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第7話 交渉

:-:-:-:-:-:-:-:



「……アル様。申し訳ありませんでした。主家の御方を害そうとするなど……」


 ヴェーラが跪いて詫びる。詫びたところでどうしようもないと内心で諦めながら。

 まさか自分がこんな失態を犯すとは……そんな思いもあるが、何処かで清々したという自暴自棄な思いも頭をもたげる。


「ヴェーラ殿。僕と貴女の間には何も無かった。廃教会の瓦礫の前には行かなかった。それで良いのでは? 別に本当の従者でもないですし……(そもそも貴女のバックが怖いんだよ。暴力クレア権力(王家の影)が……)」


 アルはアルでバツが悪い。サイラスと同じこと。自身の不用意な言動が彼女のナニかを刺激してしまったのだから。やらかした側。


「……アル様。そういう訳にはいきません。私は今回のことをもって王家の影の任を辞することに致します。……いえ、言い訳ですね。私は……もう疲れました……」


 ヴェーラは意識の無い間、自分と向き合っていた。幼い姿のままの泣きじゃくるヴェーラと。


 普段は蓋をしていたが、その蓋が壊れた。いや、そもそも壊れかけていたのか。

 今回の件はきっかけとしては大きかったが、早晩、同じようなことが起きていたとヴェーラは振り返る。自分では気付いていなかっただけ。


「まぁヴェーラ殿の人生です。貴女がそう決めたなら僕がどうこう言えませんが……ただ、王家の影というのは、そんなに簡単に辞めれるものなのですか?」

「分かりません。もしかすると、そのまま消されるかも知れません。……ですが、もうどうでも良いのです。私には何もありません。何も無かったことに気付きました。殊更に生きる理由もなかったのです。……必死に生に縋ってきたのですが……意味はありませんでしたね」


 ヴェーラは自嘲気味に微笑む。アルが初めて見る彼女の笑顔は、何とも気持ちの悪いモノだった。


「ふぅ。何だろうな。ヴェーラ殿は簡単に決めた訳ではないのだろうけど、生きることを諦めるというのは……何だか腹が立つよ。サイラスと話をした後だから余計にかな?」

「……サイラス。あの浮浪児のリーダー格の子ですね。ふふ。私は彼らが羨ましい……

 先ほど、アル様は仰っていましたね? 逃げれば良い。生きるという戦いなのだから、生き延びるために逃げるのは当たり前だと……」


 サイラスはいま、グループの他の子たちを呼びに裏通りに戻っている。今はアルとヴェーラの二人だけ。静かな対峙。


 ヴェーラは彼とアルの話が聞こえていた。聞こえてしまった。ベッドに寝かされてからほどなくして覚醒していたのだ。呆然として動けはしなかったが。

 彼女はもう少し意識が戻らなければ聞かずに済んだ。こうも無力に苛まれることは無かったとも思っている。

 振り返れば、自分は逃げてはきたが、生きてはいなかった。ただ、流されて周りに反応するだけ。大森林の昆虫より酷い。自身の無力を嘆き、周囲を憎み、それを言い訳に何もしなかったと気付かされた。いや、何かをしたいとも思わなかった。


「え? さっきの話ですか?」

「……はい。聞こえていました。私はサイラスと同じ……孤児です。王都ではありませんでしたが、裏通りで過ごした時期があります。……ですが、私の前にアル様は現れませんでした。私の手を取ったのは王家の影。冷たい現実から逃れたかと思えば、待っていたのは苦しくて辛い広さのある牢獄。そこに先はありません。はは。私はもう逃げたい。この現実という牢獄から……」


 ヴェーラのマナは乱れに乱れている。恐らくその心も。アルには彼女の言葉が真に意味するところまでは解からないが、彼女が尋常な状態ではないことは察した。


「(おいおい。どうしちゃったんだ? まぁ元・孤児だとかはさっきので何となく察したけど、いきなり王家の影を辞める? 死にたいだの逃げたいだの……そこまでのことだったわけ? あと、サイラスたちが羨ましい? 何のこっちゃ?)」


