第6話『すれ違う想い――理解されない力』
乾いた風が草原を渡っていく。
森を抜けた晴歌は、王都カレストラへ向かって歩いていた。
ギルド登録はしておいたほうがいい――双子のエルフ、ティオとフィアナにそう助言されたからだ。
ヴィルティア王国。この国はヒト族の支配下にあり、冒険者ギルドの本部もある。
ヒト族と見分けがつかない彼女にとって、もっとも安全で自然に紛れ込める土地だった。
(……情報も、手がかりも、きっと見つかる)
この世界に来てから、いくつかのダンジョンを壊してきた。
すべて"サーチ"で命の気配を確かめたうえで。
魔力の持続時間も少しずつ伸びている。
ティオが遺してくれたメモ帳にはこうあった。
――魔力は使えば使うほど、器が広がる。
けれど、立ち止まってしまうときがある。
("壊す者"って……他の人から見たら、どう見えるんだろう)
力を持つということは、同時にそれが恐怖に映るということ。
誰かの記憶、誰かの想いすら、壊してしまうかもしれない。
空は青く、草原は広がっているのに。
その背後に、どこか冷たい影が付きまとっていた。
◇ ◇ ◇
丘の上に、ひとつの石塔が見えた。 かつての監視塔だろう。
半ば崩れ、今は誰も使っていないように見える。
この国では、ダンジョンがランダムに出現するため、各地に監視塔が設置されているとフィアナから聞いていた。
普段は使われていないが、近くにダンジョンが現れた時の避難場所にもなるという。
だが、わずかに漂う魔力の気配。
(……ダンジョンかもしれない)
晴歌がサーチを展開しようとした、その瞬間―― 背後から、張り詰めた声が飛ぶ。
「止まれ。その魔力をすぐに解け」
鋭い風が、肌を切り裂くようだった。
振り返ると、ひとりの青年が立っていた。
銀の髪。青い鱗に覆われた腕。鋭く光る瞳。
――竜族の竜人。
その姿に、肌が本能的にこわばった。
◇ ◇ ◇
「それはダンジョンじゃない。壊さないでくれないか」
その声に、静かな威圧感が宿っていた。
「違う……私は、壊そうとしたんじゃなくて、ただ確かめようと――」
弁解は最後まで届かない。
「この塔は、王都の警戒網の一角だった。 崩れていても、我々にとっては未だ役割のある地だ。勝手な破壊など――許されない」
(私、まだ何もしてないのに……)
けれど、彼の瞳には、すでに"破壊者"としての自分しか映っていなかった。
「お前が……"壊す者"か」
断罪のような重みを込めて、彼が呟く。
「……ならば、力で証明しろ」
空気が震える。彼の魔力が、一気に晴歌へと迫った。
◇ ◇ ◇
「きゃっ……!」
圧力に耐えきれず、足がもつれる。
(やだ……このままじゃ、また……)
壊してしまう。
命を。人を。
それだけは、もう繰り返したくない。
(戦いたくない。殺したくない。だけど――)
突如、晴歌の体の中で青白い光。
破壊の力が溢れてきた。
でも、その瞬間――何かが違った。
胸の奥から湧き上がったのは、破壊ではなく、守ろうとする意志。
そして、淡い光の膜が彼女を包み込んだ。
(……え? これって……)
防御魔法。
自分を破壊しようとしたはず……
竜人の攻撃が光の膜に触れ、静かに霧散していく。
「……その魔法……」
低く、何かを探るような声。 だが、その迷いも、すぐにかき消された。
彼の表情が再び固まる。
彼女の選択は、拒絶として受け取られたのだ。
(……やっぱり、私は、ひとりなんだ)
◇ ◇ ◇
戦いは決着の形を取らなかった。
晴歌の謎めいた防御魔法が、彼の術式をそっと打ち消しただけだった。
「……なっ」
目を見開いた竜人を横目に、晴歌はすばやく塔の裏手へと回り込む。
その動きと同時に、先ほどの防御魔法を応用して視界を遮る"遮蔽の魔法"を展開した。
淡い光の膜が空気を揺らし、一瞬のうちに彼女の姿を隠していく。
そして――走った。
追ってこなかったのは、彼の選択だったのか。
それとも、あの一瞬の迷いが残っていたからか。
分からない。
ただ、胸の奥にしこりのような重みだけが残った。
「……ちゃんと話せたら、違ったのかな」
その声は、風にさらわれて消えていった。
◇ ◇ ◇
夜。誰もいない野営地。
焚き火の音だけが、彼女の存在をかろうじて確かめていた。
(ティオとフィアナがいてくれたあの時間……あれが、どれほど大切だったのか)
火を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「……ちょっと、寒いな」
風が吹く。焚き火が揺れる。
ふと、現実の世界のことを思い出す。
――おじいちゃんがよく言ってた。
「治すだけじゃない。そばにいてあげるのも、医者の仕事だよ」って。
弱っている人の手を握って、話を聞いてあげる。
それだけでも、体って少しあたたかくなるんだって。
(……わたし、ちゃんと覚えてたんだ)
こんな場所でも、そんな言葉が支えになっている。
帰りたい。
ただ、それだけじゃない。 壊すことの意味を、自分の手で探したい。
(さっきの力……破壊じゃなくて、守る力だった。なんで……?)
目を閉じれば、まだ思い出せる。
森の静けさと、柔らかな笑い声。
そして、祖父のあたたかい手。
彼女はまだ知らない。 今日すれ違ったその竜人が、やがて再び彼女の前に現れることを。
そして、次は――牙を向けるためではなく、言葉を交わすために。