第2章16話 空駆ける焦燥
王都の西端側のダンジョンから出たリュゼルは、愛竜イグニシアに跨がった。
深紅の鱗を持つ火竜は、主の焦りを感じ取ったのか、いつもより低い唸り声を上げている。
「イグニシア、東へ向かうぞ。最速でな」
リュゼルの言葉に応えるように、火竜は翼を大きく広げた。
一気に上空へと舞い上がる。眼下に広がる王都の街並みが、瞬く間に小さくなっていく。
西から東へ。国土を横断する長距離飛行だ。
通常なら休憩を挟みながら進むところだが、今はそんな余裕はない。
晴歌が、一人で危険に立ち向かっているのだ。
上空を進みながら、リュゼルは地上を注意深く観察する。
ダンジョンの影響か、本来この地域には生息しないモンスターの姿が散見された。
「あそこだ」
集落の近くを徘徊する三体のゴブリンを発見する。
リュゼルは右手を地上に向け、魔力を練り上げた。
「《炎槍》」
空気を切り裂き、炎の槍が降り注ぐ。
正確に三体のゴブリンを貫き、一瞬で灰へと変えた。
さらに進むと、今度は空中を飛ぶワイバーンの群れが接近してくる。
リュゼルが魔法を放とうとするより早く、イグニシアが咆哮を上げた。
口から幾つもの火球が放たれ、ワイバーンたちを次々と撃墜していく。
「ああ、悪い。お前に任せる」
リュゼルは竜の首を軽く叩いた。
しかし、イグニシアの動きには、明らかに不満が滲んでいる。
いつもなら主の言葉に喜んで応えるはずなのに、やけに荒々しい。
「……機嫌が悪いのか?」
問いかけに対し、火竜は鼻を鳴らして顔を背けた。
まるで拗ねた子供のようだ。
リュゼルは苦笑しながらも、すぐにその理由に思い至る。
ここ数日、自分は晴歌のことばかり気にかけていた。
訓練の付き添い、食事の世話、執務の合間にも様子を見に行く。
確かに、イグニシアと過ごす時間は激減していた。
「すまん。少し構ってやれなかったな」
謝罪の言葉に、火竜の耳がぴくりと動く。
それでも、まだ不満げだ。
「この件が片付いたら、お前とゆっくり飛ぼう。約束する」
今度こそ満足したのか、イグニシアは飛行速度を上げた。
……まったく、竜も焼きもちを焼くのか。
内心で呟きながら、リュゼルは再び前方に視線を戻す。
王都の様子を見つつ、しばらく飛び続けると、横断しているダンジョンがいかに巨大か、いや、細長い大蛇のような存在なのだと気づいた。
ダンジョンの周囲にはモンスターだろう。
不規則に動く、複数の黒点が見える。
よく見ると、ダンジョン自体が横に動いている。
リュゼルは目を凝らした。ダンジョンの西端が、じわじわと東へ縮んでいくのが見える。
まるで巨大な布を引き寄せるように、少しずつ、しかし確実に。
「ハルカ……お前、力を使いすぎていないか」
胸に不安が広がる。
あれだけ巨大なダンジョンを動かすとなれば、膨大な魔力が必要だ。
いくら特殊な能力を持つ晴歌でも、消耗は計り知れない。
あの少女は、無理をしすぎる傾向がある。
さらに観察を続けると、もう一つ気になることがあった。
ダンジョンの縮小が、一定ではない。
スムーズに進んだかと思えば突然止まり、また動き出す。その繰り返しだ。
「……順調ではないのか?」
何かが、晴歌の作業を妨げている。
モンスターか。それとも、別の要因か。
いや、考えている場合ではない。
「イグニシア、速度を上げろ!」
火竜は主の命に応え、翼を力強く羽ばたかせる。
風を切る音が、さらに激しさを増した。
それでも、イグニシアは時折リュゼルの方を振り返る。
その目には、「私のことも心配してよ」とでも言いたげな色が浮かんでいた。
「分かってる。空の散歩の時に、お前の大好きな果物も用意しよう」
リュゼルがそう言って竜の首を撫でると、イグニシアは嬉しそうに鼻を鳴らした。
だがすぐに、また真剣な表情で東を目指す。
竜も、主が焦っていることを理解しているのだ。
待っていろ、ハルカ。今、必ず行く。
リュゼルは拳を握りしめた。
◇ ◇ ◇
