満州からの両軍の撤退、そして南樺太の割譲。これらは最低限、譲ることのできない一線であった。しかし、賠償金と樺太全土の割譲を巡っては、両者の主張は、平行線を辿るばかりであった。


 交渉決裂か、戦争再開か。その瀬戸際で、小村全権は最後の決断を下した。賠償金の要求を、完全に放棄する。そして、樺太については南半分のみの割譲で妥協する。彼は、この国がこれ以上、一歩も戦争を継続できないという現実を誰よりも理解していた。ここですべてを失うよりは、得られるものだけでも確保し、一日も早く戦争を終わらせる。それこそが真の国益である、と。


 明治三十八年九月五日。日露講和条約は調印された。その内容は、韓国における日本の指導権の確立、遼東半島南部の租借権、南満州鉄道の権益の譲渡、そして、北緯五十度以南の樺太の割譲。これだけであった。


 この条約の内容が日本に伝えられた時、国民の反応は、一つの巨大な「怒り」となって爆発した。「国辱である」。「これだけの犠牲を払って、賠償金もなしか」。「あれだけの勝利を収めながら戦果がこれだけとは、どういうことだ」。「政府は弱腰外交で、国民を裏切ったのだ」。「小村寿太郎は国賊である」。国内に飛び交った言葉は枚挙にいとまがない。


 新聞は、その国民の怒りをさらに煽り立てた。「屈辱的講和」。「国民を欺く政府」。そんな見出しが紙面を埋め尽くした。そして、その不満のマグマは、ついに暴動という形で噴出した。日比谷焼き討ち事件である。


 講和条約に反対する国民大会が行われ、そこに集まった群衆が暴徒と化した。そして、内務大臣官邸や交番、政府系の新聞社などを次々と襲撃し、火を放った。東京市は戒厳令下に置かれ、軍隊が出動する前代未聞の事態となった。


 当時の私は霞が関の庁舎で、窓の外に立ち上る黒い煙を呆然と眺めていた。つい数ヶ月前まで、「一億一心」や「挙国一致」を叫び、共に戦ってきたはずの国民が、その怒りの矛先を我々政府に向けている。このあまりにも大きな落差に、私は眩暈すら覚えた。


 勝ったはずなのに、なぜ我々は内輪で憎しみ合わねばならないのか。勝者の栄光は、どこへ行ってしまったのか。残されたのは、国民の間に深く刻まれた政府への不信感と、満たされなかった期待がもたらす空虚な焦燥感だけであった。


 小村全権が帰国した時、彼を待ち受けていたのは、凱旋将軍への喝采ではなく、「国賊」という罵声であった。彼はその罵声を一身に浴びながら、ただ黙して耐えていたという。彼の胸中に、いかばかりの無念と、国を救ったという自負が渦巻いていたことであろうか。


 大正元年の今、あのポーツマス条約を改めて冷静に振り返る。

 あの時の国民の怒りは、無理からぬことであった。彼らは、政府が隠していた国家の厳しい内情を知らなかったのだから。


 しかし、歴史の審判に照らせば、小村寿太郎の決断は間違いなく正しかった。あの時点で、彼があれ以上のものをロシアから引き出すことは不可能であった。もし彼が、国民の声に押されて交渉を決裂させていれば、どうなっていたか。日本はその後の戦争で敗北し、我々が手に入れたものすべてを失い、おそらくは国家の独立さえも危うくなっていたであろう。彼は、非難されることを覚悟の上で、国を滅亡から救った、真の愛国者であった。


 ポーツマス条約は、我々日本人に多くの、そして苦い教訓を残した。それは、戦争というものが、単に戦場で勝てば良いというものではない、という教訓であった。勝利を、いかにして国益に繋がる外交的な成果へと結びつけるか。その高度な政治的判断の重要性に直面した、歴史的事象であった。


 そして、近代国家において、政府は国民の熱狂的な世論とどう向き合うべきか、という、極めて重い問いを投げかけられた。国民に、耳の痛い真実を伝え、その理解を求めるべきなのか。あるいは、それを隠したまま、エリートが国家の舵取りを行うべきなのか。この問いに対する答えは、今なお出てはいない。


 日露戦争の勝利は、我々を「一等国」の地位へと押し上げた。だが、ポーツマスでの孤独な闘いは、我々に「一等国」であることの重い責任と複雑さを、初めて教えてくれた。


 あの栄光と屈折を経験したからこそ。我々は、単なる軍事大国ではない、真に成熟した国家へと脱皮せねばならない。


 穏やかな秋の日差しの中で、私は七年前の、あの熱く、そして苦い夏の日々を思い返す。そして、あのポーツマスの談判に臨み、その一身に国家の宿命を背負って戦った、小村寿太郎という孤独な勝者に、心の中で深く頭を垂れるのである。



 -了-

読んでいただきありがとうございます。

次回の更新は11月7日になります。


ブックマークや評価、感想などいただけると励みになります。

ぜひとも。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