◆第13話 碧雷の出航と蒼海門アトラステラ
甲板を撫でる潮風は、胡椒と柑子を混ぜたような刺激を孕み、髪の隙間で微かな静電を弾かせた。〈蒼紋クラリオン〉――白亜の船腹に紫紋が走る特装帆船――は今まさに雷の橋を滑り、未踏の新大陸へ舳先を向けている。
俺――冬月颯人は欄干にもたれ、濃い海霧の彼方で瞬く青白い魔法陣を眺めた。あれが“蒼海門”の空座標。雷禦ノ皇器が胸奥で低く応え、深音の雷紋が共鳴する気配が背中から伝わる。
「御主――」
振り向けば、稲吹深音が巫女ロリータ装を風に揺らし、ラムネ瓶を透かした紫光で煌めかせていた。潮気を帯びた長黒髪は稲妻色に淡く光り、頬を撫でた帯電が俺の心拍を跳ね上げる。
「霧の匂いが余の雷を刺激しておる。……頼む、こんなにも胸が高鳴る理由を教えてくれ」
――それは、恋にも似た高揚だと俺は知っている。
だが答えかけた瞬間、マスト最上段から飛燕のごとき影が降ってきた。
「先に挨拶でしょう?」
猫耳形のヘッドスカーフを揺らす少女が索具へするりと着地する。猫野逢月――天才航海士だ。
「ワタシは航海士。海竜退治は護衛さんに任せるわね?」
挑発的な笑みと共に、腰布が潮風で跳ね、陽射しに晒された腿と波砂色の肌が刹那きらめく。深音が眉をひそめ、瓶がカランと鳴った。
そこへ轟音。碧黒の波を割って竜鰐ストロームの群れが姿を現す。鱗は鉄錆の質感、腹部の孔から電水弾が放たれ、甲板を焦がした。
「来たな、外道!」
深音が杵を振り上げ雷撃を纏う。すぐそばで**飛鞍焔豹**がタンクトップ姿のまま巨大鍛錘を肩に掛け、汗で張り付く腹筋を露わに笑みを浮かべた。
「甲板補強はあたしがやった。全力で暴れていいぜ、雷姫!」
海竜が砲身のごとく顎を突き出す。俺は皇器で紫電ドームを展開、深音は詠唱する――
> 「雷哭を芽吹かせ、海門を穿て――《稲妻海嘯》!」
弧状の稲妻が海面を切り裂き、竜鰐の群れを纏めて焦がす。
その隙、逢月は潮音羅針盤の音叉を弾き、海流を逆巻かせた。真空の渦が竜鰐をのみ込み、焔豹のハンマーが蒼焔で粉砕する。炎と水飛沫、そして稲妻が交差して夜空のようなスパークを描いた。
――戦いの後。甲板に残るのは潮と汗と鉄臭。
逢月は罅の入った羅針盤を見つめ、「御主を待つ音がまだ聞こえる」と呟く。深音はそっと瓶の蓋を開け、彼女へラムネを差し出した。透明な泡が月灯りに揺らぎ、三人の指先がふと重なる。
淡い静電が頬を撫で――俺たちの未知なる航海は、今ようやく始まったばかりだ。