 アルにはヴェーラがよく分からない。だが、死ぬだの逃げるだのはおいておき、本当に彼女が王家の影を辞するなら、元・孤児なら……少し考えもあった。


「アル様。私は身勝手にも貴方への隔意を持っていましたが……違いました。恐らく、私は羨ましかったのでしょう。ただ自然体に生きることができるアル様のことが」

「(え? 僕、ヴェーラ殿にそんなに嫌われてたの? ……ってか自然体で羨ましい? いや、普通に貴女のボスたちに首輪付けられてるけど?)」


 ヴェーラは少し前とは違う目でアルを見ている。

 彼の言動に深い意味などない。そのまま。貴族家の習わしや身分など、彼には本当にどうでも良かったのだろう……と。


 孤児として彷徨ったあの裏通り。

 あの時、今のサイラスたちのように、私の前に現われたのがアル様であれば……幼いヴェーラは泣き止んだのだろうか? それとも彼の言う戦いの厳しさに弱音を吐いただろうか? ふと、そんなことまで彼女の頭を過ぎる。


 アルとサイラスの会話。

 大森林で生きること。

 戦うということ。

 彼にとっては、貴族も平民も浮浪児も違いはないということ。

 サイラスたちの嘆きが不幸自慢と断ぜられたこと。


「(はは。本当に強い者というのは、アル様のような御方なのだろう。私にはもう無理だ。これ以上戦い続けることができない。必死で命は繋いできたけど……私の心の中の幼いヴェーラは、いつまで経っても泣き止むことはない……もういい。せめて、アル様が手を差し伸べたサイラス達が、私と違う道を征くことを祈るさ……)」


 ヴェーラは覚悟を決めていた。後ろ向きで、何も生まない、ただ終わるだけの覚悟。王家の影を辞するとなれば彼女は確実に消される。そして、それをヴェーラも知っている。分からない筈もない。


 誉れ高きアダム殿下の近衛候補。


 王家の影の同年代からは嫉妬もされた。嫌がらせもされた。どうせ体を使ったんだろうと、そんなことを言われることもあった。

 だが、彼女は近衛候補に選ばれたこと自体に喜びも興味も無かった。思えば、あの頃から心が悲鳴を上げていた……心の中の幼いヴェーラの泣き声を微かに認識していたのかも知れない。


 死出の旅立ち。ヴェーラは往く。


「……お別れです。アル様。私が言えることではありませんが……サイラスたちが陽のあたる場所で、真っ当に暮らせるようにどうか御助力を……伏してお願い申し上げます」


 両膝で跪き、頭を床につけるように下げる。アルの前世にもある所謂土下座。この世界ではほぼほぼ見ないが、意味するところは似たようなもの。誇りを打ち棄てた礼であり、失態を犯した者が女神や目上の者へ赦しを請う際の作法として扱われている。


「(えぇ……誰かに跪かれるのも慣れてない上、土下座とか引くんだけど……そこまでのことなの? ……まぁ王家の影が嫌ならそれで良いけど、サイラス達がそこまで気になるなら……)」


 ヴェーラは己の失態の赦しより、ただただ過去の自分(サイラスたち)の先行きを願って頭を下げていた。


 そんな祈りともとれる時間の中、頭上からアルの言葉。


「あの……本当にヴェーラ殿が王家の影を辞するなら……背景が無くなるなら、サイラスたちの纏め役をお願いしたいんですけど……?」


 そこまでの覚悟とは露知らず、アルは思い付きのような考えを普通にヴェーラにお願いしてみる。


「………………は?」


 思わず伏せていた顔を上げるヴェーラ。



 ……

 …………

 ………………



「……それで? 貴様が外民の町で行う事業の手伝いにヴェーラを寄越せと?」

「まぁ端的に言えばそうですね。ちなみにコレも『託宣の神子』に関連することですよ?」


 いつの間にかビクター班の内密の集合場所と化したサロン室。

 ソファに腰かけ、テーブルを挟んでアルはビクターと対峙している。引き抜き交渉。


「……くだらん。町の噂話などを集めて何になる? しかも使うのは浮浪児だと? そんな連中を使って何ができるというのだ。連中の支援をしたいなら教会に寄進でもするんだな」

