第2章 第10話『王都の外で』
「軽い魔力の疲労ですが、一週間ほど安静にしていれば回復します」
城の医師が晴歌の脈を確認しながら告げる。
「ただ、魔力の流れが少し不安定のようですね」
「不安定……?」
晴歌が心配そうに尋ねる。
「ええ。感情の変化が魔力に直結しているようです。何か心配事でも?」
医師の問いに、晴歌は昨日の父の死を知った衝撃を思い出す。
「……はい」
小さく答えた瞬間、目元がうるんだ。慌てて俯き、涙を堪える。
医師はその様子に気づいたが、それ以上は詮索しなかった。
「そうですか。では、心の安定が一番の薬でしょう」
医師は薬草の粉末を小袋に入れて渡してくれた。
「夜寝る前に、これをお湯に溶かして飲んでください。心が落ち着きます」
◇ ◇ ◇
診察室から出ると、廊下でリュゼルが立って待っていた。
「どうだった?」
「軽い疲労だけ。一週間安静にしてればよくなるって」
「よかった……本当に」
リュゼルの表情に安堵の色が浮かぶ。
「あの高さから落ちて無傷だなんて、本当だったんだって実感する」
「ごめん、心配かけて」
晴歌が小さく頭を下げると、リュゼルは彼女の肩に手を置いた。
「謝らなくていい。無事でよかった」
◇ ◇ ◇
その夜、晴歌は客室のベッドに横になっていた。
医師にもらった薬草茶を飲んで、ようやく心が落ち着いてきた頃——
ふと、視界の端に浮かんでいるウィンドウに目が留まった。
【記録:19/残数:81】
【状態:不安定】
「……不安定?」
いつから変わったのだろう。前は確か【やや不安定】だったはずなのに。
よく見ると、ウィンドウ自体も微かに震えている。まるで壊れかけの機械のように。
「この状態って……私の心の状態と関係があるの?」
小さく呟いてから、晴歌ははっとした。
(もしかして、私が感情的になると魔力が不安定になって……)
城の医師の言葉を思い出す。『感情の変化が魔力に直結している』。
そして今日、空の庭園で——歩いただけで石が割れた。
◇ ◇ ◇
翌朝、晴歌はティオ、フィアナ、リュゼルを城の一室に呼び出した。
「実は、お話があります」
三人が揃うと、晴歌は深く息を吸った。
「しばらく、王都の外で過ごしたい」
「……どういうことだ?」
リュゼルが眉をひそめる。
「昨日のことで、私の力が不安定になってるのを感じるの」
晴歌は視界の端のウィンドウのことを話した。【状態:不安定】という表示に変わっていること、それが自分の感情と関係しているかもしれないこと。
「城にいると、みんなに迷惑をかけるかもしれない」
「迷惑って……」
フィアナが心配そうに言いかける。
「私、昨日のダンジョンの床を割っちゃったの。歩いただけで」
ティオとフィアナが顔を見合わせる。
「それは……確かに問題だな」
ティオが冷静に分析する。
「感情の高ぶりが破壊の力を暴走させているのか」
「だから、しばらくは離れた場所で、一人で過ごしたい」
「だめだ」
リュゼルが即座に否定した。
「一人で野宿なんて危険すぎる」
「でも……」
晴歌が困ったような表情を見せる。
「この世界に来たばかりの頃、誰も頼れずに一人で過ごした時期があった。あの時に比べれば、今はまだ大丈夫」
「ハルカ……」
フィアナが心配そうに声をかける。
「それに、みんなにもそれぞれやるべきことがあるでしょ?」
晴歌がリュゼルを見つめる。
「リュゼルには騎士団の任務があるし、ティオには調べ物があるし、フィアナには……」
「私は別に……」
「ううん。フィアナだって何か依頼受けてるでしょ?」
晴歌が小さく微笑む。
「私に気を遣って言わないでいてくれてるけど、わかってるよ」
晴歌が首を振る。
「私のせいで、みんなの時間を奪いたくない」
「分かった」
リュゼルが渋々頷いた。
「でも、条件がある。一日一回は連絡をくれ。それと、何かあったらすぐに戻ってくること」
「ありがとう」
晴歌が安堵の表情を見せる。
「私も、お前のウィンドウとやらの件を調べてくる」
ティオが立ち上がる。
「森に戻って、古い文献を確認してみる」
フィアナが少し寂しそうに言う。
「でも、本当に一人で大丈夫?」
「うん。魔法も使えるようになったし、経験もあるから」
晴歌が微笑む。
「みんなも時々様子を見に来てくれるでしょ?」
