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ALL YOU NEED IS HEAVEN   作者: 危山一八
1/6

ALL YOU NEED IS RETURN

挿絵(By みてみん)



Heaven does not extend a helping hand to those who do not act on their own


(自分で行動しない者に天は救いの手を差し伸べない)


   ────ウィリアム•シェイクスピア


I


 目が覚めた。左腕のデジタル表示は、20時14分。取引は20時30分だ。遅れれば、全てが終わる。


 俺は跳ね起き、部屋を飛び出した。エレベーターのボタンを叩きつけるように連打する。早く来い、と心の中で叫びながら、エレベーターの扉を睨みつけた。


 こんな時に寝過ごせば、チョウの兄貴に本当に殺される。脳裏を最悪の想像が駆け巡る中、エレベーターの扉が開いた。急げ、急げ、一階のボタンを押した後、閉じるボタンを連打する。


 エレベーターの扉が開いた瞬間、あらゆる雑念を振り払い、走り出した。マンションの入り口から飛び出し、集合場所の満園会館へ向かう。通りを歩く人々が邪魔だった。全員行く手を阻む障害物にしか見えず、苛立ちが募る。これほど焦ったのは、人生で何度目だろうか。そんなことを考えても無駄なのに、考えずにはいられなかった。


 園会館へは、マンションから五分とかからなかったはずだ。そう自分に言い聞かせながら、とにかく足を動かした。焦燥感が、アスファルトを叩きつける足音を早める。角を曲がる時、金髪碧眼の小柄な女とすれ違った。チョウの兄貴がよく言うラス|《人間》女だった。危うくぶつかりそうになった時、そのひどく濁った碧い目が、妙に記憶に残った。


 息を殺し、焦燥を押し殺し、満園会館の扉を静かに開けた。俺は、まるで地面に這いつくばるように、声を絞り出した。


「すいません、遅れてないですよね?……すいません、遅れて……」


 その声は、まるで喉に砂が詰まったように、かすれていた。店内を見渡すと、そこには誰もいなかった。左腕のデジタル表示は、20時29分を告げていた。


 間に合ったのか、と安堵したのも束の間、なぜ誰もいないのかという疑問が頭をもたげた。集合場所は本当にここなのか?貸切とはいえ、従業員も誰もいない訳がない。迷いながら、俺は二階へ向かうことにした。


 二階への階段を上がると、ありえない光景が目に飛び込んできた。仲間の切り刻まれた無残な死体。床には、乾きかけた血の海が広がっている。鉄錆のような匂いが鼻をつき、胃の底から吐き気がこみ上げてきた。何が起こったのか、理解が追いつかない。ここにいれば自分も同じ運命を辿る。そう確信した時、階下から声が聞こえた。


「探せ、まだ生き残りがいるぞ」


 その声は、冷たく、無機質だった。俺は、背筋を凍りつかせながら、死体の転がる廊下を駆け出した。


 階段を下りるのはまずい。他の脱出経路を探し、窓に目を止めた。飛び降りるしかない。窓を開け、下を見た。それほど高い場所ではない。階下から階段を上がる音が聞こえ、俺は飛び降りた。


 着地の瞬間、右足に激痛が走り、地面に転がった。その時、通行人の悲鳴が聞こえた。黒髪ポニーテールのラス女が、二メートルはあろうかという巨漢ミュート|《変異体》を殴り倒していた。


 わけがわからない。とにかく逃げなければ。チョウの兄貴のところへ行こう。痛む足を庇いながら、走り出した。巨漢ミュートが叩きのめされている方向とは逆に走ろうとした時、目の前にトラックが突っ込んできた。衝撃が全身を貫く感覚が、走り出そうとした俺の足を踏み止まらせた。


「こっちだ、早く来い!」


 アスファルトを叩きつけるような轟音。巨体の鉄塊が、ほんの数センチの差で俺の脇腹を掠めていった。トラックの運転手は、血走った目でこちらを睨みつけ、罵声を浴びせながら走り去っていく。 


 生きた心地がしなかった。全身から冷や汗が噴き出し、心臓が早鐘のように打ち鳴らす。ようやく呼吸を整え、周囲を見渡すと、路地の奥に人影が見えた。頭から黒血を流したチョウの兄貴だ。