ダンジョンの東端。その出口付近で、晴歌は力を振り絞っていた。
額に汗が滲み、呼吸が荒い。
足元がふらつきそうになるのを、必死に堪える。
それでも集中を切らさず、ダンジョンを引き寄せ続ける。
周囲には倒したモンスターの死骸が積み重なり、冒険者の亡骸は丁寧に並べられていた。
「ハルカ」
背後から声がした。
振り向くと、黒髪と緑色の眼を持つ女性が向かってきている。
自称、人と神のハーフで、神の存在を知っているという。
あるお願い事を頼んでいた相手だ。
「ナスタさん……」
「早速、国への報告書に貴方の伝言を追加したけれど……」
ナスタの視線が、晴歌の背後に広がる死体へ向けられる。
「どうして、こんな……非効率な。一度に引き寄せれば、ここまで疲弊しないでしょう」
晴歌は静かに答えた。
「ダンジョンを引き寄せる時、モンスターごと消せばいいって、最初は思ったんです」
ナスタは黙って続きを待つ。
「でも……私、元いた世界で医者になりたかったんです。人の体を治す先生に」
晴歌は自分の手を見つめた。
その手は、今は武器を握り、命を奪っている。
「この異変は、私が原因です。だから、巻き込まれた人たちは、せめて消さないように残しておきたかったんです」
「ハルカ……」
ナスタが何か言いかけた、その時だった。
ダンジョンの奥から、地響きのような足音が近づいてくる。
次いで、獣の咆哮が響き渡った。
現れたのは、身の丈五メートルはある巨大なトロールだった。
その周囲には、人間ほどの大きさの亜種トロールが十数体。
明らかに統率された動きで、二人を取り囲もうとしている。
「ハルカ、あなたはダンジョンの引き寄せに集中して。ここは私が食い止めるわ」
ナスタは両手剣を抜き、前に出た。
「でも――」
「いいから! 私は普通の人間よりは頑丈なのよ!」
ナスタの一喝に、晴歌は歯を食いしばって頷く。
再び力を集中させた。
目の前で、ナスタの剣が閃く。
神の血を引く彼女の身体能力は人間を遥かに超え、剣技も一流だ。
数体の亜種トロールが、一太刀で斬り伏せられる。
だが、相手も只者ではなかった。
巨大トロールが指示を出すように吠えると、亜種たちが連携して動き出す。
一体が前に出て攻撃する間に、別の二体が側面から襲いかかる。
さらに別の個体が、後方から投石を放った。
「くっ……!」
前方で、ナスタの剣が空気を裂く音が響く。
攻撃を捌きながらも、じりじりと後退を余儀なくされているのが見えた。
一対数体なら問題ない。
だが、これだけの数が連携されると、さすがに厳しい。
晴歌を守りながらの戦いは、さらに不利だった。
巨大トロールが腕を振り上げる。
その一撃を受ければ、ナスタでも無事では済まない。
――間に合わない。
晴歌とナスタが、そう思った瞬間。
二人の背後から、灼熱の奔流が迸った。
鞭のようにしなる炎が、晴歌とナスタを避けるように、精密に、そして圧倒的な力で、モンスターたちを薙ぎ払っていく。
亜種トロールが次々と燃え上がり、巨大トロールの腕が焼き切られた。
「ハルカ!」
炎の向こうから、聞き慣れた声が響いた。
晴歌が振り返ると、ダンジョンの出口に人影が見える。
逆光で、距離もある。
けれど、この声は――
「リュゼル……!」
リュゼルは駆け足で晴歌の元へと近づいてきた。
「無事か!」
「うん……! 来てくれたんだ」
晴歌の声が震える。
張り詰めていた緊張の糸が、ようやく緩んだ。
リュゼルは晴歌の肩に手を置いた。
「よく頑張ったな」
晴歌は小さく頷く。
ダンジョンの外では、イグニシアが得意げに鼻を鳴らしている。
主を無事に送り届けた誇らしさが、ここからでも伝わってくるようだった。
ナスタは肩で息をしながらも、リュゼルに軽く頭を下げる。
「助かったわ。これ以上は厳しかったところよ」
リュゼルは再び手に魔力を集めた。
まだ、戦いは終わっていない。
「ここから先は、俺も一緒だ」
その言葉に、晴歌は小さく微笑んだ。