◇ ◇ ◇
その午後、四人はルディアン王子の執務室を訪れた。
「一人で野宿……ですか」
王子が心配そうな表情を見せる。
「はい。私の力が不安定で、いると危険かもしれない」
晴歌が昨日の出来事とウィンドウの変化について説明すると、王子は深刻な表情になった。
「確かに、人への被害は避けたいですね」
「俺たちも、それぞれ時間が空いた時に様子を見に行くよ」
リュゼルが補足する。
王子は少し考えてから頷いた。
「分かりました。ハルカにはリュゼルからも言われていると思いますが、こまめに連絡をお願いします」
晴歌がリュゼルを見ると、彼が苦笑いを浮かべた。
「一日一回って言ったんだが……」
「毎日は大変でしょう。でも安全確認は必要ですから」
王子が優しく微笑む。
「三日に一度程度で構いません」
「ありがとうございます」
四人が頭を下げる。
「必要な物資は城で用意します。テントや食料、護身用の道具なども」
「すみません、色々と……」
「いえ。君の安全と、国民の安全、両方が大切ですから」
王子の理解のある言葉に、晴歌は感謝の気持ちでいっぱいになった。
◇ ◇ ◇
夜が深まった森で、晴歌は一人焚き火の前に座っていた。
テントの設営は思ったより大変だった。支柱を立てようとした瞬間、魔力が漏れて木の棒が真っ二つに折れてしまった。
「やっぱり不安定なんだ……」
火を起こそうとした時も、いつもより炎が大きく燃え上がって慌てて魔力を抑えた。川で水を汲む時は、水面に亀裂のような波紋が広がって、魚たちが驚いて逃げていった。
「みんなに心配かけなくて、よかった」
小さくつぶやきながら、晴歌は炎を見つめる。
ゆらゆらと揺れる炎を見ていると、ふと——
(お父さん……)
頭に浮かんだ瞬間、晴歌は慌てて首を振った。
「ダメ、考えちゃダメ」
でも、一人でいると、どうしても思い出してしまう。
もう会えない人のこと。聞けない声のこと。
(考えないで。今は、今のことだけ考えよう)
そう思った瞬間、焚き火の近くにあった枝が、ぱきり、と音を立てて折れた。
晴歌は息を止める。また魔力が……。
周りを見回すと、他にも細い枝がいくつか折れている。
「感情が高ぶると、ダメなんだ」
深く息を吸って、心を落ち着ける。
星空を見上げながら、晴歌は小さく呟いた。
「大丈夫。一人でも、大丈夫」
風が木々を揺らし、遠くでフクロウが鳴いた。
静かな森の夜が、ゆっくりと更けていく。
◇ ◇ ◇
【神々の対話——白の回廊にて】
世界のどこにも存在しない、白く無垢な光に包まれた回廊。
白い神がひとり、虚空を見つめていた時、影のように黒い神が現れた。
「彼女を見ているのか」
黒い神の声は、静かだが重みがあった。
「……」
白い神は答えない。ただ、どこか遠い場所を見つめている。
「彼女は今、ギリギリのところにいる」
黒い神が続ける。
「力は不安定になり、心も揺れている。それに……」
黒い神が少し言い淀む。
「まさか、破壊の力だけでなく、創造神の禁書にまで選ばれるとは思わなかった」
「……私たちでさえ触れることができない力を、彼女は手にした」
白い神が苦しそうに呟く。
「創造神が生み出した禁書の力……私たちには生み出すことも消すことも叶わない」
「君が与えた破壊の力と、創造神の禁書から得た再生の力。二つの相反する力が彼女の中でせめぎ合っている」
黒い神の表情が厳しくなる。
「しかも、片方は私たちの力、もう片方は私たちを超越した力だ」
「このままでは、彼女の精神が持たない」
「分かっている」
白い神がようやく口を開いた。
「だが、創造神の力が絡む以上、私にできることは……」
「君はこのまま傍観するのか?」
黒い神の瞳に、わずかな怒りの色が浮かぶ。
「君が彼女をこの世界に呼んだのに。君が彼女にその力を与えたのに」
白い神の表情が苦しそうに歪む。
「私は……もう、介入すべきではない」
「そうか」
黒い神が静かに息を吐く。
「では、私が動こう」
「待て」
白い神が手を伸ばすが、黒い神はすでに姿を消していた。
回廊に、再び静寂が戻る。
白い神はひとり、拳を握りしめた。
(……すまない、晴歌)
その想いは、遠い森にいる少女には届かない。
ただ風だけが、木々の隙間を吹き抜けていった。