「何してる、早く来い」


 その声は、いつもの飄々とした調子とは異なり、鋭く、切迫していた。 


「はい」


 俺は、よろめきながらもチョウの兄貴の元へ駆け寄った。


「お前、遅れてきて運が良かったな。ほらよ、これ持っとけ」


 チョウの兄貴は、そう言いながら、俺にずっしりと重いハンドガンと、光沢を鈍く反射する黒いカードキーを押し付けた。頭から黒血を流し、額には脂汗が滲んでいる。尋常ではない事態であることは、一目瞭然だった。


「早く来い」


 チョウの兄貴は、それだけ言うと、隠れ家として使っているバーの裏口へと足を踏み入れた。俺は、言われるがままに、血の匂いが染み付いた路地を後にした。背後から、けたたましいサイレンの音が近づいてくる。


II


 店内に入った瞬間、鉄と硝煙の匂いが鼻をついた。テーブルの上には、無造作に転がる銃火器とナイフ。


「ハメられたんだよ、俺達は」


 チョウの兄貴が、苛立ちと焦燥を滲ませた声で言った。その顔は、怒りと困惑で歪んでいた。


「20時10分頃だったか、金髪のラス女がやってきてな。『ブツはどこだ』って、いきなり聞いてきやがった。誰だてめえは、と聞いても答えやしねえ。だから、少しばかり懲らしめてやろうとしたんだが、いきなりナイフで襲いかかってきやがった。やべえと思って、慌てて逃げたんだ」


 チョウの兄貴は、そう吐き捨てると、咥えた煙草に火をつけようとした。その時、店の入り口が開いた。


 そこに立っていたのは、先ほど巨漢の男を撲殺した黒髪ポニーテールのラス女だった。その女は、異様な殺気を放ちながら、ゆっくりと店内に足を踏み入れた。


「誰だ、てめえ!何しに来やがった!」


 チョウの兄貴が怒鳴り声を上げ、銃を構えた。銃口は、女に向けられていた。


「ブツはどこにありますか?抵抗しなければ、殺しませんよ」


 女の声は、信じられないほど冷静だった。その冷たい声が、店内に響き渡った。


「ふざけるな、このクソが!」


 チョウの兄貴が引き金を引いた。銃声が店内に轟いたが、女はありえない速さで銃弾をかわした。そして、チョウの兄貴の銃を持つ右腕を、チョップで切り落とした。


「ぎゃああああああああああ」


 チョウの兄貴の悲鳴が、店内に響き渡った。切断された右腕からは、黒々とした血が噴き出した。


「で、ブツはどこにありますか?」


 腕を切り落としたばかりだというのに、女はまるで何事もなかったかのように、冷静に尋ねた。その異常なまでの冷静さに、俺は戦慄した。


「わ、分かった。そこのレジカウンターの下から二番目の引き出しの中だ」


「嘘ですね。騙されませんよ。ブツはどこですか?」


「くっ、上から二番目の引き出し……」


 チョウの兄貴が言いかけた時、女は、ハンドガンの銃口をチョウの兄貴の眉間に突きつけた。


「で、ブツはどこですか?」


「待ってくれ、俺は知らないんだ。本当に。ここにはないんだ、ブツは」


「動かないでください。そこのあなた、バックヤードを探してきてください」


 女が、冷たい視線を俺に向けた。


「クソラス女が、ラスのくせに舐めるな」


 チョウの兄貴は、切断された右腕を再生させると、女に掴みかかった。


「最悪」


 女は、心底軽蔑したように呟くと、俺の顔を見たまま、ノン•テレグラフィックモーションで、チョウの兄貴のこめかみに拳をめり込ませ、そのまま床に叩きつけた。チョウの兄貴は、白目を剥いて泡を吹いていた。


 逃げなければ。そう思った俺は、ハンドガンを握り、銃口を女に向けた。しかし、次の瞬間、あの拳で殴り倒され、殺されたことがあるような、奇妙な感覚に襲われた。


 安物のハンドガンを握りしめたところで、この状況を打開できるはずもない。俺は、チョウの兄貴を振り返ることなく、背後で聞こえた破裂音を背に、必死でバックヤードへと走り出した。裏口から逃げられる。その一心で、扉を勢いよく開けた。


