あるフリーライターの告白
和菓子に呪われた男が語る、ちょっと滑稽でどこか切ない半生の記録。
これは“菓子屋有平”の、甘くて苦い告白である。
※本文を元にChatGPTで出力したイメージビジュアルとなります
初めましての野郎も嬢ちゃんも初めましてだ。俺の名前は菓子屋有平。フリーの……いや、まあなんだ、菓子の呪いを受けたものだ。今日は俺の半生について強制的に語りたいと思う。おい、本を閉じようとするな。まだ話は始まってもないぞ。
俺が呪われている理由、そう、始まりは苗字にある。苗字の菓子屋なんだが、俺の実家は菓子屋でもなんでもない。
親父は小さな頃、俺に「お前のご先祖様は偉大な和菓子職人だったんだぞ」という話をしてくれたが、実家にはそのような由来を立証するものは一切なかった。
小学校の課題で苗字の由来を調べた時、俺は図書館が崩れ落ちるほどの声で絶叫してしまった。
ふと見つけた郷土資料に書かれていた苗字の由来「この地方にはお地蔵様へのお供えものをよく盗む者たちがいた。それを見かけた人間が何をしているのかと問いただすと『あっしはしがない菓子屋です。お地蔵様にお菓子をお供えにきました』と言い訳をする人間たちがその由来だと。諸説あります」と申し訳なさそうに書かれていたが、当時の純情ボーイな俺の心はすっかり折れてしまった。
「おい! 俺の一族お供え物泥棒の末裔じゃねえか!!」と。
馬鹿正直な俺はありのままを発表し、その後クラスメートからお菓子をプレゼントしてもらうようになった。
毎日大量にプレゼントされるお菓子。家であまり間食という習慣がなかった俺は、差し出されるものをバクバクと食べていった。
人間恐ろしいもので、最初は遠慮していたが、気付けば自分から菓子をねだる様になっていた。
中学生になる頃にはテレビ番組にも紹介されるほどの体重の重さになっていた。歩く小さな関取として、町の名物あるいは笑いものとして歩く人に握手を求められたものだ。
美味しいものが食べられ、時々かわいいお姉さんたちから声をかけられることもあって、太ったことには後悔していないが、困ったこともあった。
そう、動くとすぐ疲れてしまうということだった。小走りでもしようものなら息があがり、呼吸が乱れてしまう。
体はエネルギーを求め、俺はすぐにお腹がすいてしまうようになっていた。だが、中学生にもなるとお菓子を恵んでくれるような友達はいなくなっていた。
最初は自分で買ったお菓子を携帯し、お腹がすくごとに摂取していたが、中学生のおこづかいなんてたかが知れている。おこづかいをもらった翌日には既に財布は空になっていた。
だが、腹は減る。最初は道端に生えている草を摂取したが、激しい腹痛に襲われて断念。
俺が目をつけたのは、町のあちこちにいらっしゃるお地蔵様のお供え物だった。
まさしく先祖がえりとはこのことだと思いながらも、人間欲には勝てないと悟ったのもこの頃だった。
だが、これも転機のひとつだった。お地蔵様の前のお供え物は、和菓子が多かったのだ。
しかも、地区によって供えてある和菓子の種類が違う。時にはレア物と出会うこともあった。
有名和菓子店のきんつばだ。外がカリッとしているが、中はあんこがふんわりとしていて、飢えた俺の胃袋を天国に導いてくれた。
そんな美味しい思いをしながら、俺は高校三年までその生活を続けた。
飢えた舌はいつしか、和菓子を口にした瞬間に原産地はもちろん、どの店のどの料理人によって作られたかまでわかるほどに進化していた。
だが高校三年の受験を前にしたある日、俺は運悪く通行人に通報され警察に逮捕された。
そう、俺の和菓子ライフは終わってしまったのだ。
だが、俺は諦めなかった。町の有名和菓子店の暖簾をくぐり、弟子入りを申し出た。
和菓子屋の大将はこころよく当時の俺を迎え入れてくれた。
そしてその翌日、俺は破門になった。
目の前にならぶ、夢にまで見た和菓子の材料たち。
「やあ、有平よく来てくれたね」そんな声が確かに聞こえたのだ。
俺は気がつけば、店の材料を全て食べつくしていた。
「二度と俺の前に現れるんじゃねえ!」
激怒する大将に向かって、俺が放った逆ギレの言葉は今でも人として最低だったと思っている。
行く場所もなく、東京の和菓子屋の前で倒れていたところを、取材中だった先輩に拾ってもらったのがきっかけで、俺は和菓子フリーライターとしての仕事を始めた。
先輩には本当に感謝をしている。
どうだろう、君たちに和菓子の素晴らしさが伝わっただろうか?
え、お前のことしか書いてないだって? 苦情があれば美味しい和菓子を持って出版社まで来てくれ。
その時は美味しいお茶でも飲みながら、熱く語ろう。
ただし、和菓子は俺が全部食べるからな。