◆第19話 翠嵐の新大陸と嵐猫船長の再襲
濃藍の夜が薄桃へ溶ける頃、〈蒼紋クラリオン〉は蒼海門の雷橋を渡りきった。舳先の真下で海霧が二つに割れ、翡翠色の大陸〈ルクス・カナタ〉が現れる。鼻腔をくすぐったのは、若草の青い匂いに胡椒と柑子をひと振り足したような刺激的な風――未知の世界が人の五感に投げかける最初の名刺だ。
俺――冬月颯人は欄干に腕を置き、遠くに聳える翡翠の樹海を眺めた。根本に引きこもる靄は電気を帯び、雷禦ノ皇器が胸の奥で静かに震える。
「大陸の呼吸が雷を孕んでいる……まるで深音の心音みたいだ」
独り言のつもりだったが、背後で巫女ロリータの袖がふわりと揺れた。
「余の心音? 聞きたければ聞くがよい」
稲吹深音はラムネ瓶を掲げ、瓶底を胸に軽く当て“ドン”と叩く。薄布越しに心拍が音霊装置へ拾われ、低い太鼓の響きが木霊した。
その甘くも切ない余韻を破断したのは、甲板に突き刺さった一本の銛。背に黒猫と鵺を重ねた旗布がたなびく。
「見つけたわ、雷哭の器! 花婿争奪戦はまだ始まったばかりよ!」
艶紅の軍装の上で金属ボタンを陽光が跳ねる。スフィンクス・カルヴェロ。甲板に颯爽と降り立つと、濡れたポニーテールを翻し、鞭剣を高々と掲げた。
「器を連れ去りゃ賞金も門の秘密も丸ごと手に入る。悪くない商売でしょ?」
「商売にしては手荒すぎる!」
深音は杵を鳴らし紫電の帯を走らせる。鈴寂の拳が風を裂き、逢月が索具を蹴って上空へ跳ぶ。シャルトリューが銀矢を番えた瞬間――
カルヴェロは片手を上げ合図、背後の双胴艇が霧を割り乱射。砲煙と同時に黒猫煙幕が広がり、女船長の笑い声とともに銛ロープが器用に引き絞られた。標的は俺だ。
「させるかッ!」
焔豹がハンマーで甲板を叩き、金属音と共に火花を噴き上げる。爆ぜた火花を深音の雷が引き寄せ、“紫焔の網”がロープを焼き切った。
カルヴェロは舳へ軽やかに後退すると、またもや愉悦を含んだ声で告げた。
「なるほど。雷と火と銀矢と白拳……ますます値が張りそうね。次は陸で踊りましょう――花嫁衣裳付きで!」
そう言い残し、再び黒猫煙幕。跳ねる桂花の甘い香りが、海と若草の風をかき消した。
嵐が去った甲板で、深音は破れた袖を押さえ、吐息に混じる紫電を沈めた。
「“花嫁”云々……彼奴は何を企らんでおるのじゃ?」
「答えはこの大陸にあるんだろう」
俺は袖布を縫い留めながら呟く。針先に触れた深音の肩がわずかに震え、その熱が指先へ移った。
大陸の樹海から聞こえる雷鼓のような地鳴りが、次の戦端を予告していた。