 そこに立っていたのは、角でぶつかりそうになった黒いスーツ姿の小柄な金髪碧眼のラス女だった。


「十四回目ってことよね。やっと理解した」


 女は、まるで独り言のように、低い声で呟いた。その声には、底知れぬ冷たさが宿っていた。


「え?はぁ」 


 何を言っているのか、全く理解できなかった。私は、呆然と立ち尽くすしかなかった。その時、女の口元に、邪悪な笑みが浮かんだ。次の瞬間、黒い拳が私の顔面に迫ってきた。鈍い衝撃。脳が揺さぶられるような、強烈な痛み。そして、意識は闇へと落ちていった。



PM.22:10──────


 事務所の隅で、俺は意識を失っていた。


「起きろ、タコ助。起きろったら」


 金髪碧眼のラス女が俺の頬を叩く。その横で、黒髪ポニーテールのラス女が腕組みをしている。


「ユーコさん、手加減はしたんですか? まさか、殺したんじゃないでしょうね、そのタコ太郎」


「殺してない。そんなに強く殴ってないって。あんたじゃあるいし」


「私がいつ、人を殴り殺したと?」


「は?あんた、手加減なんて言葉を知らないじゃない」


「まあ、それは……」


「もう、起きてよ、タコ助。もう一発殴れば起きるかな?」


 俺はゆっくりと目を開けた。自分がどこにいるのか、すぐにはわからなかった。無機質なデスクとスチール製の棚が並ぶ、殺風景な事務所の一室。


「起きてます、起きてますから、殴らないでください」


 俺がそう懇願すると、目の前にユーコという名前らしい金髪碧眼ラス女とポニーテールのラス女が立っていた。二人の視線が、冷たい針のように突き刺さる。


「い、いったい、何なんですか? あなたたちは、誰なんですか? 私が何かしましたか?」


「あんたの所属している江州会こうしゅうかいが、毒蜘蛛っていうチャイニーズマフィアから横取りしたブツを探しているの。教えてくれる?」


 毒蜘蛛?チャイニーズマフィア?俺は首を振った。確かに、チョウの兄貴は堅気ではない。しかし、自分はただのバイトだ。そんな裏社会の事情など、知る由もない。


「知りません。僕はただのバイトですから……」


 金髪碧眼ラス女の顔色が、氷のように冷たくなった。それまでのにこやかな表情が消え、鋭い眼光が俺を射抜く。俺は、本能的に危険を感じた。


「そう……。面倒くさ」


 金髪碧眼ラス女は、躊躇なくハンドガンの銃口を俺の眉間に押し当てた。


「え?」


 銃声。至近距離で聞くそれは、耳をつんざく爆音だった。俺の頭が、鉛のように重くなる。事務所の壁にかかった時計の針は、22:17分を指していた。


「もー、ユーコさん! 誰が掃除するんですか……」


 黒髪ポニーテールのラス女の、うんざりした声が聞こえた。俺の意識は、そこで途絶えた。


PM.22:11──────


 俺は再び意識を取り戻した。頭を銃で撃ち抜かれたような、生々しい記憶が残っている。


「も〜起きてよ〜タコ助、もう一発殴ったら起きるかな?」


「起きてます、起きてます、だから銃で殺さないで下さい」


 そう半泣きで懇願すると、目の前には躊躇なく俺の頭をぶち抜いた金髪碧眼ラス女と、黒髪ポニーテールのラス女が、じっと俺を見ている。


「い、一体、何なんですか?あなた達は、誰ですか?僕が何かしましたか?」 


「あんたの所属している江州会が、毒蜘蛛っていうチャイニーズマフィアから横取りしたブツを探してるの、教えてくんない?」


 毒蜘蛛、知っている。南南町を拠点にしている、チャイニーズマフィアだ。確かにチョウの兄貴は堅気ではないが、俺みたいな下っ端のバイトには、知っていても噂話のネタぐらいにしかならない事だ。


