第20話『心の声』
「ハルカ……」
リュゼルの声が、いつもと違った。
震えてて、切なくて、苦しそうで。
「お前を……この世界に閉じ込めたい……」
晴歌は息を呑んだ。
リュゼルの腕が、ぎゅっと晴歌を抱きしめてる。
「帰るな……俺の傍にいてくれ……」
涙声。震える手。
(これは……幻影? それとも)
「リュゼル! しっかりしろ!」
ティオが肩を掴むけど、リュゼルは動かない。
「ハルカ、防御魔法を彼にも!」
フィアナの声に、晴歌は我に返った。
震える手で、リュゼルに光の膜を張る。
その瞬間、リュゼルの体がびくっと震えた。
「……ハルカ? 俺……何を……」
金色の瞳に、正気の光が戻る。
リュゼルは慌てて晴歌から離れて、壁にもたれた。顔が真っ赤だ。
「よかった……気分は、どう?」
「……最悪だ」
リュゼルは顔を覆った。
「俺、何か口走ってた……?」
晴歌は一瞬迷った。でも――
「ううん、大丈夫」
嘘をついた。
リュゼルはほっとしたような、でも複雑な表情をした。
「どこまで覚えてる?」
ティオが静かに聞く。
「……全部。でも体が勝手に動いた。あの黒い靄のせいか?」
「そうだ。人の心の奥底にある想いを引き出して、暴走させる」
フィアナが説明する。
「ハルカが言ってた黒い靄、サラちゃんから消えた時の残りが、お前に移ったんだろうな」
ティオが冷静に分析した。
「見えない俺たちには分からなかったが、ハルカには見えてた。だから防御魔法で払えた」
「あの子が"お母さんがいる"って言ってたのは……」
「聞こえた。俺にも聞こえてた」
リュゼルは拳を握りしめた。
晴歌は、リュゼルの言葉がまだ胸の奥で響いてた。
(あれは……本心? それとも幻影?)
分からない。でも、確かに。
心が揺れてた。
◇ ◇ ◇
リュゼルがサラを背負って、四人は階段を上り続けた。
九階、十階、十一階――
階段を上がるたびに、景色が変わる。
昼、夕、夜、朝。時間がぐるぐる回ってる。
そして十二階――
「いた!」
フィアナが叫んだ。
広い部屋に、騎士団と冒険者たちがいた。彼らは塔の構造を記録してる最中だったらしい。
壁に魔法陣を描いて、記録用の羊皮紙に何か書き込んでる。
でも――
「おかしい……みんな、動きが」
騎士たちの目は虚ろで、冒険者たちは壁に向かって話しかけてた。
「幻影に飲まれてる……」
ティオが眉をひそめる。
「ハルカ、お前の防御魔法で全員正気に戻せるか?」
リュゼルが聞くと、晴歌は頷いた。
「やってみる」
晴歌は深く息を吸って、魔力を集中させた。
一人、また一人と、光の膜を張っていく。
最初は簡単だった。でも五人、十人と増えるにつれて、体が重くなっていく。
(まだ……あと少し)
額に汗が滲む。視界が揺れる。呼吸が苦しい。
「ハルカ、無理するな!」
「大丈夫……」
でも声が震えてた。
十五人目。十六人目。十七人目――
最後の一人に光の膜を張った瞬間、晴歌の膝が崩れた。
「ハルカ!」
リュゼルが支える。
「ごめん……ちょっと使いすぎた」
「お前、無茶しすぎだ」
リュゼルの声は怒ってるみたいで、優しかった。
◇ ◇ ◇
正気を取り戻した騎士団と冒険者たちは、困惑してた。
「何があった……?」
「幻影に飲まれてたみたいです。この子が助けてくれました」
騎士団長が晴歌に頭を下げる。
「調査結果は記録できたか?」
リュゼルが聞くと、騎士団長は頷いた。
「ああ、十二階までの構造は大体記録できた。幻影に飲まれる前の分だけだが……まあ、戻ってからでも報告書は書ける」
「サラ・フェリオンも保護した。すぐ外へ」
ティオとフィアナが代わりにサーチで全階を確認する。
「もう誰もいない……おそらく今のところは」
ティオが静かに報告した。
「よし、行くぞ」
リュゼルの指示で、全員が塔を降りる準備をした。
でも晴歌の足が、もつれた。
「ハルカ!」
リュゼルが咄嗟に抱きかかえる。
「ごめん……ちょっと立てない」
「無理すんな。俺が運ぶ」
