第6話 戦いとは
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「……仰る通りです。いつまでも今の生活を続けられないのは承知しています。僕はいま十一歳くらいですが、十五歳……いえ、十三歳をまともに迎えられるとは、正直思っていません。
これまでだって、アル様が言われるような“そういう”仕事の誘いはありました。誘いだけじゃない。攫われそうになったり、暴力で従わされそうになったり、貴族家の者や裏社会の奴隷商に追いまわされたこともあります。
仕事にありつけたと喜んでいたグループの子が、数日後にボロボロの姿で路地に打ち棄てられていることだってありました。まだ少女と呼ぶにも早い、幼い子供だったのに……あの子の遺体には眼も、耳も、鼻も、指も、歯もありませんでしたよ。死んでから切り取ったのか、生きている間だったのか……考えるのも悍ましい。
僕らはそういう場所で生きています。いつまでも今の生活を続けられない? ……そんなことはッ!! 言われなくても僕らが誰よりも分かっています!!」
サイラスの瞳に火が宿る。
怒りだ。目に映る全てに対しての怒り。
恵まれた立場から、土足で入り込んできて自分たちの境遇を語るなど。
目の前にいるアルが恐ろしい魔道士だとしても許せない。馬鹿にしやがってと。
だが、サイラスはそれでもどこかで冷静だった。怒りは本物だが、この程度であれば同情を買う程度で許容されるだろうという計算。
アルはそんな計算が含まれているとは知らないまま、怒りを見せたサイラスの姿に、先ほどのヴェーラが重なって視えた。
「そうか。良かった。現実をちゃんと分かっているみたいだね」
「…………ッ!!!」
いともあっさりとした言葉。サイラスの怒りが更に燃え上がる。目の前が真っ白になる。一瞬計算を超えて、自然と拳を握りアルに害意を持つほどには。
だが、害意を持続するのは無理。
アルと目が合う。
「……あ……ッ!」
虚ろな瞳。ヒトではないナニかがソコに居た。
「そこがスタートラインだ。何故だサイラス? どうして君は戦わない? 世の不条理や理不尽と。現実は辛く苦しい。誰にとってもだ。僕は君たちの生活の実態を知らない。だけど君も知らないだろう? 僕が……僕らがどれほどの理不尽の中で生きているのかを。……なぁ?」
「……あ、あ……し、知りません……」
サイラスは目の前のナニかに逆らえない。怒り? 一瞬で鎮まった。そんなモノは“コレ”には通用しないと、本能的に察する。萎れる。
「確かにサイラスたちだって辛いだろうさ。恐らくヴェーラ殿にも色々あったんだろうね。君は非魔道士だから詳しくは知らないだろうけど……僕は南方の大森林と接する辺境の者だ。大森林は知っている?」
「……は、はい。聞いたことは……あります。魔物の巣窟だけど……高純度の魔石が採れると……」
サイラスは呑まれる。
アルのことを恐ろしい魔道士だと思っていた。あのヴェーラという女性もだ。二人とも魔法という隔絶した力を振るう者。
でも、目の前にいる“コレ”は何だ? サイラスには分からない。幸いにも、彼がこれまでに出会わなかったモノ。
「大森林の魔物は主に昆虫型なんだ。大型の獣型のヤツもいるけど、小型の獣や亜人型は昆虫共との生存競争に敗れて去った。その敗れた連中が東方の大峡谷に住み着いたなんて言い伝えもあるけど、真相は知らない。
まぁ何が言いたいかと言えば……昆虫たちには、獣たちにもあるような情すらない。状況に応じて反応するだけ。機械のような……マナを籠めると決められた効果を発揮する魔道具のような感じと言えば分かるかな? そんな虫ケラ共と年がら年中、生存競争を繰り広げているのが大森林という場所であり、僕たちだ。
大森林では情などに意味はない。いかに相手を出し抜いて殺すか。いかに自分の気配を悟られないか。それだけ。負ければ虫ケラの餌。最悪は卵や幼虫のための生餌だ。
僕らはそんな虫ケラ共と戦うために、哀しいかな、結局は連中と同じようになってしまったんだ。情よりも反応。やられたらやり返す。やられる前にやる。詳しい事情は考慮しない。……まぁ流石に僕もニンゲンだし、王都のルールなりヒトの情には配慮するけどさ。抜けてしまうことも多いんだ。言い訳だけど。
大森林に接する場所で暮らしていた僕と、王都の浮浪児であるサイラス。共有できる価値観は余りに少ない。僕の言葉に怒りを覚えたのは悪いとは思うけど、下手をすると僕が“反応”することは覚えておいて。
あと、改めて先ほどの言葉は撤回して謝罪するよ。サイラス自身が痛いほど自覚していることを、敢えて部外者の僕が言葉にする必要はなかった。……すまない。この通りだ」
アルは静かに立ち上がり、サイラスにきっきりと頭を下げる。
「……あ……こ、こちら……こそ、す、すみません。当たり前のことを言われただけなのに……我を失いそうになりました」
サイラスの混乱は如何ほどだったか。異質なモノ。その片鱗に触れた。
アルはヒト族であり、貴族に連なる者であり、魔道士ではあるが、自分とは違う生き物。そんなことがサイラスの頭に浮かぶ。
少なくとも、王都においては都貴族家に連なる者が浮浪児に頭を下げることはない。いや、平民だって同じだ。サイラスたちは町に住み着く害獣のような扱いでしかない。
サイラスは知った。アルの言動は不躾ではあったが、特別に悪意があった訳ではないと。
そして、彼の中では浮浪児も貴族もたぶん同じなのだ。殺せるか殺せないか。食えるか食えないか。まさにいま聞いた大森林の魔物たちと同じ思考。
「……ア、アル様……一つ教えてください」
「ん? いいよ。何を知りたいの?」
アルの瞳に光が戻る。ヒト族の瞳。サイラスは少し気が抜けてしまったが、アルがいちいちこの程度は怒ることはないと考え、話を切り出す。
「先ほど……僕に理不尽や不条理と戦えと仰りましたが……僕らは今でも戦っています。王都の中で。も、もちろん、大森林での戦いほどではないでしょうが……これ以上、僕らはどう戦えば良いのでしょう……?」
アルの言葉にあった。戦えと。しかし、サイラスからすると今でも精一杯に戦っている。生きるという戦い。理不尽や不条理との戦いだ。
「簡単なこと。逃げれば良い。勝てない戦いを無理に続けることはない。生きることが戦いなら、逃げて生き延びれば良いだけのこと。それは弱さから逃げる事とは違うだろう?