「毒蜘蛛は、噂話程度しか知らないです、僕、バイトですから…」


 金髪碧眼ラス女の顔色が暗くなり、さっきまでとは打って変わって、碧い瞳がギラリと鈍く輝き、声のトーンが明らかに低くなり嫌な予感がした。


「そう、面倒く…」


「お願いです、ユーコさん殺さないで下さい、本当にブツが何なのか、何処にあるのか、僕は、知らないんです」


 ユーコが銃口を向けるよりも早く、俺は口走った。


「ふーん、じゃあ、あんた私に殺されて戻って来たって事?」


 ユーコの表情が邪悪に歪み、ニチャアと口角が上がって俺を見ている。


「カ、カカ、カードキーを預かりました、チョウの兄貴から…」


 ユーコはポケットから、黒いカードキーを取り出した。見覚えのある、無機質なカード。


「あんたをここに運んだ時に見つけたんだけど、これ何なの?」


 俺は慎重に言葉を選んだ。この女は、ためらいなく引き金を引く。黒いカードキーには、中遠解運國際貨運有限公司キャスコと書かれている。


「た、たぶん第三突堤にある倉庫のカードキーです」


「そこにブツを隠してるってこと?」


 ユーコは、事務所内をうろうろしながらスマホを操作して、何処かに電話をかけている。黒髪ポニーテールのラス女は、ノートPCを凝視しながら、カタカタと軽快にキーボードを叩いていた。


「あ、あの、僕は、もう帰らせて貰えるんでしょうか?」


 沈黙に耐えかねて、俺は口を開いた。黒髪ポニーテールのラス女が冷たい視線を向ける。


「決まりね、片田へんでん、倉庫に行こう」


 ユーコが不敵な笑みを浮かべると、片田へんでんという名前らしい黒髪ポニーテールのラス女にそう問いかけた。


「あ、あの、僕は…」


 俺の言葉は無視された。


「タコ助、あんたには、ナビをしてもらう」


「え、ええ、僕も行くんですか?」


「そうよ、倉庫に一緒に行ってもらう、なんか使えそうなのよねーあんた」


 俺の顔を覗きこむ、ユーコの碧い瞳の奥が鈍く輝いていた。



 俺は、繰り返される既視感の波に、ただただ身を委ねていた。それは、まるで終わりのない悪夢のようだった。何度も何度も死を繰り返し、そしてまた、この瞬間に戻ってくる。ならば、今、こうして生きていることは、ほんの一時の猶予に過ぎないのだろうか。


 俺は、助手席のユーコと、運転席の片田の背中をじっと見つめながら、深く沈み込む思考の海を漂っていた。


 片田の運転する黒い4WD車は、第三突堤の倉庫へと向かう道を進む。なぜ、こんなことになったのか。俺には、もはや理解できなかった。ただ、異様な既視感が、脳裏を絶えずよぎる。それは、まるで過去の記憶が、歪んだ鏡に映し出されているかのようだった。


 ユーコは、スマートフォンの画面に釘付けになり、何かを必死に操作していた。その表情は、冷たく、そしてどこか楽しげでもあった。俺は、自身の能力について考えを巡らせた。未来が見えるわけではない。ただ、死に直結する危険を、ほんの数秒前に察知できるだけだ。


