第二十三・五話~その手のぬくもりだけで~
新章の前に閑話を挟みます。
あの素戔嗚尊との決戦から数日後。
週末の早朝を迎えた俺とナガメ、そしてダシィの三人はとある場所へと向かうため、こうして車に揺られている。
車が桜幡町から隣接市のむつ市へと差し掛かる時、運転する俺の手を助手席に座るナガメが強く握った。
十数年前、ナガメの両親がここで亡くなった。
天叢雲剣が魂に突き刺さっていたことで桜幡という地の地縛神となっていたナガメ。
それを知らなかった両親は彼女に映画を見せてやろうと桜幡の外へと向かい……大蛇の姿となり暴走したナガメによって不慮の事故死を遂げてしまったのだ。
地縛神は縛られているその地から外へは出られない。
無理に出ようものなら荒れ狂う荒神となってしまい、自分自身すらコントロールすることが難しくなってしまう。
「大丈夫だナガメ。もうあの時のようなことは起きないよ」
「……でも、怖いんですッ。また、私のせいで……今度は繋くんやダシィちゃんを傷つけてしまうんじゃあないかって」
震えるナガメの手をそっと握り返す。
そして、その上にはダシィの小さな手がそっと乗せられる。
「大丈夫、もうママをしばるものはなくなった!
ママは自由!」
ダシィの言葉と共に、“ここからむつ市”の看板が一瞬で通りすぎる。
ナガメの身には……何も起きない。
「…………ふふっ、アハハッ」
きょとんとしていたナガメの顔に笑みが溢れる。
そして……その目は少しずつ潤んでいった。
「ぐすっ……すごい……。
私……本当に桜幡から外に出られました。
……繋くんと……ダシィちゃんと一緒に……お出掛け出来てますっ」
ちっぽけなことだ。
たかが車でドライブがてらに出掛けて。
日帰り旅行で外食したり。
良い景色を見に行ったり。
家族で楽しく会話に花を咲かす。
本当に……本当に当たり前で……何も壮大なことじゃあない。
でも、ナガメはそんなちっぽけなことすら許されなかった。この22年間をだ。
……否、一千年前からずっと、彼女は囚われていた。
運命という楔に。
「嬉しい……嬉しいけど……悔しいですっ、繋くん……!
もっと早くに外に出られていたら……繋くんと……遥ちゃんや輝雄くんたちと一緒に修学旅行に行けたのに……ッ!
繋くんと……一緒に東京でキャンパスライフを送れたのに……!!」
俺は車を路肩に停め、ナガメを強く抱き締めた。
そうだよ、そうだよな。
お前だってずっと外の世界を望んでいたに決まってるよな。
「すまないナガメッ!
俺がもっとお前の気持ちを理解していたら……ッ!!
もっと早くお前を解放できていたらッ!!」
本当に、俺は無能だ。
今の今まで己が何者だったかも忘れ、自分だけ自由を謳歌して好き勝手していた。
お前の気持ちを……わかったつもりでいた。
「ごめん、ごめんナガメっ。
俺はもうお前を離さない、ずっと一緒だ」
「こちらこそ、ごめんなさい繋くん。
私がもっと早く自分の真実を打ち明けられていたら、きっと繋くんは私を解放するために頑張ってくれていたのに」
「いいんだ、気づかない俺が悪かったッ!
俺も……ずっと自分の真実を隠していた。ナガメのことをとやかく言う資格なんてない」
俺たちは互いに見詰め合い、顔をゆっくりと近づける。
「ナガメ……愛してる。
これまで出来なかったことを……一緒に取り戻していこう」
「繋くん、大好きです。
一緒に……色んなところへ行きましょう……そう、新婚旅行にも……」
まるで宝石のように潤む彼女の瞳に……吸い込まれるように……俺たちは、互いの唇を近づけ───。
「ゴホンッ!」
「おめど、ワイたちもいること忘れてねえべな?」
「「……ファッ!?!!?」」
「……パパとママ、またダシィのこと忘れてイチャイチャ……ぶぅぅぅっ!」
後部座席から俺たちへ釘を刺す親父とかっちゃ。
そして頬を膨らませ、かっちゃの胸へと顔を埋めるダシィの姿がそこにはあった。
「まあ、俺たちの若い頃を思い出せていいじゃあないか母さん。俺たちも繋たちと同じくらいの時もこんな感じで~」
「……ワイはおめと車中でキスしたことねえけど?」
「……そ、そうだったかな」
「寛、誰と車中キスしたんだぁ?詳しく教えろ」
何故かかっちゃの地雷を踏んだ親父が詰められるのを見てみぬふりし、俺たちはそっと口づけを交わすのだった。
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下北半島を南下し、米軍基地で有名な三沢市を更に下るとおいらせ町と呼ばれる小さな町へと辿り着く。
お目当てはこの町にある某有名ショッピングモールと、そこに併設されたシネマコンプレックスだ。
朝早くから車(俺の軽ではなく親父が普段乗るミニバン)を飛ばし、開業時間である10時にちょうど到着した俺たちは、目当ての映画が上映されるまで適当に買い物を楽しむのだった。
「ひろーい!人もいっぱい!
