第6話番外編:あの日、牙を向けた理由
塔の魔力反応は、微かだが確かだった。
廃墟となったはずの監視塔に残る"痕跡"は、 この国の誰かが、まだそこに執着していることを示していた。
リュゼル・ヴァレイドは、任務の途中で立ち寄っただけだった。
だが―― "異質な気配"を感じた瞬間、体の奥に眠る警鐘が鳴った。
(まさか、噂の……)
"壊す者"。
その存在は、まだ確証もない噂にすぎない。
けれど、冒険者たちの間で語られていた―― ダンジョンを跡形もなく塵に変え、静かに消える少女の話。
信じていなかった。
けれど、目の前の少女の魔力は、確かに"それ"に似ていた。
(もしも彼女が……ならば、止めなければ)
名を告げるよりも早く、警告を放った。
◇ ◇ ◇
「止まれ。その魔力をすぐに解け」
彼女は驚いたように振り返った。
年若く、穏やかな表情。
肩までの黒髪に、黒い瞳。
この国ではあまり見かけない顔立ち。
それでも、本能が告げていた。
――あの魔力は、ただの探索者のものではない。
(何かを……隠している。いや、"力"そのものが異質だ)
つうっと汗が頬を伝う。
(もしかして……俺より強い?)
否定したい。だが、確信が持てない。
「それはダンジョンじゃない。壊さないでくれないか」
静かな威圧感を込めて、そう告げた。
何か言いかけた彼女の声を、遮るように詰め寄った。
冷静さは失われていた。 恐れが、判断を曇らせていた。
「この塔は、王都の警戒網の一角だった。 崩れていても、我々にとっては未だ役割のある地だ。勝手な破壊など――許されない」
それは半分、建前。
本当は――
"この少女に、何かを壊させたくなかった"。
けれど、彼女の瞳に浮かんだのは―― 戸惑いと怯え、そして、深い失望。
泣き出しそうな顔だった。
◇ ◇ ◇
「お前が……"壊す者"か」
断罪のような重みを込めて呟くと、彼女の表情が凍りついた。
「……ならば、力で証明しろ」
空気が震える。魔力を解放し、一気に彼女へと向かわせた。
その瞬間―― 突如、彼女の体の中で青白い光が輝いた。
(なんだ、あれは……!)
だが次の瞬間、何かが違った。
彼女から放たれたのは、破壊の力ではなく――
淡い光の膜が彼女を包み込み、 リュゼルの魔力を静かに打ち消していく。
「……なに?」
驚きとともに、戦意が溶けていく。
(攻撃……じゃない?)
それは防御魔法だった。
彼女の魔力は、祈るように静かで―― けれど、深海のような"底知れなさ"を湛えていた。
(……なんだ、この感覚は)
沈んだ湖の底に、そっと触れたような―― 優しさと、恐ろしさが同居する魔力だった。
目を見開いた瞬間、彼女はすばやく塔の裏手へと回り込んだ。
そして、先ほどの防御魔法を応用したような"遮蔽の魔法"を展開し―― 淡い光の膜が空気を揺らし、一瞬のうちに彼女の姿を隠していく。
追う足は動かない。
そのまま、彼女は消えた。
残されたのは、沈黙だけだった。
⸻
◇ ◇ ◇
風が吹く。
さっきまでいた場所から、少女の気配が消えていた。
(……なぜ、逃げた?)
本当に"壊す者"なら、こちらを倒すこともできただろう。
なのに――
(あの魔力があれば、俺なんか……)
拳を握る。
"なぜ、自分は彼女を信じなかったのか"。
"あれほどの力を持ちながら、彼女はなぜ、優しさを選んだのか"。
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
◇ ◇ ◇
夜。焚き火を囲んで任務仲間に報告する。
「……不審な魔力反応があったので、警告を与えた。 戦闘にはならなかったが、調査対象としては注意が必要だ」
言葉は冷静だった。
だが―― 心の中では、違う想いが渦巻いていた。
――名前も聞けなかった。
――あれは、敵だったのか?
火の粉がぱちんと弾ける。 あの子の魔力が放った"青白い光"のように。
消すことも、傷つけることもなく―― ただ、通りすぎた優しい魔力。
(……また、会うかもしれない)
できれば、次は―― 剣ではなく、名を呼ぶ声で向き合いたい。