「ねえ、あんたさ、競馬の結果を見た後に、自分で死んで、当たり馬券を買い直したりできないの?」


 ユーコの唐突な問いかけに、俺は戸惑いを隠せなかった。その時、運転席の片田が、冷静な声で言った。


「それが可能なら、タコ太郎さんは今頃、大金持ちですよ。私たちに捕まらないでしょう」


 ユーコは、片田の言葉に、薄く笑みを浮かべた。


「まあ、そうか。で、どうなの?」


「そ、そんなこと、試したこともありません。死んで、二度と戻って来られなかったら、怖いじゃないですか」


「ふーん、つまり、リスクが高すぎるってこと」


 その時、俺は、この会話の流れに、言いようのない既視感を覚えた。それは、まるでデジャヴュのように、心をざわつかせた。


「あ、あの、倉庫の周りには、毒蜘蛛の連中が、たくさん待ち構えています」


「あら、面白い話ね。あんた、もう死んで戻ってきたの?」


「い、いえ、そんな気が、すごくするだけです」


「だってさ、片田。どうする?ある程度の武装はあるけど、足りる?」


 ユーコの言葉に、片田は車を路肩に寄せ、停車させた。


「前に使ったのが、まだ残っています。まあ、相手の数次第ですが」 


 片田は、車を降りて、バックドアを開け、武器を選び始めた。ユーコもそれに加わり、二人は何かを言い合いながら、手際よく武装を整えていく。


「さっさと倉庫でブツをもらって、帰ろう」


「了解です」


 月明かりに照らされたユーコの金髪は、ほとんど白く輝き、碧い瞳は、凶々しい光を放っていた。彼女は口角を歪めニチャリと笑うと、ナイフとサブマシンガンを手に、後部座席に乗り込んだ。続いて、運転席に片田が乗り込み、ハンドルを握ると、車は再び、倉庫へと向かって走り出した。


 俺は、窓の外に広がる夜の風景を眺めながら静かに覚悟を決めた。繰り返される死の運命。それは、まるで逃れられない呪いのようだった。しかし、それでも、俺は、この悪夢のような現実の中で、わずかな光を求めて、もがき続けるしかなかった。



第三突堤、倉庫前──────


 左手首のデジタル表示は、23:12分を刻んでいた。潮の香りが鼻をつき、闇に溶け込むコンテナ群が、まるで巨大な迷宮のように聳え立っている。片田が先に車を降り、周囲を警戒するように目を光らせた。


「見張りが五、六人ぐらいですかね」


 片田の低い声が、静寂を終わらせた。


「そう、じゃあ中に居るか、あるいは…」


 ユーコが、鋭い眼光を俺に向けた。その瞳は、闇の中でもなお、碧く、鋭い光を放っていた。


「そ、倉庫の裏側に車、停まっていませんか?」


 なぜ、口が勝手に動いたのか、自分でも分からなかった。ユーコは片田に指示を出し、片田は再び倉庫へと姿を消した。


「裏に黒いワゴン車が七台停まってます、青龍刀やら銃を持った、いかにもなチンピラも大勢います」


 片田の報告に、ユーコは小さく舌打ちをした。


「面倒くさ。ブツが倉庫にあるのがバレているんじゃないの?それに、見張りを始末しても、裏から次々と湧いてくるんじゃない?」


「いつものことじゃないですか。どうせ、連中は薬でラリっているんですから」


 二人の会話は、まるで日常の出来事を語るように淡々としていた。しかし、その言葉の端々には、幾多の修羅場を潜り抜けてきた者の凄みが滲み出ていた。


 ユーコは片田にアイコンタクトを送り、手早くハンドサインを送った。片田は背中に日本刀を装着し、散弾銃を手に、倉庫の正面へと悠然と歩き出した。


「さあ、タコ助、私達は、裏口から行こう」


 ユーコはそう言い残し、俺を促して倉庫の裏側へと移動した。闇に溶け込むように、音もなく。


倉庫正面入り口──────


「你是誰? 《誰だてめえ?》」


 中国語で喚くチンピラ達に、片田はただ「こんばんは」と日本語で答えた。その瞬間、片田の散弾銃が火を噴き、チンピラ達は肉片と化して地面に崩れ落ちた。銃声を聞きつけたのか、裏側のワゴン車から大勢のチンピラ達が現れた。彼らは薬の影響で異様な姿に変貌しており、その目は狂気に満ちていた。


 片田は、散弾銃の空の薬莢を地面に落として、接近して来たチンピラを日本刀で真っ二つに斬り裂き、あっという間に残りの見張りのチンピラ達を始末した。銃声を聞いたチンピラ達が、裏側のワゴン車から、わらわら沸いて来た。


 薬をキメたチンピラ達の全身の皮膚や毛髪が剥がれ落ち、衣服が内側から裂けて真っ赤な内部が露わになり、全身が薄い紫色に変色し、屈強な身体に変貌していく。醜く悍ましい容姿に成って、殺気に満ちた鋭い眼光で、片田を睨みつけている。


