ALL YOU NEED IS RESTORATION 後編
Ⅰ
最初に視界に入ったのは、無惨に抉られた鉄筋コンクリートの壁面だった。その抉られた大穴から立ち上る黒煙、幽合会事務所があった四階部分だ。まだ警察は来ていない、スマホを構えた野次馬達が邪魔だ。尋常ならざる形相のユーコが近づくと、野次馬達の列が割れた。
爆発の衝撃でエレベーターが動かない事を予想し、一階にある階段へと駆け込む。階段を駆け上がり四階へ到着した時、自分の事務所の扉が爆風で歪にひしゃげたまま、共用部通路に転がっているのを確認した。ひしゃげた扉に慎重に近づくと、扉の下敷きになっている黒い革靴の足先が見える。
「片田!大丈夫?」
ユーコが叫びながら扉を捲ると、左腕のメカニカルアームが剥き出しになった黒い煤と血塗れで全身ズタボロの片田が、うつ伏せで倒れていた。左脚がありえない方向に曲がったいるのが確認出来る。
「その足大丈夫なの?生きてる?ちょっと」
ユーコの呼びかけに、身体を仰向けにゆっくり起こした片田の唇が開いた。
「R…P…G…Verdammt」
RPGとは、携帯式対戦車擲弾発射器の略で、主に戦車などの装甲車両を攻撃するために使われる兵器。フェアダムトはドイツ語で、理不尽な不幸に対して言うスラングだ。
「マジで、ロケランぶち込まれたって事?」
目は瞑ったまま片田が微かに頷いた。片田がドイツ語を使う時は、かなりヤバい状況の時だけだ。それを察したユーコの眉間に、深い皺が寄せられた。階下から警察と救急隊が近づく声が聴こえる。
「大丈夫ですか?怪我人は?」
若い警察官がユーコに問いかけると、尋常ではない凶々しい碧い双眸を警察官に向けた。ユーコの眼圧に気圧された警察官が、
「あ、あのう、怪我人は…」
警察官が言いかけた時、ユーコが上着の内ポケットから、フリーランスクリーナーライセンスを警察官の鼻先に突き出した。
「どっかのアホがウチの事務所にR.P.Gぶち込んで、ウチの社員がやられたって事」
邪悪な形相に歪んだユーコの表情に、怖気付いた警察官が、床に転がる片田を運べと救急隊員達を呼んだ。目の前に横たわる虫の息の片田が、痛々しくストレッチャーで運ばれる最中、ユーコの心の奥底に呪詛が渦巻いた。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す……
「Я заставлю их услышать реквием.
(イヤザスタヴリュホシュエトレクリヴィエム)」
マジギレするとつい出てしまうロシア語、
奴等に鎮魂歌を聞かせてやるという意味だ。破壊され至る所に散乱した壁の瓦礫と、黒く汚れた家具だった破片が占拠する事務所内に佇んだユーコはスマホを取り出すと、公安四課の魚家に電話をかけた。
Ⅱ
幽合会事務所襲撃、一時間前────
「すべてはひとつすべてはひとつすべてはひとつすべてはひとつすべてはひとつすべてはひとつすべてはひとつ」
白装束に身を包む門田が、取り憑かれたように呟いている。メディテーションを終えた門田が、阿部に連れられて部屋から出てきた。
「随分と熱心な新入りだな、まぁいい、阿部と新入り、私と一緒にある異教徒を救済しに行くぞ」
「救済ですか?」
阿部が信者に問いかけた。
「これだ」
そう言うと、信者は月刊掃除屋と表紙に書かれた雑誌を、阿部に手渡した。阿部が付箋がしてあるページを開くと、希望の轍の信者が、この記事を書いたライターを拉致しようとした所を、幽合会の掃除屋に撃滅された記事が載っていた。
「そいつらの穢れた魂を、我等が救済しに行くのだ、喜ばしい事ぞ、そう上から指示を受けたのだ」
阿部は頷くと、
「すべての者達に魂の救済を、すべてはひとつ」
と、落ち着いた口調で言った阿部が正気を失っている門田を連れて、指示役の信者と三名で白いハイエースへと向かった。車に乗り込む際、指示役の信者が大きなハードケースをバックドアを開けて積み込んだ。そして、三人は真白いハイエースを発進させた。
道中、指示役の信者が何度か門田に話しかけたが、すべてはひとつと繰り返し唱える状態で会話にならないので、幽合会事務所を襲撃する説明をするのを諦めた。
「新入りは今回使いもんにならないな、初めは誰もがそうだ、一応クリーナーと聞いていたから即戦力で連れてきたが、まあいい、今回は見学だな」
しばらく車を走らせた後、指示役の信徒が阿部に襲撃後の逃走経路を説明してから、運転を変わるように促し車を停めた。
「今回の救済はこれを使えと上から指示があった、この業火に焼かれ、先に希望の轍となり天に帰った者達への弔いとする」
そう言うと、指示役の信徒がバックドアを開けてハードケースからロケットランチャーを取り出した。運転席に移動した阿部が、幽合会事務所付近に視線を巡らせ警戒している。門田は後部座席で項垂れたままだ。
「天誅」
指示役の信徒がロケットランチャーを放つと、白煙を上げたロケット弾が幽合会事務所がある四階部分に着弾して轟音を伴い爆ぜた。その轟音の最中、後部座席で項垂れていたはずの門田が、リアドアーを開けて車から飛び出した。門田がロケットランチャーに次弾を装填しようとしていた指示役の信徒の腕を掴むと、
「お、おどれ、な、何しとんねん?あれ幽合会事務所やないか!?」
「は、離せ、何をする新入り、邪魔をするな!」
二人が揉み合っていると、
「早くこの場所を離れないと警察が来ます、これ以上いると不味いです」
運転席ウインドウから頭を出した阿部が叫んだ。
「は、離せ、貴様、救済の邪魔をするな」
「もうええでしょ?事務所はぶっ飛んどるやないす…」
「二人共いい加減にして下さい、限界です、出しますよ」
運転手の阿部が門田の言葉を遮って叫ぶと、二人は少しずつ冷静さを取り戻し、後部座席に雪崩れこんだ。後部座席で指示役の信者が、乱れた袈裟を整えながら言った。
