第7話 聖女と魔境の町娘
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静かに呑まれようとしている王都。
自らを女神教会の分派だとして、〝教団〟を名乗る者たちが民衆区の一部を占拠した。
それだけなら、暴挙に出た教団は鎮圧されて終わるだけなのだが、教団は託宣の残党や教会の有り様に反発する者らを取り込み、古貴族家や有力な大貴族家の後ろ盾も得ていた。
王家としても、ただでさえダンスダブル侯爵を筆頭とした東方貴族家との調整中であるため、表立ってはこれ以上の貴族家の分断を望まず、一方的な武力による鎮圧ではなく、まずは対話を求めることに。
教団側にしても、占拠ではなくただ志を同じくする者たちが集っているだけという体裁を保ち、民衆への弾圧や強制などはない。
一見すれば、王都の風景は以前と変わらないようにも見えるが……水面下での武力衝突は確実にある。
特に王国との関係修復を願う正規の教会側は、苛烈に教団を排除する方向で動いている。それこそ形振り構わず。
当然に教団側もやられるだけではない。表向きは上層部同士が〝話し合い〟を続けているが、裏側では血で血を洗う抗争が勃発している。
舞台は王都の暗がりであり、役者も暗がりに縁のある者ども。まさに暗闘だ。
民衆も危険を察知し、日が暮れてから出歩く者はめっきりと減り、教会にしろ教団にしろ、その関係者がいる場所からは人気が失せる。
そんな抗争の中で、ひと際目立つ存在がいた。
「いたぞ! 逃がすなッ!!」
「回り込めんで囲めッ!」
闇夜の路地に怒声が響く。標的を見つけてはしゃぐ追手ども。
ただ、追われているはずの人影はすでに足を止めている。迎え撃つ体制だ。
「ふぅ。私は逃げも隠れもしません。こそこそと逃げ回っているのは、むしろあなた方の首魁でしょうに……」
ため息と共にそんなセリフを吐き出す。
追われている側。街中でありながら旅装のローブを目深に被る女だ。ごくごく軽い仕草で、彼女は追手に向けて手をかざす。
「なッ!? よ、避けろッ!!」
「し、しまッ!? ぐぼォッ!」
「ごぁ!?」
追手側の数人がいきなり血を吐いて倒れる。勢い余って壁に激突する者や、転倒したまま転がっていく者も。
「や、やつの手や視線の前に立つな!! 散れッ!!」
「ぐぅぅッ!! マ、マナの集束なしに使えたのかッ!? じゃ、邪教の魔女めッ!!」
路地に追い詰められたのは追手側。ちなみに、同じような光景はすでに何度となく繰り返されている。それでも、追手側は諦めない。同じように襲撃を続ける。愚直に。
「私が魔女なら、死霊であるフランツはどうなのでしょう?」
「フ、フランツ猊下は死霊などではないッ! あの御方こそが、死すら超越された女神の遣いなのだッ!!」
遮蔽物を利用しながら、路地を回り込む追手たち。彼らの思いが揺らぐことはない。敵わぬとも諦めない。その姿は、ある意味では敬虔な信徒と言えるだろう。
彼らは自らの思いが正しいと信じることしかできない。使う側からすれば便利で都合の良い駒だ。
「詭弁を……度し難いですね」
フードの女は……魔女と呼ばれたシルメスは辟易しつつ零す。
ちなみに、彼女の攻撃は今ので終わりだ。追う側の勢いを利用する不意打ち以外では、彼女単体では手練れの追手たちに敵わない。散開されるとシルメスは追えない。彼女の力は、どうしても相手を視界に補足する必要があったから。
「(もらったッ!!)」
気配を消し、頭上から迫る刺客に彼女は反応できない。いや、むしろ反応する必要がないというべきか。
「がッ!?」
シルメスを狙った刺客は、空中で強制的に方向転換を強いられる。その命を支払った上で。
隠形。
潜むのは追手側だけではない。頭上から迫る刺客は、シルメスの守護者によって排除される。
義足が地を叩くかつりという音と共に、守護者が着地する。
「毎度毎度懲りないやつらだ。今回も一当たりして引いたみたい。一体何がしたいんだか……」
隻脚の女。とある魔境の町娘たるシャノンが愚痴る。
「シャノン殿。フランツはどうやら私を消す気はないようです。さりとて私を招待する気もない……何らかの理由で、私を生かしたまま時間を稼いでいるのかと」
「時間稼ぎねぇ……それも〝神〟の啓示ってやつ?」
シルメスとシャノンは水面下での暗闘の真っ只中。公的な後ろ盾を失いながらも、彼女らは教団を、死霊フランツを滅することを諦めていない。
