第2話 争乱の影
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東方への旅立ち。
女神の寵愛を受け、白いマナを操る者たち。ダリルとセシリーは教会が秘匿する秘術『神聖術』の遣い手と同等であると正式に認められた。
女神へ帰依し、教会の所属となる為、二人は貴族に連なる者としての家督継承破棄の儀式を執り行うことになる。その為の里帰り。今となっては、ダリルにとってはまた別の意味を含むこととなったが。
「……ダリル。王都を離れたら……領地へ到着する前に事情を説明してくれるんだな?」
セシリーの眼差しは鋭いが……どこか寂寥感が滲む。
自身が王国や教会が関わるほどに巨大な仕掛けのナニかの一つであることは知らされた。しかし、具体的な話については、まだ彼女は聞かされていない。断固として譲らないダリル。そんな彼の態度に驚いたのはセシリーだけではない。ヨエルやラウノもだ。
「まずは王都を離れるのが先だ。あぁ、そのときにはヨエル殿たちにもお伝えしますよ。ビクター殿からもそう言付かっていますしね」
「……ダリル殿はビクター様とも繋がりを? も、もしや……この一連の流れは……クレ」
「ダメです。ここでその名を呼んではいけない。……それはヨエル殿たちの方がよくご存知なのでは?」
「……ッ!」
ヨエルはダリルに圧倒される。それはただの力ではない。覚悟を持った者の意思。そして、女神の寵愛。神の属性を持った者の発するナニか。
「(ダ、ダリル殿はここまで圧倒的なナニかを持っていた訳じゃない……だが、何だ? 今はもう彼には敵わない。ラウノと二人がかりでも勝てる気がしない……ビクター様やクレア様に感じたモノとも違う?)」
「ほら、セシリー。アリエル様の見送りだ。殿下もわざわざ来て下さった。いつまでも険を出すなよ」
「……あぁ」
『託宣の神子』の旅立ち。次に起こる変事を教会や王国は把握している。“物語”の縛りを受けた女神からの託宣によって。
そして、アリエル達はその託宣を逆手にとって、“物語”の登場人物たちによって撒かれた争乱の火種に刺激を与える手筈。それはそれはよく燃え上がることだろう。
「ダリル。しばらくは顔を見れぬが、健勝であれ。戻ってきたらすぐに知らせてくれ」
「ありがとうございます。アダム殿下もご壮健であることを祈ります。……戻ってきたら、一番にお伝えしますよ。……アリエル様もお元気で」
「ありがとうダリル。《《無事に戻ってくる》》ことを心より願っていますよ」
セシリーは気付いている。ダリルに情報を伝えたのはアリエルだと。二人には何らかの覚悟がある。
「……アリエル様。戻ってきたらお話ししたいことがあります。お付き合い頂けますか?」
「ええ、もちろんです。ふふ。セシリーと再び語らうことができる日を心から待ち望んでいますね!」
ぱっと花が開くかのような笑顔。そこに含みはない。少なくともアリエルにはない。彼女はセシリーとの再会を待ち望んでいる。心から。
そして知っている。まともな形で再会が叶わないことを。
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……
…………
………………
東方へ向かった『託宣の神子』の一行が行方不明となる。
そんな情報が王都にもたらされたのは、彼等が旅立って一ケ月が過ぎた頃。
定期連絡が途絶え、逗留するはずだった予定の貴族家の領地にいつまで経っても一行が現れない。不審に思った貴族家が迎えと言う名目で捜索を出したところ、街道からかなり外れた場所で激しい戦闘の形跡を発見。
魔物の死骸と損壊したヒトと思われる遺体の一部が散乱していた。その上、地面には血痕とはまた違う、黒い染みが点々と広範囲に残されていた。
そんな痕跡たち。ただ、かなり時間も経過しており、遺体の一部が賊なのか一行のであるかの判別もつかなかったという。
……
…………
………………
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「(ハッキリと覚えてないけど、こんな時期に起こるイベントじゃなかったのは確かだ。……ただ、主人公たちが里帰り的に東方の辺境地へ向かうというエピソード自体はあった筈。そこで魔族の存在を知る……魔族を研究する胸糞悪い魔道士が出てきた。それが多分フラムのエピソード……確かビーリー子爵家と言っていたか? アイツ等のことだろ。
当然のことながら、ダリル殿やセシリー殿が死んだとは思えない。状況を聞く限りでは偽装とも思えるし……これがダリル殿の覚悟か? ヨエル殿たち王家の影を煙に巻くなんて個人では無理だ。“誰か”と手を組んだか……?)」
