第7話『その力が、希望であるなら』
彼女を“裁く”のではなく、“確かめる”ために現れた人物。
孤独だった晴歌に、新たな出会いが訪れます。
そこは、かつて知を集め、未来へと繋ぐために築かれた場所だった。
いまや崩れた本棚と、砕けた天井がすべてを語っている。
廃墟と化した図書館――静寂に包まれ、"ダンジョン"と呼ばれる場所。
それでも、まだ微かに書物の匂いが残っていた。
それが余計に、ここにあった「知」の重みを感じさせる。
晴歌は慎重に足を踏み入れる。
どこか懐かしい、けれど不穏な魔力の流れが満ちる空間。
「ここは……壊さない方がよさそうだよね。一応、サーチしておいたほうが――」
そのときだった。
「危ない! 下がれ!」
鋭い声と共に、崩れた床の一部が魔力の膜で支えられた。
見上げると、優雅な装束の青年がこちらを見下ろしていた。
気品ある佇まい。凛とした目元。そして――
「間に合ってよかった。君が、"壊す者"か」
彼は、微笑んだ。
ルディアン・ロア=グレン。
ヴィルティア王国の王太子であり、竜人・リュゼルの同僚にして、王都から派遣された特使。
◇ ◇ ◇
「"壊す者"と呼ぶの、やめてほしいです……」
晴歌が思わず眉をひそめると、彼はすぐに手を上げて首を振った。
「誤解しないでほしい。僕は君を裁きに来たわけじゃない。ただ、"君という存在"を確かめたくて来ただけだよ」
穏やかな口調だった。
どこか教師のようでもあり、父のようでもあった。
傍らには、腕を組んで立つリュゼル。
ツンとした態度は変わらないが、初対面のときのような剣呑さは感じない。
「この国はね、ダンジョンによって潤ってるんだ。交易が生まれ、人が集まり、雇用も生まれる。だから、ポンポン壊されると困る人も出てくるってわけ」
それでもルディアンは、どこか優しい目で晴歌を見つめていた。
「君の力は恐れられている。でも、同時に僕たちは気づき始めてる。それは"破壊"じゃなく、"選択"の力なんじゃないかって」
その言葉に、晴歌の肩の力が少し抜けた。
この力をどう使えばいいのか、ずっと一人で悩んでいた。
けれど、今――誰かが、自分を真正面から「理解しよう」としてくれている。
(この人は...違う)
胸の奥が、ふわりと暖かくなった。
この世界に来てから初めて――いや、元の世界でも久しく感じていなかった感覚。
"受け入れられている"という安心感。
「私...ずっと一人で考えてました」
声が少し震えた。
「何が正しいのか、何を壊していいのか、誰にも聞けなくて...」
「それは辛かっただろうね」
ルディアンの声は、本当に心配してくれているようだった。
「でも、もう一人じゃない。僕たちがいる」
その瞬間、晴歌の目に涙がにじんだ。
◇ ◇ ◇
図書館の奥で、晴歌は崩れかけた本棚を見つめていた。
医学書らしき背表紙がいくつか見える。
「『薬草学概論』...『基礎治療術』...」
かすれた文字を読み上げながら、ふと祖父のことを思い出した。
(おじいちゃんの診察室にも、こんな本がたくさんあったっけ)
祖父の机には治療や薬の専門書が何冊も積まれていた。
口で説明するだけでは伝わらない時、家庭の医学書を開いて患者さんに見せていた姿が蘇る。
「この世界にも、人を治す知識があるんだ...」
小さくつぶやくと、ルディアンが振り返った。
「君、医学に興味があるの?」
「あ...えっと、祖父が医者だったので。少しだけ」
「そうなんだ。実は、この図書館には古い治療法の記録も残ってるんだよ。魔法がない時代の、薬草や手術の技術とか」
晴歌の目が輝いた。
「それ、見てもいいですか?」
「もちろん。君みたいに"選んで壊す"人なら、きっと知識も正しく使ってくれると思う」
その言葉に、晴歌は改めて自分の力の意味を考えた。
(壊すだけじゃない。守るためにも、知るためにも使えるかもしれない)
◇ ◇ ◇
図書館の最奥には、古代語で封印された魔力装置が残されていた。
すぐに破壊できるものではない。
「ここは……急がない方が良さそうだね」
ルディアンの判断に、晴歌は頷いた。
ひとりで決めるのではなく、"誰かと一緒に判断する"ということ。
それは、晴歌にとって初めての感覚だった。
◇ ◇ ◇
帰路、ルディアンがふと口を開く。
「そういえば……君が最初に壊した"村"、あれも実はダンジョンだったんだよね。もうずっと前から廃村で、盗賊の拠点になってたって聞いてる」
「……え?」
その言葉に、リュゼルの表情が曇る。
「それ、俺、初耳だが」
「あっ、ごめん。リュゼル、その地域の担当だったよね……」
「俺の管轄なのに、そんな重要な情報を後から聞くなんて…」
目線は逸らしているが、なぜかむすっとした様子で、怒気が背中からビシビシ伝わってくる。
王太子の部下によると、晴歌が"壊した"とき、村にはもう人はいなかった。
しかも――
「盗賊たちは、金品だけじゃなく、子どもをさらって売っていたらしい」
「えっ……でもほんとに子どもの声がした…」
胸が跳ねた。
あのとき耳にした、子どもの叫び声が蘇る。
「でもね、あれは"誰か"の記憶が、君に届いたのかもしれない。記憶に残る"痛み"の声は、魔力に触れることで響くこともあるんだって」
(あの時の声は...本当に苦しんでいた誰かの記憶だったんだ。私は間違ってなかった...でも、同時に誰かを救えたのかもしれない)
驚いたように目を見開く晴歌に、ルディアンはにこっと笑う。
「もちろん、これは君だけの秘密だよ。ふふ、内緒ってことで」
その一言で、背後の空気がピキリと凍る。
リュゼルだ。
(……すごく睨まれてる気がする……)
◇ ◇ ◇
図書館を出る前、晴歌は一冊の薬草学の本を胸に抱いていた。
「この本、持ち出しても大丈夫なんですか?」
「ああ、ここはもうダンジョンとしては機能停止しているからね。知識は活用されてこそ意味がある」
ルディアンが優しく微笑む。
「この世界の医学...もっと知りたい」
そんな新しい目標が、彼女の心に芽生えていた。
祖父から受け継いだ「人を助けたい」という想い。
それが、この世界でも活かせるかもしれない。
ダンジョンを出ると、風がそっと頬を撫でた。
昼間の鋭さではない。少しだけ、やさしさを含んだ風だった。
「君の力を"希望"として見る者も、この世界にはいる」
その言葉が、晴歌の胸に静かに届いた。
もしかしたら――
私はもう、"ひとりじゃない"のかもしれない。