第9話『君の名前を、呼びたくて』
信じるって、こんなに怖いことだったんだ。
――裏切りは、信じた者にしか起こらない。
◇ ◇ ◇
「ここって、壊しちゃダメなダンジョンだよね……どうしよう」
思わず口に出してしまった独り言に、リュゼルが振り返る。
「……そうだな」
「きゃ…っ!」
晴歌を狙ってきたモンスターを、リュゼルが素早く剣で弾いた。
「あ…ありがとうございます…」
「あ…いや…」
その後も舞うように、リュゼルは次々とモンスターを倒していく。その動きを見て、晴歌は彼の実力の高さを改めて実感した。
「まずは…エリオットと一緒に防御魔法を張ってくれ」
「防御魔法!?」
「最初に会った時に使ってたはずだ」
(敵を倒しながら話してる…すごい……えっと、前に使ったけど、防御魔法ってどうやって使うんだっけ?)
そう考えていると、リュゼルの前後にモンスターが現れた。
「……!!」
「だめ……!!」
晴歌が右手を差し出すと、リュゼルの周囲に光の膜が現れ、モンスターを弾いた。
「それだ!」
「えっ!?」
「それを自分と彼を守るように念じろ!」
封鎖された空間からモンスターが次々と湧いてきて、リュゼルの動きも鈍くなる。
(やるしかない)
自分の右手を自分に向け念じる。体の周りに膜が張ったような感覚。苦しくも痛くもない。大丈夫――
晴歌は従業員の男性にも防御魔法の膜を張った。すると男性は静かになり、意識を失った。
「やばい……失敗したかも……!?」
「大丈夫だ!膜を張ったことで幻影も消えて意識を失っただけだ!幻影魔法にかかった後は脱力感が半端ないんだ」
「そっか……よかった……」
晴歌の安心した表情に、リュゼルもわずかに笑みを見せた。彼女の成長を感じ取り、心の中で何かが変わっていく。
「くっ…数が多いな…」
(私にもできること、ないかな…)
◇ ◇ ◇
最初は無意識に【破壊】してしまっていたけれど、意図的に制御できるのなら――
(モンスターじゃなくて、封鎖されている場所を壊せば?)
晴歌はサーチを使う感覚で目に魔力を集中する。すると、微かに光が点滅している部分を見つけた。
(今度は選んで壊せた。必要な部分だけを……)
最初の頃、村を壊してしまった時とは違う。今度は、自分の意志で選択している。
その瞬間、晴歌は走り出した。
「おい!」
リュゼルが声を上げる。
晴歌はサーチを使う感覚で目に魔力を集中する。すると、微かに光が点滅している部分を見つけた。
(あそこが……封鎖の弱点?)
晴歌は光の点滅に手をかざし、破壊の魔力を集中――
ゴゴゴゴ…と地響きが始まり、壁にひびが走る。石の欠片がパラパラと落ちてくる。
「嘘…失敗しちゃった!?」
床にへたり込んでしまう。
「どうしよう…ホテルごと消しちゃうかも……」
その時――
「ハルカ!」
突然リュゼルに抱きしめられ、身を伏せる。
「え……?」
「揺れが収まるまで、じっとしてろ!」
長い揺れが続き、やがて静かになった。
リュゼルがそっと腕を離すと、晴歌は少し離れた場所にそっと座り込んだ。
「…大丈夫か?」
「う…うん……」
(今、私のこと名前で…? それに、すごく優しい声だった)
「モンスターは?」
「お前が走った後に、全部消えた」
「そっか……えっと、怪我はありませんか……?」
「…大丈夫…」
気まずい空気が漂う。リュゼルの心の中で、警戒心が完全に解けていくのを感じていた。
(……思わず抱きしめてしまった。なんで、こんなに自然に……)
(さっきまでの距離……近すぎた。でも、この子が怪我しなくてよかった)
そんな気まずい空気の中――
「あの…助けてくれたみたいで、ありがとうございます……」
意識を取り戻したエリオットが、まだ少しふらつきながらも礼を言った。
「エリオット・フェリオンって言います」
◇ ◇ ◇
ダンジョンは通常の状態に戻ったようだ。晴歌のサーチによると、モンスターはなぜか二人を避けるように動いている。
結界の場所に戻ると、オーナーが出迎えてくれた。
「ご無事で何よりです。怪我はありませんか?」
「ああ、大丈夫だ。エリオットは掃除中に転んで、結界の外へ出たところで幻影に巻き込まれたらしい」
「まさか…掃除中に転ぶとは。次からは十分に注意させます」
「オーナー、申し訳ありませんでした……」
落ち込む従業員に、オーナーは優しく声をかける。
「大丈夫ですよ。今回の件で対策が明確になりました。まずは、治癒魔法が使える方に診てもらいましょう」
「…治癒魔法?」
ティオのメモに書かれていたものだろうか。
「また後でお礼に伺いますので、それまでは当館でごゆっくりお過ごしください」
◇ ◇ ◇
湯を浴び、食事を終えた晴歌は談話室でくつろいでいた。
(元の世界に戻ったみたい……春休みに行った温泉旅行みたい…)
視界がぼやける。泣きそうになった。
「おい!」
肩を掴まれ、晴歌は顔を上げた。目の前には、濡れた髪のリュゼル。
…こんなに近くで顔を見たのは、初めて。
「へ……?」
「いや、大浴場から戻る途中で、お前が見えたから」
「部屋にも風呂ありますよね」
「外の景色、見ながら入りたかったんだよ」
照れくさそうに髪を拭き、リュゼルは向かいのソファへ。その仕草が、最初に会った時の威圧的な雰囲気とは全く違っていた。
「悪かったな、ダンジョンに付き合わせて」
「いえ…力の使い方も少しわかった気がします」
「……そうか。お前……いや」
リュゼルが言いかけて止まる。少し迷うような表情を見せた後、続けた。
「俺は明日の朝にはここを出る。お前……えっと……」
「ハルカでいいですよ」
「そうか。ハルカはルディアンの奢りの分と、オーナーの依頼分で、まだ泊まれる」
「そうですね……でも私も、近いうちに出ると思います」
(まだ壊さないといけないダンジョンがある……まだまだたくさん)
◇ ◇ ◇
「……敬語、やめていい。俺のこともリュゼルで」
リュゼルが手を差し出す。その表情には、最初の警戒心も、任務としての義務感もない。ただ、一人の青年としての素直な気持ちがあった。
「俺はリュゼル・ヴァレイド。竜族の騎士。ヒト族の国に派遣中。最初の態度は悪かった、すまなかった」
初対面のことを思い出し、晴歌は思わず吹き出す。
「ふふ…じゃあ私も。晴歌です。よろしくお願いします」
握手した瞬間、二人の間に、確かに何かが芽生えた。
警戒心から始まった関係が、信頼へと変わった瞬間だった。




