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ただ帰りたいはずだったのに、私は壊す者になった  作者: 川浪 オクタ
第2章 『束の間の平穏』

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第2章9話『空に近い園庭』

城の裏側に到着した三人を迎えたのは、見張りの騎士たちの困惑した表情だった。


「お疲れ様です。ハルカ様たちがいらしてくださって助かります」


騎士団長が深々と頭を下げる。


「状況はいかがですか?」


ティオが尋ねる。


「それが……見えるでしょうか?」


騎士団長が指差す先を見ると、晴歌には確かに見えた。

空中に浮かぶような、透明な階層の先にぽっかりと存在する不思議な空間。


「見えます」


「やはり……我々には全く見えないのです」


騎士団長が困ったような表情を見せる。


「魔力探知でのみ、その存在を確認できる状態で……」


フィアナも目を凝らすが、首を横に振る。


「私たちにも見えないわね」


「魔力の流れは感じるが、形は見えない」


ティオも同様だった。


晴歌だけが、その空に近い園庭を視認できていた。


◇ ◇ ◇


「どうやって中に入れば……」


フィアナが困惑していると、晴歌の周りの空気が微かに揺らいだ。

まるで何かに導かれるように、晴歌の足が前に出る。


「ハルカ?」


ティオが声をかけた時には、もう晴歌の姿が薄っすらと透けて見えていた。


「私だけが入れるみたい」


晴歌が振り返ると、声は聞こえるが姿がかすんでいる。


「危険だ。戻ってこい」


「大丈夫です。何かあったらすぐに戻ります」


そう言って、晴歌は完全にダンジョンの中へと消えていった。


◇ ◇ ◇


空に近い場所だった。


魔力が希薄で、どこまでも静かで、まるで深海のような透明な静寂に包まれている。

足元には石畳のような地面が浮かんでいた。草も花も咲かず、ただ静寂だけがそこにあった。

晴歌はそっと歩き出した。


けれど――


ぱきり。


右足の着地と同時に、足元の石が音を立てた。


「また……?」


見下ろした石に、蜘蛛の巣のような細かな亀裂が走っていた。

触れていない。何もしていない。ただここに立っているだけなのに――壊れる。


◇ ◇ ◇


そのとき、胸元のキーホルダーがふっと光を放った。

淡い光が広がり、水面のように揺れる光の中に顔が映る。

懐かしい、けれど見慣れない顔だった。


「……晴歌?」


最初に言葉を発したのは、向こうだった。


そこに映るのは幼なじみの陽翔。だけど随分と大人になっていた。顔つきも落ち着いていて、もう完全に青年の雰囲気だった。


彼の腕の中には、赤ん坊がいた。


「びっくりした。まさか今、繋がるとは……あ、ごめん。急に話して大丈夫?」


晴歌はようやく小さく首を振った。言葉にならなかった。


「大学卒業して、就職して――それで、結婚して……今は、子育てしてる。夜泣きが結構大変で」


彼は昔みたいに、照れくさそうに肩をすくめて笑った。


けれど、晴歌は笑えなかった。


「……元気……だった?」


かろうじて絞り出した声が、ひどく遠くに感じた。

陽翔は一瞬だけ目を伏せ、それから涙を堪えるように小さく息を吸い、それでも無理に笑った。


「うん……ずっと、元気だったよ」


◇ ◇ ◇


「……晴歌。おじさんのこと、知らないよね」


晴歌の表情が凍りつく。


「去年……亡くなったんだ」


静かだった空が、いっそう静まり返る。


何も聞こえない。けれど胸の中だけが、ぐらぐらと揺れ始めた。


「おばさんが……お前のこと、時々話してる。おばさんも……まだ、晴歌の部屋、片づけてないらしい……なんか、帰ってくるって信じてるみたいで」


彼は笑いながらそう言ったけれど、その笑いは少しだけ寂しそうだった。


「こうして話せてるのに……お前が遠くにいる感じ、するんだよな。昔みたいに、何気なく話せないっていうか……お前が、どんどん遠くに行っちゃったみたいで」


晴歌は、もう何も言えなかった。


そして――キーホルダーの光は、すっと消えた。


◇ ◇ ◇


ふと気づくと、園庭の奥にあった石造りの装置が音もなく崩れ落ちていた。

地面にも細かなひびが増えている。


「私は、何も壊したくなかったのに」


その瞬間、ダンジョン全体が激しく揺れ始めた。

空中に浮かんでいた石畳が次々と崩れ落ち、空間そのものが歪み始める。


「お父さん……死んじゃったんだ……早く……帰りたい……ごめんねお父さん」


涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。父親に会えないまま時間だけが過ぎてしまった悔しさと、一刻も早くダンジョンを壊して帰らなければという焦燥感が胸を締め付けた。


その強い想いが空間に伝わったのか、ダンジョン全体が激しく揺れ始めた。


◇ ◇ ◇


「ハルカ!」

外で待っていたティオとフィアナの叫び声が聞こえる。

ダンジョンが崩壊し、晴歌の体が空中に投げ出される。

城の最上階をはるかに超える高度から、まっすぐに地面へ向かって落ちていく。


意識が遠のく中、晴歌は思った。


(これで……終わりなのかな)


でも不思議と、怖くはなかった。


◇ ◇ ◇


「ハルカ!ハルカ!」


フィアナの声で意識を取り戻すと、晴歌は地面に倒れていた。


「大丈夫?怪我はない?」


慌てて体を確認するが、傷ひとつない。


「あんなに高いところから落ちたのに……」


ティオが信じられないという表情を見せる。


「本当に……不老不死なのか」


二人は晴歌の体験談が真実だったのだと、改めて実感していた。


周囲にいた騎士団や王宮の魔法使いたちも、この一部始終を目撃していた。


「この件については、まず王子殿下にご報告する。それまでは王族以外への口外を禁ずる」


騎士団長は、晴歌がダンジョンを破壊する力を持つことは王子から聞いていたが、これほどの異常事態は想定外だった。あの高度から落ちて無傷など、常識では考えられない。王宮内に混乱を招く前に、まず上層部の判断を仰ぐ必要があった。


全員が神妙に頷いた。


◇ ◇ ◇


その光景を、少し離れた茂みの影から見つめる者たちがいた。


セレスティア・フォン・ヴィルヘルムと、彼女の従者たちだった。


リュゼルへの想いから、晴歌という少女について密かに調査していた彼女は、王子がダンジョン探索を依頼したと聞き、何か問題が起きないか心配になってここまで来ていたのだった。


「お嬢様……あれは一体……」


従者が震え声で呟く。


「あの高さから落ちて、無傷なんて……」


セレスティアの美しい瞳に、深い疑念の色が浮かんでいた。


「ハルカという少女……一体何者なのでしょう」


風が吹いて、セレスティアの金髪が揺れる。

その表情には、今まで見せたことのない複雑な感情が宿っていた。


◇ ◇ ◇


「本当に大丈夫?」


帰り道、フィアナが何度も晴歌の体調を確認する。


「うん……でも、少し疲れた」


「当然だ。あんな経験をしたんだから」


ティオが優しく言う。


「でも……あのダンジョンで何があったんだ?」


晴歌は少し考えてから、小さく答えた。


「故郷の声が聞こえた。でも……もう、私の帰る場所じゃないって分かった」


二人は、それ以上何も聞かなかった。


ただ、晴歌の隣を歩き続けた。


夕日が三人の影を長く伸ばしながら、城への道は続いていく。

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