第7話 目撃者たち
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真白き焔が天を突くにほどに立ち上ったかと思えば、なんと、その焔は巨大な剣へと変化したのです。
天へと昇る焔の聖剣。
絶望に吞まれ、諦めかけて俯いていた人々は見ました。見上げました。
〝おぉ……あれこそは女神様の奇跡〟
〝め、女神様は我らを見捨ててなどいなかった……ッ!〟
〝なんということだ……わ、私たちは女神様の御心を疑ってしまっていた……なんたる不敬だったのか!〟
人々の心に希望の灯が戻ってきます。人々は女神様の救いを疑ってしまった自身の不敬を恥じました。
信仰を取り戻し、人々は立ち上がります。
絶望の淵にいた人々が立ち上がるのを見届けて満足したのか、静止していた巨大な焔の聖剣は動きはじめます。
邪悪を討つために。
静止から一転、まるで大地を割るかのような勢いで聖なる焔の剣は振り下ろされました。
その直下にいる、闇を煮詰めたような深淵なる瘴気を消し去るために。
白き聖なる焔の剣は、黒き黒き闇なる瘴気を切り裂き祓う。
人々の女神様への信仰が薄れたのを機に、冥府の王は現世を浸蝕せんと企みましたが、女神様はそれを許しはしませんでした。
寛大にも不敬なる人々に赦しと救いをもたらしたのです。
いえ、赦すどころか、ヒトの守り手たる慈愛の女神エリノーラはずっと我らを見守って下さっていたのです。
畏れ多くも、手ずからに力を与えた神子を現世に遣わし、邪悪なる冥府の王の企みを砕くための希望を人々にずっと前から届けてくれていたのです。
その希望の灯に気付けなかったのは、か弱く蒙昧なヒトの業とも言えるのでしょう。
〝冥府の王よ。この現世はか弱き者たちが生きる光ある場。冥府の王は冥府の王らしく、深淵なる常闇に還るがいい〟
〝ぐぅッ!! 女神めぇぇッッ!! 我は滅びぬ! 何度でも甦るぞッ! いつの日か、神子がいなくなった現世を蹂躙してくれるわッ!!〟
〝ならば、私は何度でも神子を遣わせましょう〟
聖剣によって切り裂かれた冥府の王。
彼の者は憎々しげに女神様やその神子らを睨み付けながら、深淵なる常闇の底の底の遥かな底へと堕ちていきました。
こうして、女神エリノーラ様の計らいにより、冥府の王の現世への侵略は食い止められましたとさ。
おしまい。
……
…………
………………
後の世では、そんなおとぎ話が語られるようになるのだが……伝説やおとぎ話というのは、時の権力者の都合を含め、世相や民衆の願望を色濃く反映した脚色ありきなのは言うまでもない。
おとぎ話と現実に違いがあるのは当たり前。
ただ、これも当然ながら、伝説が生まれたということは、その原型となる出来事があったということを示唆している。
たとえ時代の流れと共に装飾が過多となり、原型を留めていなくてもだ。
まず、ヒト族が本当にか弱いだけなのか、それを見守る女神が慈愛に満ちているかはさておき、現場に女神の神子がいたのは確かだ。また、天を突くような白き焔の聖剣が振るわれたのも事実。
だが、そこには冥府の王はいないし、冥府の王の神子たる者にしても、聖剣が振るわれる前に滅していた。その遺志を宿した黒きマナが暴れまわっていただけ。
戦いはあったが、それは女神の遣いと冥府の王との戦いなどではなかったわけだ。
そこにあったのは、女神の遣いの勘違いによってもたらされる理不尽な暴力と、それを止めようとした者たちの……いわば命を懸けた内輪揉めのようなもの。
伝説やおとぎ話としては、そのような事実は各方面に示しもつかないために却下されただけ。
そして、伝説の基となった出来事を直接目撃した者の中には、当時の権力者側に属する者たちもいた。
東方辺境地の変事を直接見届けるようにと、非公式な王命によって送り出されたやんごとなき御一行にして、いざとなれば使い捨てられる者たち。
魔族領へと差し掛かる地。辛うじてルーサム家が管轄する場所から、一行は天にまで届かんとする白き焔の火柱を目撃していた。それなりに近い距離で。
「ダスティン。お前たちを連れてはこれ以上近付けン。迂闊に近付けば死ヌ。いヤ、すでにここらも死地ではあるがナ。まぁこの先は私が単独で行こウ」