「帰依が足らんな貴様、もっと厳しい修行が必要のようだ、桑名様に報告してからお前の処分を決めよう」
「上等や、桑名っちゅう奴に俺が逆に説教したるわボケ」
わざと足を気怠るく組み、売り言葉に買い言葉で返した門田が外を見ると、スマホを耳に当てながら野次馬を掻き分けて走るユーコを見かけた。
門田は心の中で考えた、ユーコの姿は確認したから無事だが片田がもし事務所にいたら、いや考えたくない、ユーコさんにバレたら殺される、いや、マジで何されるか分からへん、あまりの恐怖と絶望に考えるのをやめて、ただ俯いた。
Ⅲ
女が立っていた。白い床を黒の革靴が音を鳴らし、艶のある黒髪ショートカットに虚な目、黒いスーツが華奢なボディラインを強調している。天井に等間隔で設置されたLEDの蛍光灯が、女の眼前を刺す様に照らしているようだった。視界の両端を暗く歪ませるアイボリーの壁と白い床が、狭くて窮屈な通路をより強調していた。
「な、なんだ貴様は?」
白い袈裟姿に頭巾を被った信徒が、扉から出て来て女に訪ねてきた。顔面を覆う布に漢字で希望の二文字が縦に大きく描かれている。右手に握られたハンドガンの照準を、その大きく描かれた希望の文字の中心に合わせて女が引き金を引いた。発射された弾丸が信徒の顔面に命中し、後ろに飛ばされて、頭部を覆う布に描かれた希望の文字が流れ出る黒い血液で染まる。
「何者だ?邪教徒か?」
乾いた銃声に呼応して、開いたままの扉から信徒達が次々に飛び出して来た。刹那、ハンドガンの照準を信徒達の顔面中央部に縦に描かれた希望の二文字に目掛けて、女は至って冷静に引き金を引いていく。信徒達は、両腕の白い袈裟袖からスリーブナイフをすっと出すと、女が撃ち込む弾丸に怯む事無く切りかかって来た。
「死ね、邪教徒、地獄に堕ちろ」
そう喚きながら、銃弾に倒れた信徒の背後から新手の信徒達がスリーブナイフで突き刺そうと、次々に襲いかかって来る。左手にさらにもう一丁のハンドガンを持ち、両手で構えた二丁拳銃の銃口から容赦なく撃ち出されていく弾丸。希望と縦に描かれた信徒の顔面を覆う、白い頭巾を漆黒の飛沫を上げながら染め上げていく。狭い通路に無数の銃声と信徒達の断末魔が響いた。
信徒達の黒く染まった骸が、狭い通路をさらに狭くしていた。ハンドガンのマガジンをすっと床にリリースして、正確無比な動作で新たなマガジンを再装填する。女は、信徒達の骸を避けながら通路を小走りに進んで、一階から二階へと通路の突き当たりにある階段を駆け上がった。
「何者だ?」
スリーブナイフを左右から何度も突き刺そうと振りながら、新手の信徒達が現れた。頭部を躊躇なく撃って進もうとすると、背後から現れた信徒の袈裟袖から伸びたスリーブナイフの切先が短く刈られた黒髪と右耳の間をすり抜ける。問題ない、想定内だ。
そう冷静に自分に言い聞かせ、女は振り向かずに背後に立つ信徒の顎先に銃口を向けて撃った。そして、正面に立つ信徒の顔面にも発砲した。新手の信徒達が続々と現れてくる。マガジンを入れ替える暇がないのは明白だ。
弾が無くなった銃を正面に立つ信徒に投げつけて、怯んだ隙に中段回し蹴りで突き飛ばした。ナノマテリアルで機械化された両脚の機能、一部ロック解除。漏れたエアーが黒いパンツの両脚の裾をひらひらと揺らした。女は軽く身体を上下させてから、半身になりステップを踏んで構えた。
「死ねえ」
そう叫びながら勢いよくスリーブナイフで切りかかってきた信徒の左顎に、右脚の先をめり込ませる。狭い通路の壁に蹴りつけられた信徒が、重い衝撃音を鳴らして倒れた。
固く握られた拳で、さらに迫ってくる信徒の顔面を殴り、砕き、打ち抜く。信徒の後頭部から黒い血飛沫が飛び散り、背後にいた信徒達の白い袈裟が黒く染まっていた。
次々に襲いかかってくる信徒達の顔面を、
拳で打ち抜き、両脚から繰り出される素早い蹴りで次々に蹴り殺していく。二階の通路は、あっという間に信徒達の骸で埋め尽くされていった。
信徒達の気配が止んで、ゆっくり三階へ続く階段を登ると、不気味な静寂が待ち受けていた。三階の通路は明かりがなく、真っ暗な通路の先に四角い灯りが漏れる扉が微かに見えた。扉のそばまで近づくと、
「……ウガフナグル……フタグン…」
恐ろしく低い声が扉の向こうから聴こえる。
「お前は誰だ?」
右肩あたりに、熱を帯びた違和感と痛みを感じる。女は、右眼の視線をゆっくり自分の右肩に向けると、血で赤く濡れたスリーブナイフの鋭利な先が見えた。
「ミュートか」
女はそう小さく呟くと、右肩から突き出た剣先を左手で掴んだまま、ナノマテリアルで機械化された両脚の機能を全解除した。
背後へシュッという鋭い打撃音が貫き、右脚でサイドキックを放った。信徒の腹部にその足先がめり込むと、凄まじい高熱を帯びた衝撃波が信徒の身体を熱していく。信徒の身体は沸騰し、黒煙を纏い肉塊へと変わり、黒い粉となり霧散した。ナノマテリアルで出来た機械の脚が、革靴を溶かし露わになった。
「また靴、買わなくちゃ」
と、女は心の中で思ったが口に出していた。
Ⅳ
幽合会襲撃から三日後────
「ここが解散した救世魔神教会の後継団体、希望の轍、西唖々噛對支部のビルです」
公安四課の魚家が白髪頭をぼりぼり掻きながら説明する。夜の闇にきらりと光る金髪を靡かせて、ユーコが頷いた。
数年前、公安からの依頼でユーコ達、幽合会がこなした任務、救世魔神教会が起こしたメサイアセンター事件がユーコの脳裏をよぎる。魚家からの依頼は、このビルにいる希望の轍幹部、桑名元を名乗る男を消す事だ。
「また違法改造銃でも使ってテロとか画策してんの?」
装備を確認しながらユーコが魚家に聞いた。
「今回は銃じゃなくてパンと爆弾です」
「パン?と爆弾?」
「希望の轍パンというパンを作ってます、それは違法ではありません、爆弾は違法ですがね…」
「パンと爆弾は分かったけど、教祖は誰なの?
