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ただ帰りたいはずだったのに、私は壊す者になった  作者: 川浪 オクタ
第1章 『帰り道は、まだ、どこにも見えなかった』

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第16話『禁書が結ぶもの』

 頭が重い。


 目を開けると、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。体の芯が冷えている。まるで氷水に漬かっていたような——


「……あの本は、何だったの?」


 かすれた声が、静かな部屋に落ちる。隣の椅子で剣を抱いたまま眠るリュゼルの寝顔が、朝の光に照らされていた。


(ずっと、そばにいてくれたんだ……)


 胸が、じんわりと温かくなる。


 床がきしんだ瞬間、リュゼルがすぐに目を覚ました。


「……起きたか。体調は?」


「うん、大丈夫。ありがとう……リュゼル」


 少しの沈黙。リュゼルが切り出しかけたが、晴歌は首を横に振った。


「今は……ちょっと、整理がつかなくて。ごめん」


「……わかった。無理に聞かない」


 窓の外から朝の光が差し込んでいる。


「ギルド登録、まだだったよな」


「うん……行かなきゃ」


「なら、案内する。朝飯も食べてないだろ?」


 リュゼルの気遣いに、晴歌は小さく笑った。


---


 宿の食堂で朝食をとりながら、リュゼルは王都での暮らし方を教えてくれた。


「通貨は三種類。銀貨が基本で、金貨はその十倍、銅貨はその十分の一」


「へぇ……昔のゲームみたい」


 ギルドへの道すがら、昨日倒れていた図書館の前を通る。扉は固く閉ざされ、騎士が警戒していた。


(あの光……まだ体の奥に残ってる気がする)


 ギルドの受付で名前と年齢を伝え、魔力を通すと、小さな金属プレートが青白く淡く光った。


「これが登録証です。大切に保管してくださいね」


 手のひらに収まる薄い金属のプレート。自分の名前が、ゆらめくように浮かび上がる。


 周囲では、傷だらけの剣を腰に下げた冒険者たちが依頼板を眺め、仲間と笑い合っている。皆、ここに"居場所"がある。当たり前のように、この世界に根を張って生きている。


 プレートを握りしめる。冷たい金属の感触が、妙にリアルだった。


(ようやく、私にも……この世界での"居場所"ができた)


「最初の依頼は、何にする?」


 リュゼルの質問に、晴歌は依頼板を見つめた。


「薬草採集がいいかな。一人でもできそうだし」


「……そうか。気をつけろよ」


 リュゼルは少し名残惜しそうだったが、晴歌の決意を尊重してくれた。


---


 王都の門をくぐろうとした、その瞬間。


「見つけたぁ!」


 風を切るような声と共に、人影が飛び込んできた。


「ちょ、待っ——」


 両手を掴まれ、くるりと回される。


「やっぱりハルカだ! 間違いない!」


 絹のような金髪が陽光に舞い、深紫の瞳が輝いている。


「フィ、フィアナ!?」


 晴歌は驚きで立ち尽くした。なぜここに。なぜ森を出て。


 フィアナはようやく手を離し、晴歌の戸惑った表情を見て、少し寂しそうに笑った。


「そんなに驚かなくても……会いに来ちゃダメだった?」


 だが、その明るい笑顔の奥に、いつもとは違う真剣な光が宿っていた。


「どうしたの? 森を出るの珍しいって、ティオが言ってたのに」


「ちょっと気になることがあってね」


 フィアナの視線が、晴歌の体をゆっくりと観察する。まるで何かを確かめるように。


「依頼?」


「うん。薬草採集なんだけど」


「私も行く! 護衛してあげるから!」


 フィアナに腕を引っ張られ、晴歌は王都の外へと向かった。


---


 草原を歩きながら、フィアナがぽつりと呟いた。


「ねぇハルカ。最近、何か変なことなかった?」


「変なこと?」


「魔力が……前と違う感じがするの」


 胸がどきりと跳ねた。


「……実は、王都で変な場所に入っちゃって」


「変な場所?」


「『黒の図書館』っていう、古い図書館。呼ばれてるような感じがして……扉を開けたら、本がいっぱいあって」


 言いかけた瞬間、フィアナの表情が凍りついた。


「それで? 何があったの?」


「一冊の本が、空中に現れて。その名前が——リベル=マギア・オムニア……って」


 空気が張り詰めた。


「リベル=マギア・オムニア!?」


 木陰から、ティオが姿を現した。銀色の瞳が驚きで大きく見開かれている。


「ティオまで……なんでここに!?」


「待ってたんだよ。フィアナが『絶対ここを通るはず』って言うから」


「そんなことより! 本当にその名を見たのか?」


 晴歌が頷くと、ティオの顔色が変わる。


「その本は"神が封じた原初の知識"だ。触れることすら、神が恐れたほどのものだ」


「え……」


 晴歌の手が震えた。あの時、本から放たれた光。体を貫いた冷たさ。まるで存在そのものが否定されるような——


「魂ごと消されていてもおかしくなかった。晴歌が無事だったのは……奇跡に近い」


「っ……」


 息が、詰まる。膝が震えて、その場に崩れ落ちそうになった。


 フィアナが慌てて肩を支える。


「見た目は平然としてるけど……本当に、危ないことしたね」


 ティオが晴歌の頬を軽くつねる。痛みと共に、現実感が戻ってくる。


「私、そんなつもりじゃ……ただ、気づいたら目の前にあって……」


「晴歌は禁書に"喚ばれた"のかもね」


 フィアナの言葉に、晴歌は息を呑んだ。


「でも、それだけじゃない。君の魔力、明らかにおかしいよ」


 ティオの視線が、晴歌の体を貫く。


 沈黙が降りた。冷たい風が、三人の間を吹き抜けていく。


「教えてくれないか、晴歌」


 ティオの声が、いつになく低く、重い。


「君は……本当は、どこから来たんだ?」


---


 空気が凍りついた。答えなければならない。でも、どう説明すれば——


 その時。草むらがさらりと揺れた。


「……その話なら、俺も聞きたい」


 低く、静かな声。晴歌の心臓が跳ねた。


 銀髪が木漏れ日に光る。金色の瞳が、まっすぐこちらを見つめていた。


「リュゼル……なんで……」


「……護衛はいらないって言ったけど」


 リュゼルが視線をそらす。


「昨日、お前が倒れてるのを見たから。それで……一人で行かせるのは、心配だった」


 言ってから、リュゼルは少し後悔したような顔をする。耳がかすかに赤い。


 その言葉に、晴歌の胸が熱くなる。


 でも、今はそれどころじゃない。


 四人がそろった。運命の歯車が、音を立てて回り始める。


 そして、誰もが晴歌の答えを待っている。


 重い沈黙が流れる。三人の視線が、すべて晴歌に注がれている。


(言わなきゃ、いけないのかな……)


 口を開きかけて、閉じる。何を言えばいい? どこから話せばいい?


(でも、信じてもらえる? 元の世界のこと、異世界から来たこと……)


 言葉が、喉の奥で詰まっていた。


 晴歌は必死に笑顔を作った。


「……せっかく四人そろったんだし、まずはご飯でも食べない?」


 ティオとフィアナが顔を見合わせる。リュゼルは、じっと晴歌を見つめたまま何も言わなかった。


(逃げてる……私、逃げてる)


 それでも、今はまだ——言葉にする勇気が、出なかった。

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