知らなくても仕方ないけど……辺境地域では常に人手不足だ。王都で浮浪児を続けるなら、辺境へ行く段取りをするという手もある。その段取りがまた大変だとは思うけどさ。まぁ所詮は一つの案だけどね。
もし、サイラスたちが僕の仕事をきっかけに、普通の商店なりで働いて、その後も自立できるならそれでも良い。でも、やはり王都では継続的に仕事を続けられないとなれば……辺境地域で暮らす段取りくらいはしようかと思うけど?」
これまたあっさりとした答え。逃げる。逃げて生き延びる。
「に、逃げる。つまり王都から出る?」
「そうだね。王都で暮らすのが辛いなら、別の場所を探せばいい。当然、それすら難しいのは流石に分かるけどね。生きるというのは、特定の誰かが相手の戦いとはまた違うだろ? 生きることに立ち向かうとはそういうことじゃないのか?
言葉では簡単に言えるし、僕が言うとまた怒りを買うかも知れないけどさ。サイラスはどうして外民の町で浮浪児を続けているんだ? 王都付近の南方は農場も多いし、下働きくらいなら何とかならないの? いや……僕がそんなことを簡単に言っちゃダメだな……すまない。いまのは忘れてくれ」
真っ直ぐに見つめられた。ヒト族の瞳で。サイラスは自問自答する。どうして王都の外民の町に居るか?
「……か、考えたこともありませんでした……ぼ、僕はここで暮らすものだと……底辺がお似合いだと……浮浪児ごときが別の場所を望むなんて……」
「何でだ? 嫌なモノは嫌。そこに浮浪児も貴族も平民も関係ないだろう? ハッキリと、大きな声で、嫌だと叫べば良い。もしかすると、そうすることで害される可能性も増えるかも知れないけど……言わないと伝わらないだろ? ヒト族は特に」
アルは思う。伝えないと伝わらない。動かないと何も始まらない。じっとしていても許されるのは、隠れて敵をやり過ごすときだけ。
もっとも、そういうアルは周囲に伝えていないことだらけだし、伝えようとして誤解を生むことも多いが……
「まぁいいや。実のところ、僕がサイラスたちに出会ったのは偶然だけど……今はちょっとした罪滅ぼしの意味もあるんだ。君たちはフランツ助祭の支援を受けていた者たちだろう?」
「……ッ! は、はい。何故それを?」
「サイラスと話をしていて何となくそうじゃないかと……これは内緒だけど、僕はフランツ助祭とメアリが死ぬことを事前に知っていた。二人……特にフランツ助祭が死ぬことで出る影響なんかも知っていたのに放置した。自分の都合で。
後々に彼のことを調べて驚いたよ。外民の町の浮浪児たちに、その場の施しだけではなく、読み書きなどの教育も与えていたと。そして、彼はそうして育った浮浪児たちに町で仕事を斡旋していたとも聞いた。身を売るようなモノじゃなくて、正真正銘真っ当な仕事を。サイラス達もそうだろう?」
サイラスの態度。明らかに学がある。それなりの礼儀も。ただの浮浪児にしては聡明な印象がある。
そして、廃教会の瓦礫を物色していたのも、もしかすると別の理由があったのかも知れないと、アルは思い返していた。サイラスたちの出会いは偶然なのか、それともイベントの導きなのか。
「僕は生前のフランツ助祭を深く知らないけど、彼のやっていたことには感銘を受けたのも事実だ。力無き者を援ける。その性質は尊敬に値する。あの時、彼が死ぬことを避ける道を僕は模索しなかった。その所為もあってか、僕が何か仕事を依頼する時、その相手は彼の支援を受けていた者に頼みたいと考えてはいたよ。まぁ情とは別に、それなりの成果は出してもらいたいけどさ」
アルにも後悔がある。ゲームのイベントキャラだから。フリークエストで決まっていたことだから。そんな風にフランツ助祭を呆気なく切り捨てた。いや、別にアルが切り捨てた訳でもないが、放置はした。
その後、外民の町でフランツ助祭とメアリの死を嘆く人たちのなんと多いことか。そしてアルは知った。彼が暗殺者の真似事をしていると同時に、助祭として、女神の徒として行ってきた数々の福祉的な善行のことを。
この度、サイラスたちのグループとの出会いにより、アルは一つの思い付きを実行することを考えた。
冒険者ギルド。
ゲームではその存在自体の特別な説明などは無く、クエストの受注のためにある組織なり設備だった。もちろん、この世界にはそんな組織はないし、クエストという仕組みもない。