いろんなの売ってる!」
「ま、まるでお祭りみたいです」
「さあ!女水入らずでお買い物するべ!」
初めて見るショッピングモールに興奮するダシィとナガメ。
それを見たかっちゃがアパレルショップ巡りをしようと二人の手を引いて先へ行ってしまった。
「へば映画館で落ち合うべ!」
「おう」
残された俺と親父は三人の背中を見送るのだった。
かっちゃ、珍しくウキウキしてるな。
ナガメと一緒に大きな店でショッピングするのが夢だったとか言ってたな、そういえば。
「繋、少し茶でもしばかないか」
「……そうだな、運転で少し疲れたし」
俺たち野郎二人は寂しくカフェで早めの休憩をとることにした。
……まさかナガメと来る予定だったカフェに親父と入ることになるとは……。
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店内は意外と男性客も多く、居心地の悪さはなかった。
俺と親父はそれぞれアイスティーを注文し席へと着く。
「ナガメちゃん、とても楽しそうでなによりだな」
「ああ、来てよかったよ」
ナガメもダシィも、初めての体験に心が躍っていたようだ。
何のことはないちょっとした遠出でも、彼らにとっては簡単なことではなかった。
「……繋、結婚おめでとう。
そして……今まですまなかった」
突然親父が謝罪の言葉を口にした。
アイスティーの氷がカランと音を立てる。
「……俺と母さんは……お前の本当の親ではない。
それに、ナガメちゃんの亡くなった両親も……」
「……ああ、記憶を取り戻した時、すべてを理解した」
一千年前、俺とナガメ、ダシィの三人は深い眠りにつき、今からちょうど22年前に目覚めたのだ。
「俺と母さんは当時まだ付き合いたてでな。同じくナガメちゃんの両親……育ての親たちもそうだった」
かっちゃとナガメの母、櫛田亜理沙さんは従姉妹の関係。
親父とナガメの父、旧姓・森田慎之助さんはお互い高校時代からの親友で、共に婿としてそれぞれの家へと迎えられたのだという。
その切っ掛けが俺とナガメとの出会いだった。
「俺たちはあの日、今の八塚家の敷地でパーティーを開いていたんだ。
四人とも子供の頃からの付き合いで、俺と亜理沙さんと慎之助は同級生。母さんは高校を卒業したばかりで四歳年が離れていた」
その日、四人はカップル成立記念パーティーと称してBBQをしていた。
すると荒脛神社の方から目映い光と共に赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのだという。
「驚いた俺たちは直ぐさま神社へと走った。するとそこには浜縁の上で泣いているお前とナガメちゃんがいたんだ。
産まれたばかりの姿でありながら、お前たちはお互いにギュッと固く手を握っていた」
俺たちはそのまま二組のカップルに引き取られることになった。
まだ付き合いたての彼らが赤子を引き取ることは普通であれば不可能なのだが、赤子が“怪異”であるとすれば話は違ってくる。
それにナガメの祖母、当時の桜幡町町長であった櫛田ヒスイの力も大きかったようだ。
「ヒスイ婆さんが言ってたよ。
“この二人は決して別つことのできない運命にある。言い伝えの通り、櫛田家と八塚家でそれぞれ育てなさい”とな。
櫛田家と八塚家はかなりの大昔から桜幡に住み着いた旧家で、何やら出雲に関係する血筋とは聞いていたんだが……」
櫛田家も八塚家も元々はナガメ……櫛名田比売(八俣遠呂智)の一族の子孫だった。
一千年前に俺たちが眠りについた後も、ずっと袖山の地で俺たちが目覚めるのを待っていたのだ。
すべて……遥か昔から紡がれていた運命だった。
「まさか、お前たちが神話に語られる八束脛と八俣遠呂智だったなんてな。
凄い存在の親になっちまったんだなぁ、俺と母さんは」
親父が話し終えるのを待ち、俺は氷の溶けたアイスティーをぐっと飲み干す。
「……なんだか、少し安心したよ」
「何がだ?」
「親父が未成年を妊娠させたロリコンだったわけじゃなくて」
「ブゥゥゥゥゥッ!!げほっ、げほっ!!