「いやぁ……そうは言いますけど、町中にも例の黒いマナがチラつく人はそれなりにいますよ? 正直な話、王侯貴族に教会、学院関係についてはビクター殿を始めとした超がつくほど優秀な面々のサポートもあるし、神子たちへの顔繫ぎで問題はそうないでしょう。でも町の中はそうじゃない。平民の中にも“敵”はいる。全部は無理でも、引っ掛かるモノがあれば、事前にそれを潰すことはできるかも知れない。いまのところ、黒いマナを確認できるのは僕だけですし……どうせなら他が手を付けてないところに回ろうかと思いましてね」


 平気な顔でスラスラと適当なことを述べる。半分以上は本当のことだが、クエストなどについてはビクターはもとより、この世界の者に理解してもらえるとはアルも思ってはいない。


「(う~ん……そう考えると不便だよなぁ。僕以外にも転生なり転移なり憑依なり……そんな連中はいないのかな? 今まではあんまり考えなかったけど……どうせゲーム設定のストーリーは、主人公たちが十六歳から二十歳までの四年間もあるんだ。僕と似たような境遇の奴を探してみるのも良いかな? いや、やはり面倒くさいことになるか? この世界はゲームだ! ……うん。普通に異端審問コースだな)」


 アルはまるで関係のないことを考えながら、お茶を啜りビクターの反応を待つ。彼は彼で考えている。アルの狙いを。


「(コイツ……何が目的だ? ヴェーラの素性に気付いたか? 本気で浮浪児を使って情報収集をする気なのか? 他の暗部の中にはそんな手法を使う連中もいるが……?)」

「(なんだよ。ハッキリしないな。そんなにヴェーラ殿が惜しいならもっと待遇を良くしてやれよ。彼女は自由が無くて泣いてたぞ。……まぁ本当にそんな理由かどうかは知らんけど)」