「……えっ!?」
リュゼルは晴歌の肩に腕を回して支えようとしたが、身長差があって歩きづらい。
「ふふ……ハルカ、横抱きにしてもらえば?」
フィアナが提案する。
「横抱き?」
晴歌はきょとんとした。
「階段で横抱きは危なくないか?」
ティオが冷静に指摘する。
「……じゃあ」
リュゼルは少し照れくさそうに背中を向けた。
「背負う。それが一番安全だ」
「うっ……お……お願いします……」
晴歌は小さな声で答えた。
リュゼルは晴歌を背負って、階段を降りていく。
(顔が熱い……恥ずかしい……でも)
リュゼルの背中は、温かかった。
塔を出ると、外の空気が冷たくて心地いい。
夕日が塔を赤く染めてた。
「サラは騎士団に任せる。ハルカはここで休め」
リュゼルは晴歌を木陰に座らせた。
フィアナが水筒を差し出す。
「はい、飲んで」
「ありがとう……」
冷たい水が、喉を潤す。少しずつ、体が楽になっていく。
「魔力使いすぎだ。しばらく休まないと」
ティオが晴歌の額に手を当てる。冷たくて気持ちいい。
「ごめん……みんなに心配かけて」
「謝らなくていい。でも次からはもっと早く言え」
リュゼルが優しく頭を撫でた。
十分ほど休むと、体が少し楽になった。
「もう大丈夫」
晴歌は立ち上がった。
騎士団長が近づいてくる。
「ハルカ殿、塔の調査は完了した。危険度Aランクと判定する。このまま放置すれば、また犠牲者が出る」
騎士団長は晴歌を真っ直ぐ見た。
「王子から話は聞いている。破壊の許可を出す。我々がここから離れてから数分後に頼む。この塔を、壊してくれ」
晴歌は頷いた。
リュゼルが心配そうに晴歌の顔を覗き込む。
「ハルカ、大丈夫か?」
「うん」
晴歌は塔を見上げた。
(もう誰もいない。壊しても大丈夫)
◇ ◇ ◇
手を伸ばして、破壊の力を集中させる。
でも今回は、ただ壊すんじゃない。
(この塔が持ってた記憶も、想いも、全部受け止めて)
ゴゴゴゴ……と地響きが始まって、塔にひびが走る。
そして――
崩れ落ちる塔。夕日と共に、光の粒になって消えていく。
その光は、まるで誰かの記憶が空に還っていくみたいだった。
幻影で見た家族の笑顔。サラの涙。リュゼルの想い。
全部が、光になって空に溶けていく。
視界の端に、ウインドウが表示される。
**破壊したダンジョン:18 / 残り:82**
数字の冷たさが、まだ先の長さを突きつけてくる。
でも今は――
(みんながいる。もう一人じゃない)
晴歌は、三人を振り返って笑った。
◇ ◇ ◇
騎士団と冒険者たちが、先に王都へと戻っていく。
四人だけが、塔の跡地に残ってた。
夕日が、四人の影を長く伸ばす。
「ハルカ、魔力の配分悪すぎ」
ティオが呆れたように言う。
「でも、みんな助けられてよかった」
「無茶はダメよ。私たち心配するんだから」
フィアナが優しく笑う。
「……ありがとう」
晴歌は二人に頭を下げた。
その時、リュゼルが口を開いた。
「ハルカ」
「はい」
「……俺が塔の中で言った言葉」
晴歌の心臓が、ドクンと跳ねた。
「あれは……幻影のせいじゃない」
「え……」
「俺の本心だ」
金色の瞳が、夕日を映して揺れてる。
晴歌は息を呑んだ。
「俺は……お前をこの世界に留めたい。元の世界に帰してやりたいとも思う。矛盾してる。でも、それ以上に……」
リュゼルの声が震える。
「お前の傍にいたい」
沈黙が降りた。
晴歌は言葉が出なかった。どう答えればいいのか分からなくて、ただ心臓の音だけが響いていた。
胸が熱くて、苦しくて、でも温かい。
「……ごめん、今すぐ答えなくていい。ただ、俺の気持ちだけは伝えたかった」
リュゼルは照れくさそうに頭を掻いた。
その仕草がいつもの彼らしくて。
晴歌は小さく笑った。
「……ありがとう」
それだけしか、今は言えなかった。
でも胸の奥では――
(私も……リュゼルのこと)
まだその気持ちに名前はつけられない。
でも確かに。
心が動いてた。