「ええ。私の中の〝神〟も、どういうわけか今すぐにフランツを滅することには否定的なようですしね」
シルメスは神の意を得た。神の声を聞く。しかしながら、その声はか細く、彼女の願いとは違うものを示すこともある。
今のシルメスが知る由もないが、それはとある神子らが辿った道だ。
神はヒトを騙す。騙る。利用する。己の利益のために、その目的のために。
「へぇ……じゃあ、シルメス殿も引くわけ?」
シャノンが問う。微笑みながらも、獰猛な獣のような気配を纏いながら。
「ふふ。まさか。私の中の〝神〟がどんな寝言を吐こうが、私のやるべきことは変わりません。死霊フランツを滅する。ただそれだけを目指します」
応じるシルメスも嗤う。あり得ないと。彼女は〝神〟の言葉など信じていない。彼女が信じるのは、あくまで彼女自身が天啓だと感じたモノだけ。
シルメスが力を得たのは、同じく力を得たフランツを滅するため。
それ以外の神の声は雑音。
身の内に巣食う神が今さらナニを語ろうが……彼女からすれば知ったことではない。
フランツの命を受けた追手たちを、詭弁を妄信する度し難い者どもと評しながら、実のところシルメス自身も同じなのだ。
彼女は周囲から聖女と讃えられながらも、その実、女神の存在には否定的だった。
女神がおわすなら、なぜヒト族は同族で相争うのか?
女神がおわすなら、なぜヒト族には身分の差があるのか? なぜ女神はそれを許すのか?
女神がおわすなら、なぜヒト族は魔物の脅威に晒されているのか?
女神がおわすなら、なぜヒト族は病に苦しまなければならないのか? なぜ今生の別れがあるのか? なぜヒトは愛と哀しみを重ねるのか?
流浪の治癒者として各地を巡ることが多かった彼女は、か弱きヒト族の庇護者たる、全能の女神エリノーラなど信じない。教会の教義など、為政者に都合のいい作文に過ぎないと断じている。
そして、その上で、人々には女神の教えが、導きが必要だとも。
女神がヒトを救うのではない。
信仰が……ヒトが生み出した、ヒトのための信仰こそが、苦難の道を征くヒトを救うのだ。
奇跡を起こす〝神〟など、現世に顕現する上位者など、ヒトには必要ない。
シルメスはそんな境地に至っている。
なんのことはない。彼女もまた、自身の教義に殉ずる者。狂信者。生前のフランツと同類以外の何者でもない。
「あはは! 私はやっぱりシルメス殿が気に入っちゃったよ! この件に片が付いたらさ、一緒にファルコナーに帰らない?」
「南方にですか? ふふ。それもいいかも知れませんね。ただ、恐らく私は、死霊フランツを滅する際には相打ちとなるでしょう。残念ながら、シャノン殿の申し出には応じられないかと……」
「なら、私はシルメス殿がそうならないようにするさ。もちろん、ファルコナーへ帰るその時は、コリンの馬鹿やサイラスも一緒にだ」
快活に笑いながらも、シャノンの胸には昏い火が宿っている。ファルコナーにあるまじき復讐の炎が猛っている。
サイラスが行方不明になった。
諸々の騒動が大きくなり、王家の密勅を帯びていたゴールトン家は手を引いた。それこそ王家からの要請で。《王家の影》と聖堂騎士団も、表向きには手を引く形となった。
シルメスがフランツを滅すると誓ってから間を置かず、教団からの刺客がシャノンたちを襲う。襲撃が激化する。
そして、ギルドメンバーの安全のためにと奔走し、シャノンとシルメスを逃すために殿を務めたコリンの姿も消えた。
彼は帰って来なかった。
許せるものか。
これが大森林の虫どもが相手なら、話はまた違ったのかも知れない。
だが、シャノンはヒト族同士の醜悪な争いで生じた身内の死に、自らの昏い感情を持て余してしまう。復讐に囚われてしまう。もちろん、まだ二人の決定的な死を信じたくないという思いも強い。
「……あ、シャノン殿。フランツの気配がまた消えました」
「ふぅ。まったく馬鹿にした話だ。どうせ誘うなら、もっと懐まで誘って欲しいもんだね」
闇夜の路地での追跡劇。
それが誘いや罠であるのを承知の上で、今のシルメスたちはフランツの気配を追うことしかできない。
明滅する死霊の……〝神〟の気配を追う。夜ごとに繰り返されるごっこ遊びの如くだ。
「ですが、恐らく決着の時は近いかと。あくまで〝私〟の直感でしかありませんが……」
「今はシルメス殿の直感なり、その身に宿るという胡散臭い〝神〟の御託なりを信じるしかないからね。そっちは任せるよ」
「では、改めて気配の消えた地点の確認に向かいましょう」
王都での暗闘は続く。