何で幹部の桑名って奴なの?」
「実は、教祖はまだ誰か分かっていないんですよ、で、今回は幽合会襲撃というか、街中でロケットランチャーを放つというテロ行為を…」
「なっが、まあ、私は桑名って奴がうちの事務所にロケランかましてきた事実だけで引き受けるし、必ず殺るんで大丈夫です。
で、桑名の特徴とか写真とかないの?」
「これが桑名です」
魚家がユーコに資料を手渡した。
「何これ?白い袈裟を着て頭から白頭巾、大柄、それだけ?」
「はい、ただ、これは不確かですがおそらく機械化変異体でかなり危険な奴です」
「不確かな情報過ぎません?要は、サイボーグミュータントで武装してると」
露骨に苦笑したユーコの表情が曇った。眉間に深い縦に伸びた二本の皺を作った魚家が、白髪頭をぼりぼり掻きながらユーコの顔を見ながら、
「この前の剛王連合の賭場から売上げ金が少し足らなかったんですよねぇ、知りませんか?」
訝しむ視線をユーコに魚家が向ける。
「知らない知らない、金の入ったリュック魚家さんに渡したでしょ?」
とぼけた調子でユーコがシラを切った。
「まあ、調べれば分かるんですけどねぇ、お願いしますよ」
そういうと、口角はニッと上げているが、
目が笑っていない魚家がユーコに軽く会釈した。分かった分かったと、手を振ったユーコが、後部座席から外へ出ようとした時、
「お待たせせましたー、魚家さん」
南風のクリーナー、春燕がユーコの反対側のドアから乗車して来た。
「あ、あんた、このデカ尻女狐!何であんたがここに来んのよ?」
「あんたこそ、このクソチビ女!ちょっと魚家さん、これどういうこと?」
まさに犬猿の仲のユーコと春燕が、互いを罵り合いそして、殺眼光で睨み合う。今にもつかみ合いの喧嘩を始めそうな状況になった時、
「二人とも落ち着いて下さい、ユーコさん、片田さんは今回参加出来ないでしょう?だから、私が春燕さんにお願いしたんですよ」
「クリーナーは他にいるでしょ?よりにもよってこの女じゃなくても」
「あの機械人がやられたの?アイヤー、魚家さん報酬アップじゃないと、私、帰るます」
殺し合いを今にも始めかねない二人を、魚家が何とか説き伏せて説明する。
「一応今回は希望の轍を壊滅させるために、幽合会に報復テロを起こした信徒がいると思われる、テロを示唆した幹部桑名と、違法兵器や薬の証拠を探し..,」
「桑名って奴、生死関係ないな?」
魚家の説明が言い終わる前に言葉を重ねた春燕の目が細くなり、ルームミラー越しに視線がぶつかる魚家に、鋭利な刃の様な視線を向けた。ええ、まあ、そうですねと、春燕の殺気に押された魚家をよそに、
「桑名は私が殺る、事務所吹っ飛ばされてるから」
ユーコがキツく唇を結んで言うと、二人は車から降りた。
「戦争でもするかチビ女?」
アーマードマキシマムスーツに緑色のタクティカルベストを装着したユーコに、春燕が聞いた。アーマードマキシマムスーツとは、
精神感応金属の繊維で造られた人工筋肉を内蔵した、通常の三十三倍以上の力が出せるらしい黒いスーツ、スイッチである襟元を閉めると、人工筋肉パンプアップしてパワー増幅を開始する、防弾・耐熱の機能も併せ持つ。
「チビは余計よデカ尻、あんたこそブルースリースタイルじゃないじゃない、今日はドニーイェンってわけ?そのスーツ防弾仕様?」
春燕の黒スーツ姿を見たユーコが言い返す。
「サイボーグと化け物がいるでしょ?そんなの相手にまともにやれないよ」
ベストのホルダーからナイフを抜いて、サーモンピンクの舌を刃に這わしたユーコが、春燕の顔を見ながらニチャリと邪悪な笑を浮かべた。春燕はフンっとユーコから顔をそらすと、長い黒髪をポニーテールに括って、装備を入念に点検し歩き出した。希望の轍、西唖々噛對支部と書かれた表札を一瞥したユーコと春燕は、そのビルへと入って行った。
Ⅴ
入り口の扉は鍵がかかっていない、そして、異様な程の静寂が二人を出迎えた。無数に散らばる空の薬莢と焼けた白い布、焦げ臭い黒い肉片から香る悪臭が、二人の鼻をついた。ありったけのファックが充満していた狭い廊下を進む。黒く澱んだ液体が床や壁に飛び散り、誰かが発狂して墨汁をぶちまけたような有様だ。
「仲間割れじゃないよね、これ」
立ち止まったユーコが、警戒しながら進む春燕に言った。
「手間が省けたね?ラッキーね」
「まあラッキーだけど、かなり面倒くさそうな奴等かも」
信徒達の焼け焦げた様な臭い死体を避けながら、二人が上階へと進もうとした時、突き当たりの部屋から、ガシャンと打撃音が聴こえた。誰かいる、二人は視線だけを交わして物音が聴こえた部屋の扉まで足音をさせないよう慎重に近付いて行く。
ユーコがハンドサインを春燕に送ろうと手を動かしたその瞬間、バァーンと春燕が扉を蹴り飛ばして中に入って行く。春燕の信じられないガサツさに、ユーコは肩を落として溜め息を吐いて後に続いた。
