◆第1話 封じられし雷姫との邂逅
放課後の駅前通りは、五月の陽射しが残したぬるい風が流れていた。
俺――冬月颯人(16)は、いつものように塾へ向かう途中であくびを噛み殺す。勉強は嫌いじゃないが得意でもない。クラスでは“無難なやつ”と評価され、先生にも親にも期待されず、だからこそ人目を気にせず生きてこられた……はずだった。
その平穏は、鳥居がぽつんと立つ古びた路地で終わる。
「……神社なんてあったか?」
真新しいアスファルトの隙間に、錆び色の石段がひっそり潜り込んでいる。誘われるまま一段、また一段。やけに高い空が視界から切り取られ、鬱蒼とした木々が頭上を塞いだ。
境内の中央には、年代不明の御神木。そしてその根元に、金の鎖でぐるぐる巻きにされた少女が膝を抱えて座っていた。
髪は夜空のように黒く、稲妻色の金と紫がグラデーションで閃く。毛先が帯電してパチパチと火花を散らし、目の奥では雷紋が回転している。
にもかかわらず、着ているのは巫女装束をロリータ風にアレンジした様な白と紫の和洋折衷。帯には**小さい太鼓型の音霊装置**が鈍く光り、彼女が顔を上げた瞬間――ドンッ、と腹に響く低音が鳴った。
「わっ……! いきなり太鼓?」
俺の間抜けな声にも、少女――稲吹深音は瞬きもせず睨み返す。
「貴様……封印を解いたのか」
「い、いや、俺ただ通りかかっただけで――」
言い終わる前に雷光。暖簾の裏で溜められていた電撃が、鎖ごと俺に襲いかかる。咄嗟に腕をかざすと、掌に紫電が吸い込まれた。
何が起きた? しかし痛みはない。代わりに、脳内にシステムウィンドウのような青いパネルが浮かび上がる。
【Unique Skill】
《雷禦の器》を取得しました。
(スキル? ゲームかよ!)
動揺する俺を余所に、深音が瞠目した。
「……まさか、神域の祝福を受けし“器”――?」
「ちょっと待て、状況説明を――」
「説明など不要! 余は貴様を主とは認めぬ。封印が解けねば再び閉じ込められるのみじゃ!」
雷鳴が轟き、境内に紫の世界が走る。だが不思議と怖くない。雷禦の器が、彼女の電撃を無効化しているのだ。
むしろ逆に――バチン! いきなり鎖が砕け散ったかと思ったら、衝撃で深音の袖が裂け、雪のような肩が覗く。紫電が切れ目を這い、ほのかに桃色の肌が照らし出された。
(ちょ、直視はマズいだろ俺!)
「鎖が……」
足首の重りを失った深音はふらりと俺の胸に倒れ込む。鼻を衝くのは夏の夕立の匂い。雷の匂いだ。
「……放電しすぎて、力が……」
細い指が俺の胸元を掴む。途端に心臓が高鳴った。鼓動に合わせて音霊装置がトン、と小さく鳴った。
「お、おい、大丈夫か?」
「余は…………ラムネが飲みたい……」
ズコーッ! 神々しい雰囲気が一瞬で砕かれた。
「そ、そんなことでいいのかよ!?」
俺は慌てて自販機でラムネを買い、一気に渡す。ビー玉を押し込むと、彼女は目を潤ませゴクゴクと喉を鳴らした。毛先の帯電がゆるみ、金紫のグラデーションが春雷のように淡くほどける。
ラムネを一気に煽った深音が、ぷはぁと息を吐く。その瞬間、瓶口から弾けた炭酸が胸元に跳ねた。湿った布が形をなぞり、巫女ロリータのレース越しに柔らかな曲線が浮かび上がる。
「……冷たい」
深音が慌てて胸を押さえるが、帯電した髪が逆立ち、余計に視線を誘った。
(ガッ……眼福と罰ゲームが同時に来た気分だ……!)
「……生き返った」
子どものような笑顔で瓶を抱え、深音はペコリと頭を下げた。
「助かった。名を聞かせよ、器の御仁」
「冬月颯人。普通の高校生だ。君は?」
「稲吹深音――雷神の落とし子にして“雷哭の姫”、雷姫と呼ばれし者じゃ」
――雷神? いや待て、さっき“封印”だの“神域”だの言ってたが、本気なのか?
深音は白い袖で口元を拭い、真剣な瞳で俺を見すえた。
「封印を解かれた今、余には帰る場所がない。だが雷力を抑えねば、人間界を焼き尽くすやもしれぬ。……冬月颯人、御主が余を導け」
「導くって、具体的に?」
「まずは――腹が減った。余にたこ焼きを食わせろ」
ズドン、と音霊装置が轟き、スカートの裾が静電気でふわりと膨らむ。雷紋が太ももに迸り、俺の思考はほんの一瞬フリーズした。
「……ハハ、わかった。塾、サボるか!」
こうして、俺と雷姫の奇妙な日常は幕を開けた――。