お、お前、俺の話を聞いた第一声がそれか!?」
アイスティーを気管に詰まらせた親父は当然の如くむせ込み、顔を真っ赤にさせるのだった。
「親父、改めてありがとう。俺を……俺たちを見つけてくれて。
俺もナガメも、親父たちに引き取られて本当に幸せだ」
「……ふふっ、それは母さんに言ってやれ。
母さんな、亜理沙さんが二人とも引き取ると言った時、どうしてもお前を育てるって言ってきかなかったんだ。
俺は母さんのお陰で父親になる決心ができた。まだ大学を出たばかりの遊び人が、誰かの親になろうと思えたのは母さんと……お前のお陰なんだよ」
そう言って親父は俺の頭に手を置いた。
いつの間にか小さく感じるようになっていた親父の手は……やっぱり憧れるほどにデカかった。
「お前とナガメちゃんがダシィちゃんを引き取りたいと言った時、運命を感じたんだ。
そして……お前たちならきっとあの子を守ってやれると」
「ワイもそう思ってたよ」
「母さん!?」
いつの間にかナガメとダシィを連れたかっちゃが傍にいた。
驚く親父を余所に、かっちゃは恥ずかし気もなく俺の頭を抱き締める。
「繋、おめはワイの大事な一人息子だ。
ワイは……おめをお腹痛めて産んだわけじゃあないけど……血の繋がった親子以上におめのことば大事に育ててきたつもりだよ。
だから……だからもう簡単に命懸けるようなことしちゃダメだよ。
おめだけの命じゃあないんだから」
わずか18歳でかっちゃは俺の親になった。
それがどれだけ大変なことか……そしてそれが世間からどのような目で見られるか……想像に難くない。
成人した俺たちでも、二人だけではダシィを一人前に育てられるか心配でしょうがないのに、かっちゃも親父もどれだけ苦労したことか。
俺はもうあの頃のような無鉄砲な兵士ではない。守るべきものがたくさんある、一人の親になったんだ。
「ごめん、ごめんかっちゃ。心配かけた……」
目頭が熱くなるのを隠すように、俺はかっちゃの胸に顔を埋めた。
小さい頃を思い出す。あれは……十数年前か……それとももっと大昔か……。
まあ、今となってはどちらでもよいか。
「……パパ、かーしゃんのおっぱい恋しいの?」
「ああ……って、違う!」
「繋くんはマザコンですからね」
「だから違うわ!!」
俺は慌ててかっちゃから顔を離す。
この場で一番言っちゃいけないやつだろお前ら!感動を返せ!!
……なあダシィ、お前と出会えたお陰で俺たち家族はより絆を深められた気がするよ。
やっぱり、お前は幸せを呼ぶ福の神なんだな。
俺は不思議そうに見詰めるダシィの頭をそっと撫でたのだった。
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「うわぁぁぁ!ここすごい!」
休憩を済ませた俺たちが次に向かったのは釣竿やキャンプ道具などのアウトドア用品を取り扱うショップ。
山で暮らしていたダシィは興味を惹かれるこか目を輝かせてはしゃいでいる。
「これテント!?
こっちはバーベキューコンロに……わあ~綺麗なランプ!」
意外と面白そうなキャンプグッズが多いんだな。
ダシィがはしゃぐのも頷ける。
「ダシィちゃん、山でキャンプでもするんですか」
「うん!元のおうちのとこ使って、またアオ爺たちに会いに行きたいの!」
今年の春に目覚めたダシィの面倒を見てくれたアオの神、アオシシ様。
ヨウコウの一件で俺たちに引き取られた後も、ダシィは度々アオシシ様へ会いに行くために山へと足を運んでいた。
アオシシ様に出来たての料理を振る舞ってやりたいというダシィの願いを叶えるには、このキャンプグッズはちょうど良いだろう。
「わかった。ダシィにプレゼントしてあげる」
「え!?
