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ただ帰りたいはずだったのに、私は壊す者になった  作者: 川浪 オクタ
第1章 『帰り道は、まだ、どこにも見えなかった』

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第20話『心の声』

「ハルカ……」


 リュゼルの声が、いつもと違った。


 震えてて、切なくて、苦しそうで。


「お前を……この世界に閉じ込めたい……」


 晴歌は息を呑んだ。


 リュゼルの腕が、ぎゅっと晴歌を抱きしめてる。


「帰るな……俺の傍にいてくれ……」


 涙声。震える手。


(これは……幻影? それとも)


「リュゼル! しっかりしろ!」

 ティオが肩を掴むけど、リュゼルは動かない。


「ハルカ、防御魔法を彼にも!」

 フィアナの声に、晴歌は我に返った。


 震える手で、リュゼルに光の膜を張る。


 その瞬間、リュゼルの体がびくっと震えた。


「……ハルカ? 俺……何を……」


 金色の瞳に、正気の光が戻る。


 リュゼルは慌てて晴歌から離れて、壁にもたれた。顔が真っ赤だ。


「よかった……気分は、どう?」


「……最悪だ」


 リュゼルは顔を覆った。


「俺、何か口走ってた……?」


 晴歌は一瞬迷った。でも――


「ううん、大丈夫」


 嘘をついた。


 リュゼルはほっとしたような、でも複雑な表情をした。


「どこまで覚えてる?」


 ティオが静かに聞く。


「……全部。でも体が勝手に動いた。あの黒い靄のせいか?」


「そうだ。人の心の奥底にある想いを引き出して、暴走させる」


 フィアナが説明する。


「ハルカが言ってた黒い靄、サラちゃんから消えた時の残りが、お前に移ったんだろうな」


 ティオが冷静に分析した。


「見えない俺たちには分からなかったが、ハルカには見えてた。だから防御魔法で払えた」


「あの子が"お母さんがいる"って言ってたのは……」


「聞こえた。俺にも聞こえてた」


 リュゼルは拳を握りしめた。


 晴歌は、リュゼルの言葉がまだ胸の奥で響いてた。


(あれは……本心? それとも幻影?)


 分からない。でも、確かに。


 心が揺れてた。


 ◇ ◇ ◇


 リュゼルがサラを背負って、四人は階段を上り続けた。


 九階、十階、十一階――


 階段を上がるたびに、景色が変わる。


 昼、夕、夜、朝。時間がぐるぐる回ってる。


 そして十二階――


「いた!」


 フィアナが叫んだ。


 広い部屋に、騎士団と冒険者たちがいた。彼らは塔の構造を記録してる最中だったらしい。


 壁に魔法陣を描いて、記録用の羊皮紙に何か書き込んでる。


 でも――


「おかしい……みんな、動きが」


 騎士たちの目は虚ろで、冒険者たちは壁に向かって話しかけてた。


「幻影に飲まれてる……」


 ティオが眉をひそめる。


「ハルカ、お前の防御魔法で全員正気に戻せるか?」


 リュゼルが聞くと、晴歌は頷いた。


「やってみる」


 晴歌は深く息を吸って、魔力を集中させた。


 一人、また一人と、光の膜を張っていく。


 最初は簡単だった。でも五人、十人と増えるにつれて、体が重くなっていく。


(まだ……あと少し)