「ヅァオオオオァ」


 低く唸る様な叫び声を号令にして、グロテスクな姿のチンピラ達が、片田に襲いかかった。俺は、ユーコと二人で倉庫裏側から、わらわらと何か中国語で叫びながら、倉庫正面に駆け出すチンピラ達の様子を横目に、暗闇に身を潜めながら、警戒が手薄になった倉庫裏側へ辿り着いた。


「さぁ、ブツを盗りに行こう」


 ユーコが倉庫の裏口から、さっさと来いと、手招きしながら急かしてきた。俺は恐る恐る周囲を警戒しながら、彼女の背後に隠れるようにへばりついて、中に入る。


「何処にあるの?」


 ユーコが、サブマシンガンを構えたまま、周囲に視線を走らせながら言った。


「は、はい、あのカードリーダーがある所です」


 俺は倉庫内端にある扉の横に設置された、カードリーダがある方を指差した。素早く中腰でユーコが、扉に近づき、カードリーダに黒いカードキーを通すと、無機質な電子音を鳴らして、電気錠が解除され分厚い鉄扉が横にスライドした。中に入ると、銀色のブリーフケースを開けて中身を確認する彼女が満足そうに頷いた。


「ビンゴ、退散しよう」


 ブリーフケースの中には緑色の薬品らしき物が入った、インジェクターが数本入っている。そして、俺より先に彼女が部屋を出た。しかし、彼女が部屋を出た瞬間、銃声を浴びた、その小さな背中が跳ね上がった。


「做得好 《上出来だ》」 


 長い黒髪を後ろに束ねた男が、冷たい笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。毒蜘蛛の五毒将軍の一人、バイスーだ。俺の手には、まだ硝煙のくすぶるハンドガンが握られていた。


「タコ助、あんた…」


 ユーコの身体が、床に崩れ落ちた。青龍刀を持った毒蜘蛛のチンピラ達が、バイスー親分の指示で、彼女の両腕を切り落としたのだ。俺は彼女の腕からブリーフケースを奪い、バイスーに渡そうとした。しかし、その瞬間、サブマシンガンの連射が俺の足元を通過した。


「你這個怪物你還活著 《化け物め、まだ生きてやがる》」


 俺が床に倒れて、撃たれた右足を庇う様にして転がっていると、毒蜘蛛のチンピラ達が次々に銃弾に弾かれて、黒い血飛沫を噴水みたく撒き散らしながら倒れていく。


「你是玩家嗎? 《お前が再生者か?》」 


 手下が殺られても冷静なバイスー親分は、その場を一歩も動かずに仁王立ちしている。

ありえない、俺が確かにこの手で銃弾を撃ち込み、毒蜘蛛のチンピラ達に両腕を斬り落とされたはずの彼女が、サブマシンガンを構えて立っていた。


「正如所料,混蛋 《想定内よ、クソ野郎》」


 彼女が唇の端から赤い血を垂らして、バイスー親分に流暢な中国語で吐き捨てた。


「直到我不能玩它,直到我毀掉它 《再生できなくなるまで、壊すまでだ》」


 バイスー親分が白いチャイナ服の両袖から、青龍刀をシュッと出して握ると、全身の筋肉が盛り上がり、皮膚は紫色に変色して異形の身体に変貌していく。俺は床に転がるブリーフケースを素早く掻っ払って、右足の激痛を堪え、睨み合う二人から逃げる様に床を這いつくばって離れた。


 彼女の口角が少し上がり、目が細くなった瞬間、サブマシンガンをバイスー親分に容赦なく撃ち込み始めた。異形に変貌したバイスー親分は銃弾を浴びても気にせず、距離を詰めて斬りかかる。


 彼女のサブマシンガンが弾切れを起こして、銃を落としてナイフを抜こうした時、バイスー親分の青龍刀が彼女の両膝を斬り裂いた。膝から先を失い、地面に跪く格好になった彼女の両腕をさらに斬り落として、