……いいの?ダシィもちょっとならお金あるよ……?」
「遠慮するな!ダシィには返しても返しきれない恩があるからな」
「ふふ、そうですよダシィちゃん。あなたがいてくれたから私たちは再会することができたんですから」
ダシィの気に入ったグッズを手当たり次第会計に回す。
こういうのは値段じゃあない。
いつも遠慮がちなダシィが欲しいと思ったものだ。そんなの、プレゼントしてやりたいじゃあないか。
「……パパ、ママ、ありがとう。
ダシィ、大事にするね!」
物をとても大事にするお前なら、きっとこの道具たちも幸せだろう。
初めて親らしいことができた俺とナガメは少し満足するのだった。
「欲しかった釣竿買ってくれてありがとう繋~♡」
「今度ゲーム実況しようと思ってたソフト買ってくれてありがとう繋~♡」
何故か親父たちへのプレゼントも買わされたが……まあ、いつもの礼ということにしよう。
……トホホ……来月のクレジット払い、気が重いな。
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買い物を済ませた俺たちはシネコンへと足を運ぶ。
遂に……この時が来た。
「……なんだか緊張しますね……15年ぶりの映画ですから」
ナガメにとってはそれくらいにもなるか。
俺たちが小学生になったばかりの時、桜幡町の公民館を使い一度だけ本格的な映画を上映した。
俺とナガメは食い入るようにその映画に夢中になった。
……たかが映画。
そう言われても仕方ないことかもしれないが、ド田舎に住む子どもにとって、映画は数少ない娯楽のひとつだった。
大人になった今ならこうして簡単に車でシネコンに行くことは可能だが、子どもの足だけではどうやっても来ることはできない。
むつ市の文化会館で時折上映される映画やレンタルDVDを除けば、桜幡の子どもが触れることのできた映画媒体など当時は存在しなかったのだ。
映画とは……田舎に住む子どもが初めて“広い世界”を知ることのできる“夢の世界”なのだ。
「ナガメ、夢を見よう。あの時みたいに───」
ポップコーンと飲み物を揃え、家族皆でゲートをくぐる。
会場の扉を抜けると、そこに広がるのは巨大なスクリーンとたくさんの座席。
映画館独特の匂いに心が躍ったのか、ナガメとダシィは少し息を荒くする。
指定された座席に座り、少しの談笑を交えていると、会場の照明が少しずつ暗くなっていった。
すると真ん中の座席に座る、楽しそうな表情のダシィが俺とナガメの手をギュッと握った。
「ダシシ!パパ、ママ、こわーい!」
あの日、暗くなる公民館の座席で、隣に座るナガメが怯えた様子で俺の手を強く握り───。
『繋くん、こわーい』
───そんなことを思い出し、俺は耐えきれず少し笑ってしまった。
それを見て思い出したのかナガメは少し顔を赤くさせ、手を伸ばし、俺の手をまた強く握る。
「変なこと思い出さないでくださいよ繋くん……!」
「あはは、ごめんごめん」
ダシィの膝の上で、俺とナガメの手が貝殻のように繋がれる。
もう、俺とナガメが離ればなれになることはないだろう。
「パパとママ、まーたイチャイチャ……」
膨らんだダシィの頬を指でつつく。
少し怒ったダシィが繋がれた手を分け、そして両手で俺たちの手を握った。
「パパとママだけイチャイチャしちゃダメ!
ダシィもパパとママのことだーい好きなんだから、ダシィともイチャイチャしなきゃダメなんだよ!」
……ああ、俺もナガメも、ダシィのこと大好きだよ。
お前は俺たちの掛け替えのない娘だ。
人生で一番の幸せを……今俺たちは感じている。
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私の見ている映画はポケットビーストというアニメの劇場版、その20作目。
子どもっぽいと笑われるだろうか。
でも、ダシィちゃんたちと見ている私はどこからどう見ても子ども連れの母親。何も不自然なことはないでしょう。
私にとって映画は夢を見せてくれる存在だった。
小さい頃から桜幡という小さな田舎町の外へは出られず、私以外の皆は行くことのできた遠足や林間学校、修学旅行には一度も参加できなかった。
そんな寂しい人生の中で、唯一私が楽しむことができた娯楽こそが映画。
繋くんと一緒に、あの真っ暗な中で見る迫力満点の映画は一度たりとも忘れられることはできなかった。
……でもね、繋くん。
本当はあの時に見た映画の内容、ほとんど覚えていないんですよ。
───だってあの時、私はあまりに幸福だったから。
あの映画館独特の雰囲気の中で。
“大好きな人”と手を繋いでいられた。
ただそれだけのことで、私はもう満足だったのだから───。
「……ありがとう繋くん。心の底から愛しています」
誰にも聞こえない声でそう呟く。
繋くん、あなたは私の……私だけの“ヒーロー”。
絶対に、私はあなたの傍を離れません。
死が二人を分かとうとも。
ずっと……ずっと一緒に───。