神子の一行が行方不明という情報はアルも把握した。その上で次の動きを想定していく。僅かでも引っ掛かるモノを、薄れた記憶から掬い上げる作業。
そして、そんなアルの前には魔族。ヴィンスの一族の青年が一人。
「アル殿。今回ヴィンス老から預かった情報は他にもあるのですが……」
「………………」
「申し訳ありません。アル様の悪い癖でして……決して使者殿を蔑ろにする意図はありません。考え始めると周りが見えないんですよ。こういう時は……」
控えていたコリンが魔族の青年へ説明して謝罪する。悪気はないと。そして、極僅かにアルへの害意を発する。
即座に反応。
「……ん? コリンか? あぁ、悪いな。また没頭していたか」
「アル様。使者殿に失礼ですよ」
「……いえ。私はアル殿たちの気の向くままにとお聞きしています故」
ヴィンス一族。融和派の魔族たち。
王都に根差した者たちは動くことを拒んだ者も多い。ヒト族社会の中に自らの運命を委ねた。
もちろん、争乱の予感、魔族への弾圧を恐れて王都を脱する者たちも居た。“庇護者”の根回しもあり、王都を出る者の多くが西方辺境地を目指す。
ヴィンスは西方辺境地へ向かう者たちを次代の長に任せて見送った。そして彼自身は王都に残った者へのフォローや、数は少ないとはいえ東方辺境地や、その先、大峡谷を超えて魔族領本国へ向かう者達の段取りに奔走している。
「それで、“庇護者”へ繋ぎを付けるのはやはり無理?」
「……はい。ただ、それは単純に良い悪いの話ではなく……詳しいことは分かりませんが、“庇護者”の方々は既に戦いの渦中に居るとのことです。まだ民衆区や外民の町はそうでもありませんが、貴族区は血の雨が降り出しました。彼等の習わしを破る、直接的な暴力の応酬が始まっていると……これも情報は伏せられており、未確認ではありますが、北方と東方の辺境地で貴族家同士が軍を持って衝突したという話もあるようです」
争乱の匂いはアルも感じていたが、王都外で貴族家同士の武力衝突までは想像もしていなかった。彼の知る“物語”ではあくまでも王都内での暗闘……暗殺や謀略の応酬のみ。
「はは。これも女神達の努力の賜物という奴か。まぁ良いさ。僕の手の届く範囲は狭い。その範疇で動くだけ……悪いが使者殿を含めてヴィンス一族にも付き合ってもらうよ。例の開戦派を騙る連中だ。まずは奴らを狩り出す」
アルには黒いマナ……というよりも、神々の属性が視える。白いマナやダリル達の纏う光は女神由来。黒いマナは冥府の王由来。
「(いま思えば、クレア殿に感じたのは黒いマナじゃない。アレはダリル殿たちが光を纏っているのと同じ。彼女は闇……あるいは“死”そのものを纏っていた。冥府の王由来の存在だろう。覚えはないが、クレア殿自身はたぶん“物語”の登場人物だろうから、直接的に『使徒』じゃないと思うけど……もしかすると、これまでに女神や冥府の王由来の『使徒』と接触してたのかもな。
まぁ開戦派を騙る奴ら自体も“物語”に出てくる連中だろう。くそ。女神の思惑通りに動くのは癪だけど……そいつらの暗躍で民に被害が増えるなら先に潰すだけだ)」
アルからすれば、“物語”は厄介なモノだと思うが、今のところ自身には特別な強制力もない。言ってしまえば未来の可能性に過ぎない。
それよりも、アレコレと現世の者に期待をかけて働きかけてくる女神や冥府の王にこそ隔意を抱いてしまう。少し前までアルは女神を放任主義だと認識していたが、イロイロと知ってしまった今は違う。
その所為もあってか『別に“物語”のままでも良いだろ』とまで思ってしまう。
アルの遠い記憶の物語では、ラスボスとして冥府の王は顕現していたが、女神の方が顕現したという覚えはない。少なくとも正規ルートでは。
諸々があって、不完全に顕現した不浄の王を、主人公たちが仲間と協力して倒す。めでたしめでたし。
神々の視点を知らないが、アルからすればソレのどこがダメなのかが分からない。どうせ顕現した冥府の王が本当に消滅する訳でもあるまいにと。
「……ナイナ達は東方へ逃れたとのことですが?」
「ああ。そいつらだけじゃない。開戦派を騙ってる奴らはそもそも魔族だけの集団でもなかったようだしね。ヒト族側にも協力者はいる。ヒト族と魔族との争乱を望む者たちだ。
元々本当の開戦派ってのは、魔物と瘴気の影響で魔族領本国の生活圏が削られ、止むに止まれず過酷な大峡谷を抜けてきた奴らだろ? ……手段は暴力ではあるが、それは本国に残してきた無辜の民たちの願いを背負ってのことじゃないのか?」
「ッ!? な、なぜそれをッ!?」
魔族の侵攻の理由。
ヒト族と魔族の戦いの理由は、生存競争だった筈だとアルは思い出していた。
開戦派を騙る連中……冥府の王ザカライアを崇拝した狂信者集団。尊き存在を現世に顕現させ、死と闇の真理に迫るという目的を掲げる。外法の研究者たち。
