第2章 第11話『ただ、そこにいるだけで』
翌日から、晴歌は王都から一時間ほど離れた小さな森で、一人の生活を始めた。
川が近くを流れ、水の確保には困らない。モンスターの気配も薄く、安全な場所だった。
リュゼル、ティオ、フィアナは、それぞれの用事で王都に戻っていた。
「ここなら、魔力が暴走しても大丈夫」
一人呟きながら、晴歌は静かな森の生活に慣れ始めていた。
朝は川で顔を洗い、昼は近くの木の実を採取し、夜は焚き火を囲んで静かに過ごす。
時々、魔力の暴走で木の枝が折れたり、石に亀裂が入ったりするが、誰にも迷惑をかけることはない。
「少しずつ、コントロールできるようになってきたかも」
ふと視界の端のウィンドウを確認すると、まだ【状態:不安定】のままだが、震えは少なくなっている。
◇ ◇ ◇
それから五日が過ぎた昼下がり、森の入り口からティオが慌てたような様子で現れた。
「ハルカ!大変だ!」
「ティオ!どうしたの?」
晴歌が驚いて立ち上がる。
「学術ギルドで文献を調べていたら、所長に声をかけられた」
ティオが息を切らしながら説明する。
「お前と一緒に行動しているエルフがいると聞いた、と。それでハルカのことを……」
「私のこと?」
「ダンジョンを破壊する少女の話は、既にギルド内でも噂になっていたらしい。所長が直々に、一度力を見せてほしいと言ってきた」
晴歌の表情が曇る。
「でも、今の私の力は不安定で……」
「それも話したんだが、むしろそれで興味を持たれてしまった」
ティオが困ったような表情を見せる。
「客観的にの力を調べることで、不安定な理由がわかるかもしれないと。一応断ったんだけど……もしかしたらここに……」
ティオが言いかけた時、森の入口の方から馬車の音が聞こえてきた。
「まさか……」
ティオの顔が青ざめる。
「俺の後をつけてきたのか」
馬車が止まり、数人の研究者風の男女が降りてきた。その中には、威厳のある初老の男性もいる。
「これは失礼。森の中まで押しかけてしまって」
男性が丁寧に頭を下げる。
「学術ギルドの所長、アレクセイ・ヴォルコフと申します」
「あの……私は……」
晴歌が戸惑っていると、所長が優しく微笑んだ。
「ハルカ殿ですね。お噂はかねがね」
「力を見せてほしいなどと、失礼な申し出をしてしまい申し訳ありません」
所長が再び頭を下げる。
「ただ、この国の魔法研究にとって、非常に貴重な機会でして」
「でも……」
「もちろん、強制するつもりはございません。ただ、もしよろしければ、一度ギルドにいらしていただけませんでしょうか」
「今の私の力は不安定で、危険かもしれません」
晴歌が遠慮しようとすると、所長の表情が少し変わった。
「それこそ、我々が調べたい部分です。魔力の不安定さの原因を解明できれば、君の助けにもなるでしょう」
研究者たちが晴歌を囲むように立つ。
「…彼女に触れるのはやめた方がいい」
ティオが前に出ようとしたが、研究者の一人が制止した。
「エルフ殿もご一緒に。貴方の観察眼も必要だ」
「これは……半ば強制的だな」
ティオが小さく呟く。
「まあ、そういうことです」
所長が苦笑いを浮かべる。
「国家機密に関わることですから、ある程度の強制力は必要でして」
結局、晴歌とティオは馬車に乗せられることになった。
◇ ◇ ◇
学術ギルドの地下にある"忘却の大書庫"。
かつて、神々との契約や失われた魔法、禁書が眠っていたとされる場所。
「ここは……」
晴歌が息を呑む。
棚それぞれに結界が張られ、講堂のような開けた空間が広がっている。
案内役は数人の研究者たち。彼らは晴歌に礼儀は尽くすものの、目を合わせようとはしない。距離を取り、彼女の背後でささやく。
「やはり……近くにいるだけで、空気の流れが変わる」
