第19話『時の迷宮』
塔の中は、外から見た感じと全然違っていた。
最初の部屋は昼の光に満ちていたのに、階段を上がったら次は夕暮れ。さらに上ると、夜空が広がっていた。
「……面白い。窓はないはずなのに、空が見える」
ティオが淡々と呟く。
「空間がねじれてるのね。時間の流れも不安定よ」
フィアナが警戒しながら周りを見回す。
晴歌はサーチを展開した。淡い光の粒が空間に浮かび上がる。
「上の方に……微かな気配。でもすごく遠い」
「騎士団と冒険者の反応は?」
リュゼルが聞くと、晴歌は首を横に振った。
「見えない。でも消えたわけじゃなくて……多分、時間の流れが違う空間にいるんだと思う」
ティオが小さく頷いた。
「新しいダンジョンは構造が不安定。この塔は入った人ごとに異なる時間軸に振り分ける。同じ塔にいても会えない」
「だから騎士団は調査を優先して、冒険者と俺たちはサラを探す」
リュゼルが補足した。
「じゃあ、どうやって合流するの?」
「最上階近くになると、時間軸が収束すると思う。魔力の流れが上に向かってるから」
フィアナが説明してくれた。
(なるほど……だから迷子になるんだ)
晴歌は納得した。サラちゃんも、きっとどこかの時間軸で迷っているんだ。
「とにかく上を目指そう」
リュゼルの声に、四人は頷いた。
静寂の中、慎重に階段を上っていく。
◇ ◇ ◇
三階の踊り場で、突然モンスターが現れた。
影みたいな人型。目だけが赤く光っている。
「来るぞ!」
リュゼルが剣を抜く。
「ハルカは後ろに下がって!」
フィアナが晴歌を庇うように前に出た。
その動きに合わせて、ティオが魔法陣を展開する。
「風よ、刃となれ」
鋭い風の刃が、モンスターを切り裂いた。
けど影は、また形を取り戻した。
ティオが小さく舌打ちする。
「物理攻撃は無効。フィアナ」
「わかってる! 光よ、闇を払いなさい!」
フィアナの手のひらから光の球が放たれる。モンスターは悲鳴を上げて消えた。
「やっぱり光魔法が効くのね」
「物理攻撃が無効で光魔法が効く。影系のモンスターの特徴だ」
二人の息がぴったり合っている。さすが双子。
リュゼルが剣を収めた。
「ハルカ、お前は後ろにいろ。俺たちが守る」
「でも……」
「お前の力は、ここを壊すためにある。戦闘は俺たちに任せろ」
リュゼルの言葉に、晴歌は頷いた。
(みんなが守ってくれる。私は、私にしかできないことを)
でも同時に、少し悔しさもあった。
(モンスターを攻撃するのは、まだ自信がない。防御で跳ね返すくらいはできるかもしれないけど、下手したら足手まといになっちゃう)
(もっと、みんなの役に立ちたい)
四人の息が、少しずつ合い始めていた。
◇ ◇ ◇
五階に上がると、景色が一変した。
広い部屋。窓から差し込む光。そして、テーブルを囲む家族の姿。
「……これは?」
晴歌が呟くと、ティオが静かに答えた。
「幻影。この塔は人の記憶を映し出すようだね」
家族は笑っていた。父、母、少し年上の男の子、そして小さな女の子。
女の子の顔は、店主ロルフに似ていた。栗色の髪を二つに結んで、元気に笑っている。男の子も同じ栗色の髪で、優しそうな瞳をしていた。
「サラちゃんの記憶?」
「そう。これはサラちゃんの記憶ね。家族みんなが元気だった頃の」
フィアナが指を差す。
幻影の中で、女の子が母に抱きついて、父が優しく頭を撫でていた。少し年上の男の子も一緒に笑っている。
母は元気で、笑顔で。父は騎士団長の制服を着ている。
――病気になる前の、幸せだった日々。
「この塔は人の心を揺さぶる。大切な記憶を見せて現実を忘れさせるのか」
ティオの声が、どこか遠い。
晴歌は胸が苦しくなった。
もし私が、家族の記憶を見たら……おじいちゃんの、お父さんの、お母さんの記憶を見たら……
リュゼルが晴歌の肩を掴んだ。
「ハルカ、見るな。幻影に飲まれるぞ」
「……うん」
晴歌は目を閉じた。
でも幻影の笑い声は、まだ耳に残っていた。
四人は幻影から目を逸らして、先へと進んだ。
◇ ◇ ◇
七階の踊り場で、リュゼルが突然足を止めた。
「……どうした?」
ティオが振り返る。
「いや……何でもない」
でもリュゼルの表情は曇っていた。金色の瞳が、どこか遠くを見ている。
晴歌には分かった。彼も、何か見たんだ。
「リュゼル……」
「大丈夫だ。気にするな」
そう言いながらも、リュゼルの手は微かに震えていた。
フィアナも、少し顔色が悪い。ティオも、いつもより口数が少ない。
(この塔、みんなの心を揺さぶってる)
晴歌は不安になった。
このまま進んで、本当に大丈夫なんだろうか。
でも――
「ハルカ」
リュゼルが振り返った。
「俺たちは大丈夫だ。お前のこと、守るから」
その言葉に、晴歌は頷いた。
(信じよう。みんなを)
四人は、また階段を上り始めた。
◇ ◇ ◇
八階に上がると、部屋の隅で膝を抱える小さな人影があった。
「サラちゃん!」
晴歌が駆け寄る。
ボロボロの服を着た女の子。栗色の髪は乱れて、頬には涙の跡。10歳くらいの、小さな体。
「無事か!? 迷って出られなくなったのか?」
リュゼルが駆け寄ると、女の子はゆっくりと顔を上げた。
「違うの……」
その声は、どこか遠い。
「途中で声がして……『お母さんがここにいるよ』って……『一緒にいようね』って……でも、お母さんじゃない何かが……」
サラの体には、黒い靄が絡みついていた。
晴歌にははっきり見えるけど、他の三人には見えていないみたい。
「リュゼル、彼女の周りに黒い靄が……」
「見えない。お前にしか見えないのか?」
晴歌は頷いた。
サラの表情は虚ろで、瞳に光がない。まるで人形みたい。
「お母さん……会いたい……ずっと一緒にいたい……」
その声に、男の声と女の声が重なっている。
不気味だった。
「ハルカ、防御魔法を!」
フィアナが叫ぶ。
晴歌はとっさに手を伸ばして、サラに光の膜を張った。
次の瞬間――
『ギャアアアアァァ!!』
悲鳴みたいな声が響いて、黒い靄が弾け飛んだ。
サラは力なく倒れ込む。
「大丈夫……気を失っただけよ」
フィアナが脈を確認する。
「よかった……」
晴歌は安堵の息を吐いた。
でもその瞬間。
リュゼルの様子が、おかしくなった。
金色の瞳が虚ろになって、晴歌の方へふらりと近づいてくる。
「リュゼル……?」
晴歌が戸惑いながら呼びかけた瞬間――
リュゼルは晴歌を、ぎゅっと抱きしめた。