「ちょっとあんたさ〜どんだけガサツなの?中からいきなり撃たれて蜂の巣にされるかも?とか考えないの?ちょっ聞いてる?」
ユーコが春燕のガサツさに文句を言い終えると、視界に飛び込んで来たのは、部屋の中央にぽつんと置かれた椅子に拘束された、見覚えのある包帯で顔を覆われた男。白い包帯が血塗れて、ほぼ赤黒く変色している。
「おい、生きてるか?お前、誰だ?」
春燕が椅子に縛られ項垂れる包帯男に話しかけるが、返事はない。
「そいつ知ってる、門田っていう元凶商のフリーのクリーナー、何でこんな所にいんのかしら?」
ユーコが喋りながら門田に近づくと、ゆっくりと門田が頭を上げ、ユーコと目が合った。
「ユーコさんすか?す、すんません、ほんますんません、事務所にロケランぶち込むの、止めれんかったっす、片田さんは大丈夫すか?」
「あんた、あの時居たの?詳しく聞かせて」
碧い目が細くなり、鋭い視線が門田に向けられると、ユーコの顔が憎悪を隠さない険しい表情になった。
「そ、その前に、この縄、解いてもうてええすか」
春燕が部屋の隅に積まれた小麦粉等のおそらくパンの材料に使われる紙袋の山に腰掛けて、つまらなそうに門田がユーコに希望の轍に入信した経緯を説明していると、三人の居る丁度真上からガラスが割れる音や、低い唸り声、数発の轟音が聴こえた。
Ⅵ
希望の轍、西唖々噛對支部ビル前───
ユーコと春燕が行った後、魚家が四本目の煙草に火を点けて紫煙を吐き出した時、ガラスが割れる激しい高音が夜空に響くのを聴いた。慌てて吸い始めたばかりの煙草を灰皿にねじ込んだ魚家が、車外へ出ようとした瞬間、
「あ、はぁぁ」
魚家の息が詰まったような情け無い声がした後、車のボンネットに黒いスーツ姿の影が降って来た。ガシャンという派手な高音と、ドンと腹に響く重低音が魚家の鼓膜と下腹部を襲った。
「あ、あ、あえ、だ、何だ、誰だ?」
魚家が急転直下の状況に、冷静さをなんとか取り戻すと、車外へ出るために衝撃に歪んだフロントドアをなんとか蹴り開けた。丁度その時、黒いスーツ姿の人物は魚家の車のボンネットからぴょんと地面に着地する。
「ユーコさん?春燕?な、何があった?」
そう黒スーツに背後から問いかけたが、明らかにユーコでも春燕でもない、まずズボンの裾がビリビリに破かれていて、そこから機械の足先が見えたからだ。慌てて拳銃を構えた魚家が、もう一度強い口調で呼びかける。
「お前は誰だ?私は公安四課の魚家だ」
黒髪のショートカットが風に細かく揺らされると、美しく強い殺気に包まれた女が魚家の方へ振り返る。その顔を見た魚家の口が驚きに少し開き記憶の川が逆流し、一人の少女を想起させた。
「ちょっ、ちょっと待て、き、君は、」
言いかけた魚家を置き去りにして、黒スーツの女は何も言わずに希望の轍、ビルへと戻って行く。構えた拳銃を降ろして呆然と立ち尽くしていた魚家の側を、一匹のアライグマが通り過ぎるのが視界に入った。
「ア、アライグマ?」
ボンネットが凹んだ車体を見ながら、魚家は頭をわしゃわしゃ掻き、嘆息混じりに呟いた。
桑名───────
部屋中に散らばった割れたガラスの破片を、忌々しく見ながら床に描かれた魔法陣の中央に桑名は立っていた。祈祷中に突然入って来た黒いスーツ姿の女サイボーグ。
その招からざる侵入者から有無を言わさず放たれた機械の足による蹴撃を、その巨体に似つかわしくないスムーズな動きで受け流し避けた。
桑名の常人を基準に考えると歪な体躯、さらにその歪な体躯をミュート化した、異形の拳から繰り出された常軌を逸脱した剛腕左フックによる迎撃に、侵入者はダメージを分散させるために窓ガラスを突き破って、呆気なく地上へと落下して行ったのだ。
桑名は、侵入者の蹴撃によって黒く焦げた袈裟袖を睨みながら思考を巡らせる。クリーナーか、警察か、異教徒か、どちらにせよ排除すべき相手だ。思考を中断し、床に散らばったガラスの破片をジャリジャリという嫌な音を立てて踏み潰しながら、侵入者が入って来た扉へ向かい歩きだした。
扉の先には、黒焦げになった無数の信徒達の骸が床に転がっているのが見えた。桑名の全身を憤怒の血液が駆け巡り、両拳を強く握りしめた。
「なんたる邪悪、なんたる劣悪、ああ希望のカケラ達よ、あの侵入者がやったのか、信徒達をこの様な姿に、く、くく、ゆ、許さんぞ、私が神罰を与えよう。あの邪悪なる異教徒に希望の鉄槌を下す」
握った巨拳を壁に叩きつけると、ゴシャっと鈍い打撃音とともに巨拳が壁を突き抜けた。桑名が憤怒に震えていると、階下から階段を駆け上がってくる足音が聴こえる。侵入者の揺れる黒髪が視界に入った。
「貴様だけは、許さん!お前のような異教徒のために、無惨にも殉教者にされた信徒達の無念を、……晴さんッッッツ!」