 額に汗が滲む。視界が揺れる。呼吸が苦しい。


「ハルカ、無理するな!」


「大丈夫……」


 でも声が震えてた。


 十五人目。十六人目。十七人目――


 最後の一人に光の膜を張った瞬間、晴歌の膝が崩れた。


「ハルカ!」


 リュゼルが支える。


「ごめん……ちょっと使いすぎた」


「お前、無茶しすぎだ」


 リュゼルの声は怒ってるみたいで、優しかった。


 ◇ ◇ ◇


 正気を取り戻した騎士団と冒険者たちは、困惑してた。


「何があった……?」


「幻影に飲まれてたみたいです。この子が助けてくれました」


 騎士団長が晴歌に頭を下げる。


「調査結果は記録できたか?」


 リュゼルが聞くと、騎士団長は頷いた。


「ああ、十二階までの構造は大体記録できた。幻影に飲まれる前の分だけだが……まあ、戻ってからでも報告書は書ける」


「サラ・フェリオンも保護した。すぐ外へ」


 ティオとフィアナが代わりにサーチで全階を確認する。


「もう誰もいない……おそらく今のところは」


 ティオが静かに報告した。


「よし、行くぞ」


 リュゼルの指示で、全員が塔を降りる準備をした。


 でも晴歌の足が、もつれた。


「ハルカ!」


 リュゼルが咄嗟に抱きかかえる。


「ごめん……ちょっと立てない」


「無理すんな。俺が運ぶ」


「……えっ!?」


 リュゼルは晴歌の肩に腕を回して支えようとしたが、身長差があって歩きづらい。


「ふふ……ハルカ、横抱きにしてもらえば?」


 フィアナが提案する。


「横抱き?」


 晴歌はきょとんとした。


「階段で横抱きは危なくないか?」


 ティオが冷静に指摘する。


「……じゃあ」


 リュゼルは少し照れくさそうに背中を向けた。


「背負う。それが一番安全だ」


「うっ……お……お願いします……」


 晴歌は小さな声で答えた。


 リュゼルは晴歌を背負って、階段を降りていく。


(顔が熱い……恥ずかしい……でも)


 リュゼルの背中は、温かかった。


 塔を出ると、外の空気が冷たくて心地いい。


 夕日が塔を赤く染めてた。


「サラは騎士団に任せる。ハルカはここで休め」


 リュゼルは晴歌を木陰に座らせた。


 フィアナが水筒を差し出す。


「はい、飲んで」


「ありがとう……」


 冷たい水が、喉を潤す。少しずつ、体が楽になっていく。


「魔力使いすぎだ。しばらく休まないと」


 ティオが晴歌の額に手を当てる。冷たくて気持ちいい。


「ごめん……みんなに心配かけて」


「謝らなくていい。でも次からはもっと早く言え」


 リュゼルが優しく頭を撫でた。


 十分ほど休むと、体が少し楽になった。


「もう大丈夫」


 晴歌は立ち上がった。


 騎士団長が近づいてくる。


「ハルカ殿、塔の調査は完了した。危険度Aランクと判定する。このまま放置すれば、また犠牲者が出る」


 騎士団長は晴歌を真っ直ぐ見た。


「王子から話は聞いている。破壊の許可を出す。我々がここから離れてから数分後に頼む。この塔を、壊してくれ」


 晴歌は頷いた。


 リュゼルが心配そうに晴歌の顔を覗き込む。


「ハルカ、大丈夫か?」


「うん」


 晴歌は塔を見上げた。


(もう誰もいない。壊しても大丈夫)


 ◇ ◇ ◇


 手を伸ばして、破壊の力を集中させる。


 でも今回は、ただ壊すんじゃない。


(この塔が持ってた記憶も、想いも、全部受け止めて)


 ゴゴゴゴ……と地響きが始まって、塔にひびが走る。


 そして――


 崩れ落ちる塔。夕日と共に、光の粒になって消えていく。


 その光は、まるで誰かの記憶が空に還っていくみたいだった。


 幻影で見た家族の笑顔。サラの涙。リュゼルの想い。


 全部が、光になって空に溶けていく。


 視界の端に、ウインドウが表示される。


 **破壊したダンジョン:18 / 残り:82**


 数字の冷たさが、まだ先の長さを突きつけてくる。


 でも今は――


(みんながいる。もう一人じゃない)


 晴歌は、三人を振り返って笑った。


 ◇ ◇ ◇


 騎士団と冒険者たちが、先に王都へと戻っていく。


 四人だけが、塔の跡地に残ってた。


 夕日が、四人の影を長く伸ばす。


「ハルカ、魔力の配分悪すぎ」


 ティオが呆れたように言う。


「でも、みんな助けられてよかった」


「無茶はダメよ。私たち心配するんだから」


 フィアナが優しく笑う。


「……ありがとう」


 晴歌は二人に頭を下げた。


 その時、リュゼルが口を開いた。


「ハルカ」


「はい」


「……俺が塔の中で言った言葉」


 晴歌の心臓が、ドクンと跳ねた。


「あれは……幻影のせいじゃない」


「え……」


「俺の本心だ」


 金色の瞳が、夕日を映して揺れてる。


 晴歌は息を呑んだ。


「俺は……お前をこの世界に留めたい。元の世界に帰してやりたいとも思う。矛盾してる。でも、それ以上に……」


 リュゼルの声が震える。


「お前の傍にいたい」


 沈黙が降りた。


 晴歌は言葉が出なかった。どう答えればいいのか分からなくて、ただ心臓の音だけが響いていた。


 胸が熱くて、苦しくて、でも温かい。


「……ごめん、今すぐ答えなくていい。ただ、俺の気持ちだけは伝えたかった」


 リュゼルは照れくさそうに頭を掻いた。


 その仕草がいつもの彼らしくて。


 晴歌は小さく笑った。


「……ありがとう」


 それだけしか、今は言えなかった。


 でも胸の奥では――


(私も……リュゼルのこと)


 まだその気持ちに名前はつけられない。


 でも確かに。


 心が動いてた。

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