 噛み合ってはいないが、当然表には出ない。静かに向かい合ってお茶を飲んでいる二人。いや、もう一人。人外の化け物が二人のやり取りをどうでも良さそうに眺めている。


 そして、不意に化け物が口を挟む。


「小僧。おぬしがしようとすることは、『託宣の神子』の利に繋がっているのだな?」

「う~ん……いや~利に繋がるかと言われると、決してそうではありませんね。言うなれば害の方を減らす……という感じでしょうか? まぁ確実なことは言えませんけど」


 人外の化け物。エルフもどきのクレアの紅い瞳がアルを射抜く。

 彼女の瞳は血のような紅。

 この世界においては、上級アンデッドの……不浄なる不死の属性を持つ存在の証だとされている。

 ただ、彼女の存在は教会すら容認しているので、アンデッドの類ではないとされているが……その真偽、クレアの正体については極限られた者しか知らない。


「アルバート・ファルコナー。私からも改めて単純な質問だ。……貴様、ヴェーラを情婦にでもするつもりか? 彼女の色香に惑ったか?」


 次に大真面目な顔でビクターからの問い掛け。普段は乱れることの少ないアルのマナが乱れた。主に笑いで。


「ぶっ! ……あ、あはははははッ!!」

「き、貴様ッ!! 何がおかしいッ!?」


 突然の笑い声に怒声。

 異常事態を察知したヨエルとラウノ、そしてヴェーラが部屋に飛び込んでくる。


「……よい。三人とも。問題はない。ビクターが阿呆な質問をしただけだ」


 軽く手を上げ、三人を制するクレア。流石に先ほどのビクターの問いには彼女も呆れが隠せない。


「あははっ……は、はぁ……いやぁ~ビクター殿がそんな趣味だとは思わなくて、つい笑いが。いえ、個人の性的な嗜好をとやかく言うつもりはありませんけどね……ぷっ……」

「き、貴様ッ……!」

「やめろビクター。いまのはおぬしが悪い。くは。……つまらない奴だとは思っていたが、まさかここまで阿呆だとはな……」


 ヨエル達には状況について何が何だか分からない。ただ、自分たちの直接の上役であるビクターがミスをしたのだろうと察した。


「いやぁまったくその通り。阿呆な問いですね。僕がヴェーラ殿を情婦にしたい? 色香に惑った? いやぁ……本人の前でこんなことを言うのは何ですけど……」


 アルはチラリとヴェーラを見る。そんなことを言われているとは思わない彼女も少し表情が崩れる。まさかそんな風に見られていたのか? 強張る。心が。


「……ほんの子供だろ? 幼い子供だ。そんな子を色欲の目で見るのか? ……オマエは?」


 視線をビクターに戻した際、アルの瞳が光を失う。乱れたマナが平坦に止まる。狂戦士仕様。


「……う……くッ……!」

「答えろよビクター殿。ただ、悪いが僕は“そういう奴”が単純に嫌いだ。答えは慎重に選ぶべきだね」

「止めろ、小僧。今回はビクターが阿呆だった。それだけだ。此奴も特に深く考えないで言葉を発しただけ。……まぁそんな些細なことが命取りになることもあるがな」


 アルとて分かっている。ビクターの発言は揺さぶりをかけて、揚げ足を取るための仕込みの一つだったのだろう。だが、その仕込みの発言で自身の足を掬われる形となっただけ。

 しかし、ビクターが致命的な失言をしたことに変わりはない。そして、アルがビクターの発言に苛立ちを覚えるのも自然。


「まぁ……別に構いませんけど。良かったですね? ビクター殿。ここがファルコナー領であれば、今の発言だけで死んでます。少なくともファルコナー領……過酷な辺境では、敵でない限り、子を産むことが出来る女性へは敬意を払うものです。そして、可能性の塊である子供は皆の宝。……子を産めない程の幼女を性の対象とする奴は……二つの意味で死に値するというわけです。ビクター殿はファルコナー領へ立ち入らないことをおススメしますね。用事もないでしょうけど」

「……くッ! 言わせておけば……ッ!!」


 自身のことを子供だの幼女だの言われたヴェーラは少し複雑な気持ちだったが、同時に恥ずかしくもなる。

 アルはヴェーラ自身が蓋をして閉じ込めていた、泣きじゃくる幼いヴェーラのことを言っている。彼は気付いたのだ。ヴェーラ自身ですら、ついこの間までは目を逸らしてたことに。


「くは。酷い言われようだなビクター。だが、ワタシも今の小僧の発言には完全に同意だ。…………ヴェーラよ」

「……ッ! は、はい!」


 紅い瞳がヴェーラを捉える。クレアの存在は知っていたが、直接話をすることなど無かった。まさに雲上人。それに、ヴェーラがマナを一切感知できないのは彼女が初めてのこと。恐らくマナの制御を始めとした、あらゆる能力に差があり過ぎるのだろうと予想している。


「おぬしは王家の影を辞して、この小僧の協力者となる道を選ぶか?」

「……あ……か、可能であるなら……私は……王家の影……を辞め、別の可能性を……求めたい……です」


 紅い瞳。不浄の象徴。不死の属性。

 しかし、ヴェーラはその時、何故かクレアの紅い瞳に暖かいものを感じたという。もしかすると、彼女が見つめていたのは、幼いヴェーラの方だったのか。真相は分からない。


「くは。……ビクター。ヴェーラは紐を付けた状態で王家の影を辞する。そして、使徒である小僧の協力者として動く。その形で処理しろ。もちろん、小僧が使徒であることは伏せろ。だが、匂わせる程度は良い。ヴェーラの代わりはいずれ調達する。ヨエルとラウノはしばらくはそのままだ。あぁ、あと、ある程度の金はヴェーラや小僧にも渡るようにしておけ」

「……承知致しました」


 不満も疑問も自らの不名誉な性的嗜好のレッテルすら飲み込んで、ビクターは首肯する。逆らうことなど有り得ない。ヨエルとラウノも同じくだ。


「王家の影を辞する形とするが……ヴェーラよ。神子や使徒関連ではこちらにも情報を共有してもらうし、ときには動いてもらうぞ。小僧もそれで良いな?」

「ええ。僕は構いません。というか、むしろ王家の影との情報共有は僕の方からお願いしたいですし」

「……はい。私が王家の影への協力を惜しむことはありません」


 怠惰のクレアの鶴の一声。それで決まり。


 そして、ヴェーラの新たな戦いの始まり。



:-:-:-:-:-:-:-:

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