もはやゲーム設定のみならず、この世界での独自の設定だらけ。それでもイベントは次々に発生する。とても個人の力では全ては把握するのは無理だ。
だが、幸いにも主人公たちには王家の影が張り付き、王国も教会もその動向を見守っている。そこは任せて問題ない。むしろ、そっちはそっちで頑張ってくれとアルは思う。
しかし、王侯貴族や教会が関わらないイベントやクエストも多かった。全てを網羅はできないにしても、何らかの異常を事前に知ることができれば……もしかしたら、ちょっとした情報から古い記憶が刺激されて思い出すかも知れない。クエストの内容を。
王侯貴族や教会、学院が関わってくるのは、基本的にストーリー進行に必要な強制クエストだ。そっちは王家の影なり教会なりが何とかするだろう。
王都の裏社会におけるクエスト。これはアルが外民の町で暮らしてる間に、“仲良し”になった組織がある。そこから情報を仕入れることができる。
平民関連……正体を隠した魔物や魔族関連なども含めて、それらは基本的に外民の町や民衆区が舞台だ。そのクエストの予兆はどうするか?
いっそのこと浮浪児たちに紐を付けて町に放ってはどうか? 浮浪児たちにもある程度の横の繋がりもあるだろうし……と。
謂わば冒険者ギルドや情報屋の真似事。
それがアルの考え。
「……アル様は……僕たちに暴力を振るいませんか?」
「無意味な暴力は振るわない。先ほど言ったように“反応”してしまう可能性は否定できないけど……流石に悪意がない、力無き者を一方的に害することはないよ」
「食べ物と住む場所を用意してくれますか?」
「まぁ必要経費だね。当然のことだ。しばらくはアンガスの宿を使う」
「子供たちを変態に売りつけたりしませんか?」
「論外だね。あ、ちなみに僕自身も君たちに“そういうこと”は求めないよ」
「アル様の望む成果を上げられないかも知れません」
「さぼってる訳じゃないなら、それはまぁ仕方ないだろうさ」
「僕らは逃げても良いんでしょうか?」
「戦いからは逃げちゃダメだと思うけどね。生き延びる為に逃げるのは当たり前のこと。逃げずにいると死ぬ。それが分かっているなら逃げるべきだ。僕だって、今は我慢してるけど……当初の目的が果たせなければ、逃げて生き延びる道を征くよ。それも新たな戦いだ。信じられないだろうけど、僕は意志を持って去る者には敬意を払うよ」
サイラスは考える。アルのことは信用できない。余りにも思考や価値観が違い過ぎて、何を信じれば良いのか分からないからだ。ただ、嘘は付いていないだろうと思う。思いたい。
今までにもあった。目の前に差し出された救いの手。掴んだ瞬間、暗闇に引きずり込まれそうになったり、儚く消えてしまったり……実のところ今回のアルの提案もそうだろうと何処かで冷静にサイラスは考えている。期待はしない。せめて一時の飢えを凌げれば……
フランツ助祭が居なくなり、支援が途切れたまま。その間に体調を崩して亡くなった子もいる。いきなり行方不明になった子だっているし、他のグループにリンチされて死んだ子もいる。
明らかにサイラスたちを取り巻く状況は悪くなっていた。一時はフランツ助祭のもとで二十人以上居たサイラスたちのグループも、今では十人を切った。
「あぁ。僕からの注文もある」
「……なんでしょうか?」
自然と体が強張る。サイラスは『ここに来てまたか……』と諦めがチラつく。
「嘆くのは止めろ。君たちの境遇は過酷だろうが、別に自分たちだけが特別酷い訳じゃないと知れ。町の中の君たちを排除する連中一人一人にだって、その身の内に抱えている昏いモノくらいはある。
誰もが同じだ。所詮ニンゲンなんて同じ。貴族も平民も浮浪児も関係ない。条件が多少違うだけだ。まぁその条件の違いが苦しいんだけど……それでも平時では相手を、他者を尊重しろ。その上で、戦いとなれば踏みにじれ。容赦なく。そうしなければ死ぬのは自分だ。辺境だろうが、王都だろうが……戦いの基本は同じだろう?」
ああ。やはり自分では理解できない。この人は別の生き物だと。
だからこそ、彼の手を取ろう。
サイラスはその時にそう思ったという。
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