桑名の長い口上が終わるや否や、階段を駆け上がる勢いを殺さずに、侵入者はそのままの速度に加えて、両脚の先が発光したと認識するより速く、激的な、そして激烈なショットガンドロップキックを放った。
侵入者の燃えるような両足が、桑名の胸部にめり込んだ。胸の辺りに高熱を帯びた衝撃波が、背中から突き抜ける様な感覚が桑名の脳に少し遅れて伝達される。大胸筋から肉が焦げる嫌な臭いを伴いながら、彼は、低い唸り声を上げ、祈りを捧げていた部屋の中央辺りまでぶっ飛ばされ、仰向けに倒れた。
ドロップキックを放って床に仰向けに倒れた侵入者が、素早くヘッドスプリングで軽快に起き上がると、桑名に向かって問いかける。
「桑名、あんたに聞きたい事がある、いや喋ってもらう、教祖品内浄慈の居場所を」
無様無様無様、なんたる失態、この様な事態を招いた自分と、突然現れた侵入者への怒りが桑名の冷静さを破壊した。全身の血流が急かされると、胸部の抉られた傷口を再生する様を大きな手で覆い隠し、ゆっくり仰向けの姿勢から起き上がる。
まだまだ帰依が足らない、侵入者に希望を与えねば、冷静さを取り戻さねば、そう桑名の思考が結論を出すと、頭に被った頭巾を掻き上げて投げ捨てた。鼻が削がれ顔面の左半分が機械化された悍ましく、凶悪な顔が露わになった。希望だ、希望を与えねば、左眼の赤い光を放つメカニカルアイを侵入者へズームさせると、それまでの激烈な憤怒は失せていた。
「貴様の様な穢れた者に誰が我が教祖の事を話すものか、二度とその穢れた口から我が教祖の名が言えぬよう、希望の鉄槌で貴様を救おう、殉教者達の思いを、無念を晴らし、そして、穢れたお前に希望の裁きを、救いを、与えるのだ」
桑名は起き上がり、そう言いながら侵入者を睨みつけた。握った巨拳を振りかぶると、侵入者に野獣のように殴りかかる。大振りの巨拳は空を切った。しかし、侵入者に充分な死を感じさせる殺傷力があり、二人の間合いは開いていくばかりだ。激烈な攻防が続く中、桑名は、地面に描かれた魔法陣の中央に立ち、精神を集中させる。
「……ウガフナグル……フタグン…」
桑名は、両手を合わせ、何かの儀式に用いられる呪文を詠唱しだした。私は完全に冷静さを取り戻した、その細いサイボーグの足に自信を持っているようだが、この、希望を授かった私には効かないだろう。次、私と接触する時、貴様は希望の光に包まれるだろう。
巨拳の殺傷力は絶大だ、まともに食らえば、おそらく二度と立ち上がる事はないだろう。その傲慢さから詠唱を始めた桑名に向かって、侵入者は真っ正面から突進して来た。
勝利を確信した桑名が、咆哮した瞬間、侵入者は体制を低くして、桑名の股の間にスライディングしてきた。
「希望を与えてやろう、愚かな邪教徒よ!」
桑名の巨拳が、股の間を通過しようとしている侵入者に向かって振り下ろされる。しかし、拳の先が侵入者の身体を捉える事は無かった。拳より速く、侵入者が股を通過したのを桑名が認識した時、彼の巨拳が地面にめり込んだ。
状況を把握する間もなく、巨拳の絶大な威力が床を突き抜け、そのまま、桑名の巨体が体勢を崩した。
「ぬわあああああああああ」
断末魔を残して、破壊されたコンクリートの粉塵と共に、桑名は闇の中へと吸い込まれて行った。
侵入者は、粉塵の中にぽっかり空いた暗く大きな穴を見つめていた。
Ⅶ
ユーコは門田から、阿部守という女性信徒を追って希望の轍に入り、幽合会を襲撃する片棒を担がされ、支部に戻ると、信仰矯正という程で拷問をされた所まで聞き終えた。
「ふーん、で、そこにたまたま、運よく、いや、運悪く私達が突入して来たってことか」
「はい、ほんますんません。片田さん、大事にならなええんですけど」
「まあ、足、骨折したぐらいだから。で、ロケラン打ち込んだ奴と、桑名って奴、どこ?」
「わからんす。なんか、ボコボコにしばきまわされとったら、侵入者や、言うて皆んな居らんようになっとったんで」
「日頃の行い悪い、因果応報ね」
春燕がつまらなそうに呟いた。
「は?死にたいのあんた?」
こめかみの血管を、ビキビキと脈打たせたユーコが、春燕を睨んだ。
「上等ね、やるかチビ女?」
太々しく立ち上がった春燕に、ユーコが近づくと、激しい視殺戦を始めた。門田は、この二人めちゃめちゃ仲悪いやん、ごっつ気まずいやんと、心の中で呟くと、この厄介事に巻き込まれたくない一心で、気配を消して黙っていた。
目的を忘れて、喧嘩を始めた二人の緊張がピークに達しようとした時、天井から重低音
が打ち鳴らされ、砕かれたコンクリートの雨と粉塵が、室内を突如、カオスに包みこんだ。
三人は、無意識的な防衛本能で扉の方へ避難した。すると、粉塵が漂う室内に、瓦礫の山から巨大な黒い影が現れたのだ。
「やられたな、忌々しい邪教徒め、いや、機械の虚人か。我が希望の拳を避けるとは、ん?お前達は一体、ここで何をしている!虚人の仲間か?」