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……
…………
………………
現状、教団と武力でやり取りするのは、正規教会の暗部たちであり、王家を筆頭とした権力者側……いわゆる官憲は、上位者同士の〝話し合い〟の結果待ちだ。今のところ、通常の治安維持活動に留まるのみ。
《王家の影》やゴールトン家の後ろ盾を失ってなお、教団を敵視するシルメスとシャノンは、必然のように教会に付く者の支援を受けていた。
もっとも、あくまで身を休める一時の休憩所的な支援でしかないが。
「そのフランツという死霊には、まだ辿り着かないのであろうか?」
声の主は年若い男。丸々と肥えており、いかにも都貴族然とした雰囲気を纏うが、その身を飾る装いは、贅沢や豪奢を美徳とする都貴族とは一線を画したシンプルなもの。
「はい。またしても逃しました。死霊フランツは民衆区のあちこちに現れては消えを繰り返していますが、その動きには何らかの意図があります。少なくとも、〝私〟を誘っているのは間違いないかと」
応じるのはシルメス。〝神〟を宿す狂信なる聖女。
彼女とシャノンはフランツの気配を追うが、毎度毎度取り逃がす。当初は単に体よくあしらわれているだけかと考えていたが……違う。フランツは意図的にシルメスを誘っている。ただし、その真意や目的は分からないまま。
「そうか。であるなら、無為に思える夜ごとの追走劇も演出されたものということか。聖女殿としては、彼奴の意図をどう読む?」
「……そうですね。恐らくこの王都を舞台に、何らかの秘術の準備をしているのかと。フランツが消えた地点には彼の者のマナが色濃く染み付いています。しかも、どうあってもその染み付いたマナを浄化できません。すでに教会側にも情報を提供し、各地点を調べてもらっていますが……当然フランツはそれすらも見越しているでしょう」
質素な都貴族の青年に対して、シルメスは淡々と応じる。現状、彼女らは支援を受ける側ではあるが、シルメスは目の前の都貴族を信用していない。
それも当然。
彼個人については知らずとも、聖女シルメスは彼の家については身を以て知っていたから。
彼の名はノーマン。
ノーマン・コートネイ。
先代から爵位を継いで間もない、今代のコートネイ伯爵だ。
コートネイ家というのは、シルメスが身を寄せていたゴールトン伯爵家と表に裏にと色々なやり取りをしていた相手。
事実として、シルメス自身もそのやり取りの中で、闇に葬られそうになったのは一度や二度ではない。
「なるほど。どちらにせよ、まだ主導権はフランツにあるということか。さて聖女殿よ。恐らく凶と出るだろうが……そろそろ教会の上層部は強硬手段に出るやも知れん」
「強硬手段ですか?」
先代が都貴族の流儀を利用し、諸々の罪を逃れたことにより、今代のコートネイ伯爵家は方針を一転した。
これまでの後ろ暗い付き合いをすべて断ち切った。これ以上の借りを作らぬようにと他の都貴族らとも距離を取り、本来ならば異端審問の対象となる諸々を有耶無耶にした詫び代わりに、教会への寄進や協力を申し出た。
結果として、今は教会の小間使いのような立ち位置にいる。もちろん、それはコートネイ家の生存戦略の一つであり、敢えての役どころだ。
「王家がダンスタブル侯爵家との和議を急ぎ取りまとめ、東方の反乱騒動を終わらせに掛かっている。つまり、ここからは本格的に教団の問題に注力する気だ。教会としては、王家よりも先にこの〝内輪揉め〟を終わらせたいのだろう。そうでなければ、この先、王国での教会の影響力はますます弱くなるからな」
「はは。利害に直結する面子ってやつ? お偉い方々は色々と大変だねぇ」
馬鹿にしたように口を挟むのはシャノン。たとえお偉方にとっての死活問題であろうと、今の彼女からすればどうでもいい話でしかない。
「シャノン殿よ。あなたにとっては笑いごとでは済まぬやも知れんぞ? 教会側が強硬手段に出るということは、要するに〝余所者は手を引け〟と言うのと同義だ。教会は自らの手で問題を片付けたい。そうなれば、何かと目立つ聖女殿にもご退席を願うだろう」
「あー……なるほど。そういうことか。ま、今さら教会側がどうしようが私には関係ないけどね」
虚ろな戦気を纏い獰猛な笑みを浮かべるシャノン。
「ええ。シャノン殿の言う通りです。私たちのやることに変わりはありません。どのような理由であろうと、相手がどのような立場であろうと、私の前に立ち塞がるなら敵と見做します。ただただ排除するのみ」
