◆第16話 蒼紋クラリオン急襲! 海賊〈鵺猫団〉
月虹礁で杯を奪還してから三夜が過ぎた。〈蒼紋クラリオン〉の船腹を撫でる風は生乾きの霧を孕み、舷灯の光が粒子を銀線のように反射させる。
ふと、霧の中で潮とラムネの甘い匂いが混ざった。深音が巫女袖を軽く揺らし、帯電の微火が髪先に散る。
「匂いが変わった。……風上に何かいる」
その瞬間、帆柱がガツンと震えた。砲声――しかも耳を劈く音より速い“先喰い”の衝撃波。
「二三〇度! 三胴船、急接近!」
マスト頂から飛び降りた逢月が索具を駆けながら叫ぶ。霧を割って現れた艦は黒紫の帆に鵺と猫を重ねた旗印。艶紅の軍装を纏う女船長が舳で高笑いした。
「雷哭の器――見つけたわ! 大人しく渡しな!」
スフィンクス・カルヴェロ。賞金稼ぎとして悪名高い海賊〈鵺猫団〉の頭領だ。
鞭剣が霧を拡散させるようにしなり、黒電の尾が甲板を舐めた。衝撃で深音の袖が裂け、白い上腕に紫電の書き割りが走る。
「賞金目当てか! ならば力ずくで否と教えてやろうではないか!」
杵の柄頭を打ち鳴らす深音。雷光が船縁を蛇行し、にわか雨のような火花が周囲を染める。
**焔豹**が革ビスチェに汗を滲ませながらハンマーを肩に掛ける。砲弾を真っ向から叩き落とし、着弾の火花が腹筋を紅——いや蒸気色に照らした。
「見惚れてる暇はねぇぞ、坊主!」
戦闘は瞬く間に混沌を極める。鈴寂の拳震波が艦首へ風穴を開け、逢月の潮音羅針盤が風向きを反転させ、砲煙を敵船へ押し戻す。
俺は《雷禦ノ皇器》の紫殻で深音の雷撃を受け止め、二人で“雷哭双鏈”を放った。X字の稲妻が夜空を切り裂き、〈夜雀ノ咆哮〉の側舷をえぐる。
カルヴェロは霧中を縫うように跳び、鞭剣の先端で俺の肩当てを弾く。金属音が耳奥に響いた。
「ほう、ただの護衛じゃないわけか。……面白い」
霧が軍装を濡らし、布越しに浮かんだ曲線が月灯りを宿す。深音が杵を横薙ぎに振るうと、雷花が散り、カルヴェロは後方宙返りで間合いを取った。
甲板中央、焔豹が砲弾を弾き返す際、革ベルトが千切れビスチェの前留めが緩む。
その一瞬に俺の視線が泳いだのを、深音の雷紋が感知したのか杵が目の前を掠め――「余から目を逸らすな!」と睨む。静電火花と共に心臓が跳ね上がる。
先遣砲列をまとめて弾き返した焔豹の一撃で〈夜雀〉は船腹を軋ませる。カルヴェロは舳で舌打ちし、黒猫煙幕の爆薬玉を投げ込むと、霧と硝煙のベールを纏い退いた。
残ったのは桂花茶と硝煙と——敗北を認めぬ女船長の笑い声の余熱。
「奴は賞金首専門かと思ったが、雷哭の鍵にも興味か」
シャルトリューが弓弦を撫でながら呟く。
「次は必ず仕留めてくれるわ。……御主、肩を貸せ」
裂けた袖を押さえながら深音が俺にもたれ、帯電で湿った髪が頬に触れた。微かな痺れが甘く疼き、霧とラムネの匂いが胸奥へ染み込む。
夜霧はしぶとく散らず、舷灯の淡光が粒子を宝石のように浮かべていた。だが胸の奥で鼓動する紫電は、それをも焼き払わんと高鳴っている。
――蒼海門は目前。だが新大陸へ渡る前に、俺たちは思わぬ宿敵と火花を交わしたのだった。