悍ましい顔面から、問いが告げられる。
サイボーグ化されたミュートの信徒が突然天井から降って来て、三人は唖然としていたが、ユーコはすぐさま冷静さを取り戻し、碧い視線を粉塵漂う室内の状況を分析した。
「天井に空いた穴か、ちょっと!」
桑名の問いには無関係な独り言を言い終えると、ユーコは、門田と春燕にある作戦を伝えた。
「ユーコさん一人で大丈夫なんすか?」
「まあ、なんとかなるっしょ。春燕、お願い」
門田から視線を春燕に向けたユーコが言った。
「ホントにイカれてるな、チビ女、死ぬなよ」
厄介事を押し付けられたと、春燕が渋々承すると、ユーコを室内に残して二人は駆け出した。一人になったユーコがホルダーからファイティングナイフを抜いて、ニチャリと邪悪な笑みを浮かべて告げる。
「Хуй ディック(クソ野郎)!このクソカルト!」
ロシア語で罵るユーコの様子を伺っていた桑名が、両手の拳を握って構えた。
「クリーナーだな、その小さき身体で抗うか、よかろう、希望の鉄槌を下してやろう」
粉塵漂う室内に緊張が張り詰めた後、ユーコが襟元にあるスイッチを押して、アーマードマキシマムスーツをパンプアップさせた。
門田と春燕──────
ユーコの元から離れた二人は、素早く二階への階段を駆け上がる。
「あのー春燕さん、で、どうやってあの穴塞ぐんすか?」
門田が自分の前を行く春燕に聞いた。
「なんか、あるだろ上の部屋に!まあ死体でもいいか、ミイラ男!お前もなんかさがせよ!」
初対面で変なあだ名をつけられた門田は、なんなんだろう、あのユーコさんとフェイストゥフェイスで喧嘩出来るくらいだから、春燕もかなりヤバいクリーナーだろうと、思考を巡らせる。
二人が二階への階段を登りきると、通路に信徒達の死体が転がっていた。そして、通路の突き当たりにある、扉が開いた部屋が見えた。
「おい、ミイラ男、お前先に行って机とか棚とかで塞げ!」
「春燕さんは?」
「私は、した、いや手伝いを連れていくから」
よく分からないが了解と頷いた門田は、春燕を残して死体を避けながら突き当たりの扉へ進んだ。春燕は、隠し持っていたお札を死体の額に貼り付けて回ると、呪文を唱えだした。
室内に入ると、門田の視界に入ったのは、桑名の巨拳によって作られた、黒い大きな穴だった。室内を見渡すと、複数のファイルが保存された棚が二台あるだけだ。
「あかん、この棚だけで穴塞がらんやろな。とりあえずやってみよか」
そう言うと、門田は棚を引きずり、穴の方へ近づけた。穴を覗くと、暗闇からキィンと刃物の甲高い音と、桑名の唸り声が聴こえる。拷問を受け、身体中が悲鳴を上げているなか、門田が必死に棚を動かしていると、
「ミイラ男、手伝い連れてきたよー!」
春燕の明るい声が聞こえると同時に、額にお札が貼り付けられた信徒達の死体が現れた。
「ありえへん、キョンシーやん」
苦笑する門田の背後から、春燕に操られた信徒達が棚を押して大穴を塞ぐ。
「春燕さんすごいスネ、こんなんできるんすか?霊幻道士ですやん」
「だれがスイカ頭やねん!アホか!」
春燕の謎のツッコミに門田がうろたえる。
「言ってない言ってない!どっちか言うたらテンテンの方ですやん、もう恐いわ」
門田が言い返すと、春燕は穴の周りに空いた隙間に、操る信徒達を押し込んだ。
「準備オッケー!後はチビ女に任せて、窓から逃げるよ、ミイラ男!」
「ま、窓から?僕、どつきまわされて身体バキバキで…….」
尻込みする門田の背中をバシバシ叩いた春燕は、破壊された窓から外を覗くと、じゃあお先にと、地上へ飛び降りた。
「ちょ、ちょっと、春燕さん!ほんま、なんちゅう日や、最悪や。もう宗教はこりごりやーっ!」
迷いと全身の痛みを振り払い、門田も窓から飛び降りた。
Ⅷ
桑名VSユーコ──────
ユーコのファイティングナイフが、桑名の巨躯を狙い、執拗に閃いた。だが、桑名の左腕は、まるで意志を持つ鉄塊のように、その刃をいなし、受け流す。鈍い金属音と共に、火花が散る。桑名の右拳は、まるで破壊の象徴のように、ユーコの細い体を粉砕せんと、唸りを上げて迫った。
ユーコの碧い瞳は、まるで深海のように静かで、その奥には、桑名の動きがスローモーションのように映っていた。研ぎ澄まされた集中力は、彼女の神経を極限まで高め、桑名の巨拳を紙一重で回避する。だが、その度に、彼女の全身に、人体の限界を超越した負荷がかかっていた。
アーマードマキシマムスーツを着ていても、彼女の骨と筋繊維は、悲鳴を上げ、破壊されていく。それは、まるで、内側から体を蝕む、見えない刃のようだった。だが、その度に、彼女の体は、まるで、死の淵から蘇る不死鳥のように、再生能力を発動させる。
その光景は、常人には理解しがたい、異様な光景だった。破壊と再生。それは、生と死が、残酷なまでに隣り合わせになった、悪夢のような光景だった。再生能力は、彼女の体力を確実に奪っていく。