連中の暗躍により、冥府の王に属する力が現世に漏れた。結果として、魔物の凶暴化や死霊の増加、瘴気の定着などがあり、魔族領は生存圏を大きく削ることになる。
「まぁ僕にも色々と情報源はあるからね。とりあえず、本当の開戦派の連中が求めているのは“支援”だろ? ヘロヘロの民兵を抱えて戦争なんてバカバカしい。ま、そうでもしないとダメなくらいに追い詰められているんだろうけどさ。
悪いけど、僕はあくまでもマクブライン王国の貴族に連なる者。自国の民を優先する。相手に事情があろうが暴力には暴力を返す。
ただ、その争いに別の目的を持って、裏で煽る奴らがいるなら排除する。開戦派を騙る連中。奴らは魔族領本国の民のことなんて考えちゃいない。自分達の狂信的な目的の為に周りに犠牲を強いる屑だ。悪いが都貴族家たちとも潰し合って貰う。
……なぁ、使者殿。貴方は生まれも育ちも王国なんだろうけどさ。同じルーツを持つ遠い血族が理不尽に苦しんでいるんだ。彼等を援ける為に出来ることをしようと思わないのか?」
「…………そ、それは……」
使者である魔族の青年は、目の前の少年に危ういモノを感じる。虚ろな瞳を見てしまった。
「そりゃ自らの命は惜しい。生活も守りたい。家族も居るなら猶更だ。自分達の一族のことで手一杯。自分達だって窮地なんだ。ルーツを同じくすると言っても、所詮は見ず知らずの者達。そんな連中のことに力は割けない。……まぁ分かるよ。
僕は魔族の流儀を知らない。ヴィンス一族の習わしも。ただ、僕は征く。もちろん自国の民への害悪を排除するのが一番だけどさ。その上で余裕があるなら、僕は魔族領に居るだろう民たちを援ける為にも戦う。力無き者を援けるのは貴族に連なる者の義務だからな。
僕には妻も子も居ない。だが、守るモノはある。それはこの身に宿る矜持だ。この戦いの道の途上で命尽きたとしても……それは誉。
僕の死に様を知った者は伝えるだろう。自身の子や孫に。僕がファルコナーの者として戦って散ったことを。力無き者を援ける為に戦ったことをね。それは真なる貴族の振る舞いだと語り継いでくれる。
そして、僕は冥府で遥かな父祖たちに胸を張って言うさ。『堂々と戦った。力無き者を援ける為だ。悔いはない』……とね。
……使者殿はどうだ? その命が尽きたとき、遥かな父祖たちに胸を張って答えられる生き方が出来ているか? 『魔族』としての誇りを抱いていないのか?」
アルは平静に淡々と語る。そこに熱はない。
しかし、使者の青年はそんなアルから目が離せない。耳を塞げない。
彼は恐ろしい力を持つ魔道士。ヒト族の貴族に連なる者。しかし、語る言葉はまさに戦士の理想だ。魔族にも通じる話。忘れられたおとぎ話の戦士の矜持。
青年にはそんな真似は到底できやしない。だが、その言葉が彼の心を僅かに揺さぶったのも事実。
「……ヴ、ヴィンス老に報告はさせて頂きます……」
「ええ。ヴィンス殿にもよろしくお伝えください」
使者の青年はどこか重い足取りを引き摺って帰っていく。彼の中にはアルの言葉が、呪いのように染み込んでいく。
魔族としての振る舞い。
自分はヒト族の社会で暮らしながら魔族であることを胸に抱き、そのことに誇りを持っていた。
しかし、いざ『魔族』が目の前に現れたとき、アルが言うようにルーツを同じくする遠い血族のことをどんな風にみていた? 同族として考えたか? 厄介な話だと、自分達一族とは分けて考えていなかったか? ……そんな思いが魔族の青年の中を巡る。
……
…………
………………
「……アル様は悪趣味ですね。何が魔族の民を援けるですか。守るモノは貴族の矜持? 戦いの途上で命尽きても、冥府で父祖に胸を張る? ……そんなこと、欠片も思っていないでしょうに……」
「まぁね。戦って死ぬのは仕方がないが、死にそうになったら普通に逃げる。悪いがそこまで自己犠牲を発揮はしないさ。
神の存在を身近には感じる出来事はあったが、死んだら終わりに変わりはない。先祖に胸を張る為だけに死ねるかよ。馬鹿馬鹿しい。
実のところ、ヴィンス一族に腹が立っているのも事実だからな。意趣返しってヤツさ。ヴィンス殿は分かってやってるんだろうけど、結局のところ連中はズルいんだよ。自分達で血を流さない。血を流さない方へ舵を切っているんだろうが……悪いが僕も自分や自国の民の方が大事だからな。連中がやる気になって血を流すなら、こっちの流す血が少なくなる。貸しがある分、切り捨てるのも遠慮しなくて良い。
まぁあんなテキトーな話でやる気になってくれるとは思ってないけどな」
ファルコナーは平静に狂っている。そして、現実主義でもある。
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