苛烈な発言とは裏腹に、さも慈愛に満ち溢れたかのような笑みを見せるシルメス。
そんな様子を目の当たりにしたノーマンは嘆息する。
直接の付き合い自体は短いながらも、彼は二人の〝性質〟を理解している。
一言で言えば〝度し難い〟。
ノーマンは父の……先代コートネイ伯爵たるイーデンの冷たい算段を思い出す。
都貴族は時には己の命すらも家の存続の駒とするが……イーデン・コートネイという男はそれを徹底していた。
方向性は違えど、この二人からもどこか同じ匂いがする。
己の命の有無程度では止まらない。
目的を果たすためであれば己の命には拘らない。些末事だと言わんばかりに。
「ふぅ……想定通りの返答に頭が痛くなるな。とにかく、今のコートネイ家は教会に頭を垂れている故、教会の動き次第では聖女殿らを拘束せねばならない。……が、命すら平然と投げ棄てる貴殿らを相手にするのは、余りにも労力が掛かり過ぎる。今のコートネイ家に仕えてくれる者らは代えようもなく貴重でな。教会への義理程度で彼らの命を失うわけにはいかない」
「……」
そう語りながらノーマンは、まるで家具と同調するように控えていた執事に視線を送る。
意を得た執事は滑るように歩を進め、聖女の前に一片の紙片を静かに差し出す。見る限り、それははじめから予定されていた動き。
「これは?」
特に敵意も害意もなかったが、当然のように警戒を見せるシルメス。いきなり紙片に手を伸ばすような真似はしない。
「これはあくまで独り言だ。昨今の世情を踏まえ、コートネイ家が確保しているセーフハウスの一つに物資と金を運び入れたのだが……どうにもその報告のためのメモを失ってしまったようだ」
「……」
白々しい、いかにもな茶番。
身を隠す場所は用意したから、教会の要請がコートネイに届く前に消えろという話だ。
「そうですか。ならばこちらもあくまで独り言に過ぎませんが……私はコートネイ家を好きになれませんし、これまでの仕打ちを許すことはできません。ですが、この度コートネイ家から一時の支援を受けたのは紛れもない事実。その点については……万の感謝を」
両の手を胸の前で組み、軽く頭を下げる。シルメスは教会式の礼を取りながら語る。独り言を。
「……じゃ、行こうかシルメス殿」
「ええ」
差し出された紙片を受け取り、さっと踵を返す。
聖女と魔境の町娘はもう振り返らない。ただただ歩き出す。目的に向けて。
そんな度し難い二人の背に、ノーマンは続けて独り言を投げ掛ける。
「……教会の上層部どもは、ここに至ってもまだ教団やフランツを舐めている。強硬手段は更なる混乱を生むだけであろうよ。あくまで推測でしかないが……フランツという死霊は教会を知る者。教会上層部のそんな驕りすら見越しているのではないだろうか? であるなら、彼奴とて教会がしびれを切らす機を逃すまいと着目しているはず」
「……」
敵の気が逸れた瞬間を狙うというのは、それが政治的であろうが、物理的な衝突であろうが、あるいは個であろうが集団であろうが同じ。
〝戦い〟の基本だ。
魔境の町娘にとっては今さらな助言ではあったものの、彼女は背を向けたままに軽く手を上げ、ノーマンの独り言に謝意を表する。
聖女シルメスへの支援。その一連の動きの中で、ノーマン・コートネイには打算があった。
しかし、それはあくまで教会に恭順して尻尾を振るという類のものであり、聖女そのものに他意はなかった。
彼女らをどうこうする謀に関与する気はなかったし、そもそもそのような動きは教会側になかった。
ただ、強いて言うなら、教会上層部が激発するより先に、聖女がさっさと死霊フランツを始末してくれれば……という願いがあった程度だ。
後々に振り返ってノーマンは思う。
聖女シルメスに対して、下手なちょっかいを出さなくて良かったと。色気を出し、教団側にすり寄るような素振りを見せなくて正解だったと。
彼女らがノーマンと別れた数日後の話だ。
教団が根城とする地区を中心に、夥しい数の亡者が突如として現れた。
大通りまで溢れるほどに。
しかし、混乱する民衆を余所に、亡者たちは無差別に暴れまわったりはしない。
整然と、淡々と、粛々と……教団関係者が立て籠もる場所を襲撃したのだ。
そして、そんな異様な亡者たちの中心には、聖女シルメスの姿があったという。
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