桑名の表情は、無機質だった。感情というものが、彼の内部から抜け落ちてしまったかのような、冷たい眼差し。彼の拳は、まるで機械仕掛けのピストンのように、正確に、そして執拗に、ユーコを追い詰める。
ユーコの呼吸は、荒く、浅くなっていた。額には汗が滲み、それが細い筋となって、頬を伝う。彼女の意識は、徐々に、深い霧の中に沈んでいくようだった。だが、彼女の内部には、まだ、消えかけている炎のような、戦意が残っていた。
「硬っ、やるじゃんクソカルト、……んー、そろそろかな?」
桑名が開けた天井の穴を、春燕達が塞いだのを確認したユーコが呟いた。
「ちょこまかと素早い奴だ、そのスーツで運動能力を増幅させているようだな。だが、もう終わりだ、次の一撃で希望の光がお前を包むだろう」
そう言うと、桑名は構えを解いて、機械化された左腕をユーコの方へ突き出して、呪文を唱え出した。
「そう来ると思ってた」
ユーコは春燕が腰掛けていた、パン粉の詰まった袋にファイティングナイフを突き立て、室内にばら撒き始めた。
「目眩しか、愚かな。私の左眼には通用せん!」
桑名の機械化された左眼が、不気味な赤い光を放った。彼は、粉塵の中を移動するユーコの位置を、正確に捉えた。
「すべてはひとつ、希望の光に包まれよ!」
桑名の左腕が、異様な音を立てて変形した。それは、レールキャノン砲。高熱を帯びた砲口が、ユーコを捉えた。その瞬間、時間が止まったかのように、世界が静止した。Δ
そして、その静寂を破るように、カツカツと地面を革靴が歩く音が、止まった時間の中に鳴り響いた。
「三年ぶりに来てみたら、懲りないクソカルトと、クソババア。もー、最悪」
長いダークブラウンの髪に翠色の眼。黒いスーツに身を包む若い女が、静止したユーコの横で歩みを止めた。
「パン粉、天井の穴を塞いで密閉空間を作るか、粉塵爆発でこいつをドカンね。相変わらず、無茶苦茶な作戦でイカれてる。しかも、こいつ自身が起爆するって、悪知恵だけは、さすが一流ね、ク•ソ•バ•バ•ア」
不敵な笑みを浮かべて、推理を披露した彼女が、桑名の方へ視線を移した。
「教祖の居場所は、どこかなんて、あえて聞く必要ないのよね」
彼女は、左腕を突き出して構える桑名に近づくと、背後から機械化された頭部に手を伸ばしてマイクロメモリを抜き取り、新たに黒いマイクロメモリを差し込んだ。
「お疲れ〜、後は勝手に爆発して。まあ、再生するから死なないんでしょうけど。…はぁ、でも、ババアにはまだやってもらいたい事あるからなあ…」
彼女は、静止したユーコを引きずるように扉の手前まで位置をずらした。そして、爆発が起こった時に扉を盾に出来るように、ユーコの身体が扉から室外に少し出ている感じにしてから、室内を後にした。
「おった、おった、エージェントK!待っとったやんか」
扉から出てきた彼女に、ガサツな関西弁が聞こえる。彼女が視線を落とすと、一匹のアライグマがちょこんと立っていた。
「荒井さんもこの作戦に参加してんだ。へぇ、それで、教祖の情報は何か掴んだの?」
アライグマが小さな両手を広げ、お手上げだよとジェスチャーする。
「なんも。……あっ!その金髪!なんでここにおんねん?サラダチキン買うてこい言うたら、急に走って行きよって、それはええわ、お前は何か分かったんか?」
「知ってんのこのババア。一応、桑名の頭からチップは取ったから、これ見てからかなあ。そろそろ、この部屋爆発するよ、時間動かすから」
彼女は、アライグマが急に喋り出したら誰でも逃げるだろうと嘆息する。なんやねんそれ?と荒井は踵を返して四つ足で入り口へと駆け出した。その後を、彼女も追っていく。そして、止まった時が動き出す。Δ
「すべてはひとつ、希望の光に包まれよ!」
桑名の左腕が、異様な音を立てて変形した。それは、レールキャノン砲。高熱を帯びた砲口が発光した瞬間、ユーコは扉を閉めて室内を脱出した。それと同時に轟音が響き、室内から発生した衝撃波が扉を吹き飛ばした。
通路の床に膝を曲げて頭を抱えたユーコが転がる。やがて、体勢を起こして立ち上がり、吹き飛んだ扉から中の様子を伺うと、粉塵の煙の中に、右半身を吹き飛ばされた桑名が転がっていた。桑名は、爆発で損傷した機械化されていない肉体を、無数のみみずが這出てくる血管が、損傷した部分を再生させようとしている。
「あれで、死んでないの?タフな奴」
ユーコがファイティングナイフを構えて、瀕死の桑名にトドメを刺そうと距離を詰めて近づくと、天井から黒い塊が落ちて来た。
ドシャッと、いう鈍い音が聞こえた後、ユーコの前に、黒髪ショートに黒いスーツ姿の若い女が、桑名の機械化された頭を、足で踏み潰しているのが見えた。その時、女が潰した桑名の頭部から、黒いマイクロメモリを素早く抜き取り、上着のポケットに入れるのを、ユーコの碧い視線は見逃さなかった。