「這個怎麼樣?蜥蜴女人 《これならどうだ?トカゲ女》」


 バイスー親分が、両手に握った青龍刀を彼女の胸に突き刺して笑った。彼女の切り離された傷口から、赤い血液に混じって白いきめ細かな糸の様なものが切り離された肉片とゆっくり結合していく奇妙な現象が俺の目が捉えた。


「是結束嗎 《終わりだ》」


 口が裂けた様に笑う醜悪な形相のバイスー親分が、突き刺した青龍刀ごと彼女の身体を持ち上げる。口から血を吐き、焦点が定まってない彼女の碧い瞳に、再び凶々しい黒い炎が宿るのを、俺は見逃さなかった。


「你完成了 《あんたが終わりよ》」 


「什麼? 《何?》」


 その瞬間、バイスー親分の頭上から電撃の様な刃が真っ直ぐ下に走り、バイスー親分の身体が左右に分かれて黒い血飛沫を噴射しながら地面に倒れ込んだ。


「遅い」


 地面に転がる彼女がかすれた声で呟いた。バイスー親分の背後に日本刀を振り抜き、大量の黒い返り血を浴びた片田が立っているのが見えた。



「こりゃまた、派手にやりましたね、ユーコさん」


 ラス警官の声が、硝煙の匂いが立ち込める倉庫に響いた。床には、毒蜘蛛の連中が倒れ伏し、その周囲には黒い液体が広がっている。ユーコは、破れたスーツを気にしながら、倉庫に突入してきたラス警官達と何事かを話していた。


「連絡したでしょ、毒蜘蛛がいるからヤバイって。どーすんの、このギャラ?倍はもらわないと割に合わないんですけど?」


 ユーコの不機嫌そうな声が、静まり返った倉庫に響く。その声には、ただ事ではない事態を収拾した者の、疲労と苛立ちが滲み出ていた。


「はい、分かってますよ。いつも助かっております」


 ラス警官の言葉に、ユーコは軽く頷いた。その表情は、プロの仕事師が、当然の報酬を要求しているようだった。


「で、このタコ太郎どうするんですか?」


 片田が、床に倒れている俺を指してユーコに問いかけた。


「そうね、魚家うおいえさんに任すわ」


 ユーコはそう答えると、床にへたり込んでいる俺に近づいてきた。


「あ、そうだ、タコ助、あんた名前は?」


「え、名前ですか?」


「聞いてなかったから」


「えーと、ザカリヤロス・ルーチェフ・マーエダです」


 ユーコは、その長い名前に呆れたように目を丸くした。


「なっが、やっぱタコ助でいいわ」 


「タコ太郎のがしっくりきますよー、だって、顔から蛸みたいな触手が、髭みたいに垂れてるし…」


 片田が、ユーコにさっきまでの殺伐とした状況とは打って変わって、全く緊張感なく話しかけている。何なんだこいつらは?一体何が起こっているんだ?そんな思考を巡らせていると、右足に激痛を感じた。銃創から出血していた。


「じゃあ行こうかタコ助くん、その怪我じゃ立てないよね、おい、誰か、ストレッチャーを持ってきて運んでくれ」


 魚家と呼ばれていた中年ラス警官が、頭を掻きながら仲間のラス警官を呼んでいる。俺は、ストレッチャーに横になったまま彼女に問いかけた。


「あ、あのユーコさん、僕を殺さないんですか?」


「は?あんたが私を撃ったから?想定内よ、だってあんた、元々毒蜘蛛のスパイでしょ?もし、あんたを殺すとすれば、あんたがハメた江州会の連中ね、まあ、もう誰も生きてないけどねー」 


 彼女が、不敵な笑みを浮かべて俺を見ている。参ったな、全部バレてたのか、凄い連中だ。俺は腰の後ろに隠したハンドガンを握ると、ストレッチャーに横になったまま、自分のこめかみに銃口を向けて引き金を引いた。


 鼓膜が振動して意識が遠のく最中、慌てるラス警官の背後でニチャリと笑う彼女の碧い瞳の奥に、歓喜が見えた。



──────

See you in the next heaven…

挿絵(By みてみん)


今回のED曲は、深い森 / Do As Infinity です。


是非、読み終えたら聴いてみて下さい。

挿絵(By みてみん)

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