「触れていないのに、魔力の反応が――」
「地下二階は許可のある者しか入れません。ここには非常に貴重な書物があります」
所長の説明を聞きながら、ティオだけが彼女の側にいる。だが、彼は内心では危機感を募らせていた。
(これはまずい……この状況をフィアナやリュゼル、いや王子に報告しなければ)
晴歌の魔力があまりにも異常で、このままでは取り返しのつかないことになりかねない。だが、今は彼女のそばを離れるわけにはいかなかった。
「念の為、冒険者ギルドからも魔力の高い者を派遣してもらっています」
所長が説明する中、晴歌が横目で見ると、派遣された魔法使いたちの中にフィアナの姿があった。
彼女と目が合うと、フィアナは心配そうな表情で小さく頷いた。
「何かあった時のために、複数の魔法使いで対応する予定です」
◇ ◇ ◇
調査対象の棚のひとつが、古い禁書の封印を受けていた。
晴歌が近づくと、封印が"軋む"ような音を立ててひび割れはじめる。
「あ……これ、触れてない……のに」
彼女は何もしていない。手も伸ばしていない。
けれど、"力"が勝手に放出され、魔法障壁を破り、周囲の本が崩れていく。
研究者たちは一斉に下がる。
封印が解除される直前、彼女がとっさにその書を"壊して"しまう。
本は光に包まれ、紙の粒子となって空間に溶けた。
「やめたいのに……やめられない……」
ティオは結界を展開し、被害が広がらないように力を展開している。
「……ごめんティオ!……どうしよう……止まらない!」
騒ぎの中、一般市民の立ち入り区域にまで魔力の波が届いてしまう。
大理石の床が軋み、ランプが割れ、窓が砕ける。
"何もしていない"彼女の周囲だけが、静かに崩壊していく。
フィアナが騒ぎに気づき、結界をはる魔法を展開しながら晴歌たちのそばに近づいてくる。
「……何よこれ!どうやったら、こんな力が現れるわけ!?」
「……何もしていない」
「え……?」
「何もしていないけど、何かの禁書に選ばれたようだ」
ティオの声が震える。
さらに晴歌の力が大きくなる。
二人の力でも抑えきれなくなってきた。
「やだ……止めて……誰か……」
「皆で結界を張ればなんとかなるかもしれません!」
学術ギルドの研究者の一人がそう叫んだ時、さらに晴歌の力が増大した。
双子たちも苦しそうな表情をするようになってきた。
「……だめだ!みんな早くここから逃げろ!!」
必死の形相のティオの叫び声に、学術ギルドの人達は一斉に外に向かって走り出した。
「ハルカ!気をしっかり持って!魔力を体の中で押さえ込むように集中して!」
フィアナの声があまり聞こえなくなっている。
騒ぎに駆けつけた騎士団。
リュゼルもいる。
「ハルカ……!?」
「リュゼル……助けて……」
声にならない声が黒い光にかき消されて——
晴歌ごと消えた。
その瞬間、結界が張られていた書物が棚から落ち、天井にあったランプも落ちてきた。
ティオたちは再度結界を張り、ギルド全体に行き渡らせるようにした。
中にいる人達を落下物などから守るために。それは簡単に広げることができた。
「……私達の力が足りなかったんじゃない。ハルカの力が強すぎたのよ」
フィアナが息を荒げながら言う。
「……それもあるが、禁書の力もある。なぜギルドはこの場所を指定したんだ……?」
ティオが疑問を口にする。
所長が青ざめた顔で答える。
「封印された禁書との反応を見たかったのです……まさか、これほどとは」
入り口のあたりで、リュゼルが膝をついている。
魂の抜けた亡骸のように。
「……ハルカ?どこに行ったんだ……?」
その声は、誰の耳にも届かなかった。
広い書庫の中に、ただ静寂だけが残されていた。
晴歌は——消えてしまった。