「だ、誰よあんた?」
ユーコは警戒しながら聞いた。
「フリーランスクリーナーの阿部守です。希望の轍に潜入してたんですが、あなた達、公安が強行してきたんで……。」
「フリーランスの阿部守?潜入?先に雑魚ども殺ってたのって、あんたなんだ。私、公安じゃなくて公安から頼まれただけだから。頼まれなくても事務所にロケランぶち込まれたから、勝手に殺るけど。あ、そいつ、まだ生き……」
ユーコの言葉を遮って、阿部の足先から凄まじい高熱を帯びた衝撃波が桑名の再生途中の身体を熱していく。桑名の身体は沸騰し、黒煙を纏い肉塊へと変わり、機械化部分を残して、黒い粉となり霧散した。
阿部は、ユーコに軽く会釈してから何事も無かったかのように部屋から出ようと歩き出した。
「あんた、そのポケットに入れたやつに何かあんの?」
阿部は歩くのを止めた。
「さすがにバレてましたか?幽合会のユーコ•那加毛さん」
ユーコも阿部も、お互いの顔を見たまま不敵な笑みを浮かべていた。
Ⅸ
歪に盛り上がった両腕にザラザラした青色の皮膚、黒いスカジャンを羽織ったチンピラミュートの巨大な右拳が、怒号とともに私の顔面に迫ってきた。
体捌きでその巨大な右拳をかわして、私の短めの黒髪が風に靡いた刹那、金のチェーンネックレスをしたそのチンピラミュートの右顎辺りに、私の黒い右脚の先がめり込んだ。
直後、趣味の悪い金のチェーンネックレスがジャラジャラと揺れて、チンピラミュートの男が地面とキスをした。
「おっかなー、真っ昼間から街中でよくやるわ」
細い一車線の道路を挟んで、斜向かいの歩道で、幽合会のユーコ•那加毛が南風の春燕に言った。
「阿部だったかな、あいつ門田とほんとに組んだのかな?」
ユーコが微笑しながら、春燕に問いかけた。
「ミイラ男と組んだんじゃないか。あのカラテサイボーグ」
「嗚呼、世界はなんて Complicated なの。彼女は三年前、クソカルトに兄を殺され、ドラゴン怒りの復讐拳なのよ」
「コンプリケイテッド?英語か?ドラゴン怒りの復讐拳なんかないぞ、チビ女」
「複雑ってことよ、冗談通じないな〜この、デカ尻」
ユーコの邪悪なドヤ顔に、春燕の表情がうんざりだと曇り嘆息した。
「ま、そんな事より、あのハイキックガールはやり過ぎたね」
「警察に捕まるか?」
「そっちのがマシよ、ほら…」
雑談を中断して、立ち止まった二人の視線が私の方へ向けられた。
「てめえ、よくもやりやがったな!許さねえぞ、このクソラス女が!」
地面にうつ伏せになるチンピラミュートの背後から、怒声を上げながら新手のチンピラミュート達が駆け寄って来る。銃やナイフを持った数人のチンピラミュート達が、何か罵声を喚きながら襲いかかろうとしていた。
「ま、まもりちゃーん!」
背後から、門田が大声で呼ぶ声が聞こえる。
「てめぇ、警察か掃除屋か知らねぇがいきなり殴り込んできやがって!」
「あんた達が私の質問にまともに答えないし、態度が気に食わないからよ」
「は?舐めてんのかクソがよ!」
怒声を上げながらチンピラミュートがナイフで斬りつけてきた。その瞬間、有刺鉄線が巻かれたバットがミュートの顔面にめり込んだ。
「なにほたえてんねん、クソどもが!どつきまわすぞコラ」
すでにどついている事には誰もツッコまないまま、門田がチンピラ達をバットでめった打ちにしている。
「あいつら、いいコンビじゃないデカ尻?」
「ミイラ男とカラテ女か、お似合いだな、チビ女?」
ユーコと春燕の間に、張り詰めた静寂が訪れた。それは、嵐の前の静けさというよりも、研ぎ澄まされた刃が触れ合う直前の、あの独特の緊張感に近かった。次の瞬間、二人は唸り声を上げ、互いに組み付いた。女同士の争いというには、あまりにも凄惨で、殺意すら感じさせるものだった。
その光景を横目に、私は血塗れになったチンピラたちの息の根が止まらないよう、門田さんの過剰な暴力を止めに入った。門田さんは、手にしたバットに付着した返り血を、面倒くさそうに振り払った。
「まもりちゃん、あんまりやりすぎたらあかん。話せばわかることもあるんやから」
門田さんの言葉は、諭すというよりも、長年連れ添った相棒に対する、軽い注意といった響きだった。
「すみません、門田さん。あいつらの態度が気に食わなくて」
私の言葉に、門田さんは「まあ、ええやん。しゃあない、しゃあない」と、いつもの調子で私の肩を叩いた。その手には、まだ生暖かい血の感触が残っていた。
兄を殺した救世魔神教会の残党、希望の轍。私は、彼らを決して許さない。その思いは、私の心の奥底で、黒く、そして静かに燃え続けていた。それは、決して消えることのない、復讐の炎だった。
──────
See you in the next heaven