抑揚は平坦で、ヒト族の耳には違和感のある少し甲高い声色。一行の案内人兼護衛を務める、人語を解するゴブリンによる発声だ。
「そうか。ダーグほどの者がそう言うならば仕方あるまいな。ふっ。実のところ、私個人としてはこれ以上近付きたくもない。ダーグの提案は願ってもないものだ」
「くくク。危機管理に素直なのは好ましい気質ダ。お前のそういうところは嫌いじゃなイ」
壮年のヒト族の男と、まさにゴブリンらしい小柄なゴブリンが笑い合う。何気ないやり取りではあるが、そこには確かな信頼が介在している。
たとえそれが、マクブライン王家の秘儀による縛りを掛けた側と掛けられた側……〝契約者〟という立場であってもだ。
「というわけだ。アダムにカインよ。我々はここらで待機だ。茶でも飲んで待つとしようか。どうせこれ以上のナニかが起きれば、我らだけでは到底逃げ切れる距離でもないしな。後はダーグに任せるとしよう」
金髪碧眼の大柄な壮年の男。マクブライン王国の現王フィリップ・マクブラインの実弟たるダスティンが、そんなことを軽く口にする。
「ダスティン様やダーグ様がそのように判断するなら従うまでです」
「私も兄様と同じくです」
同じく〈王家に連なる者〉であるフィリップ王の実子たる第三王子アダムと第四王子カインであっても、叔父にして王弟のダスティンは決定的な上位者であり、その判断に口を挟めるはずもない。
そして、そんなダスティンと気安く語らうのがただのゴブリンであるはずもない。
マクブライン王家が契約の秘術によって縛る超越者にして、ルーサム家私兵団の最強格との呼び声高いダーグ軍団長だ。
彼が戦場を見て〝死ぬ〟と言えば、それは予言にも等しいというもの。
従うより他にない。
もちろん、だからといって言われた側の内心に不満がないかと言えばそうでもない。
特にアリエル・ダンスタブル侯爵令嬢の元・婚約者であり、彼女の〝お願い〟と〝我が侭〟に付き合うと決めたアダム王子には、この度の変事を間近で見届けたいという願いが強い。
いかに従順を装っていても、そんなアダム王子の内心など筒抜けだ。
「ふッ……ダスティン。命の保障をしないでいいなラ、この無謀な王子一人を連れて行くくらいはするゾ?」
アダム王子の願いにして内心の不満は、この度、超越者たるダーグの興味を引いた模様。
「ほう、珍しいな。ダーグがヒト族のガキなんぞを気に入るなど……」
「くク。どこぞの馬鹿な若造に似ていル。例の神子や若かりし頃のお前にナ」
「……まったく。お前にまで親戚連中お得意の〝小さい頃はよく寝小便をしていた〟みたいな話をされたくないんだが……」
ニヤニヤとした笑いと、若干苦みのある笑みを浮かべた者らの気安いやり取り。だが、それでもそこは超越者と上位者。
「さテ、どうすル?」
真っ直ぐにダーグの視線を浴びたアダムは思わず怯む。唐突に選択を迫られた。この場の決定権者であるダスティンも何も言わない。ただ見つめるだけ。
結局のところ、不満はあるにせよ上の判断に従う方が楽なのだ。しかし、今回のアダムは即座に真正面から問われた。〝不満があるなら自分で決めろ〟と。
「わ、私は…………命の保障など要りません。ダーグ様、どうか連れて行って下さい」
考える間もないまま。だが、それでもアダムは決断する。この変事を直接見届けることには、己の命を懸けるに値するナニかがあると信じた。
「分かっタ。この馬鹿な若造を連れて行ク。もちろン、他の護衛連中の同道は認めン。ダスティンもそれでいいナ?」
「ああ。アダムが自身で決めたことだ。ここは辺境地であり、そもそも私やこいつの代わり程度はそれなりにいる。今回の視察で誰が死のうと陛下はとやかく言わんだろうさ。当然、この一件で他の護衛たちが咎められることもない。むろん、すべては生きて帰還できればの話だがな」
王弟ダスティンは言い切る。現状、自分たち一行の誰が死んでも王国は困らない。現在進行形で自分たちが死地にいることも承知の上。仮に甥であるアダムが死んだとしても、その死が自身の選択の結果であるなら、ダスティンは眉一つ動かさないだろう。
マクブライン王国は長らく平穏な時代を謳歌していた。貴族家同士や教会関係者との暗闘や権力闘争、辺境地での魔物や亜人種との生存競争などはそれこそ日常ではあったが、王国が樹立して以来、存亡の危機に瀕するほどの大戦の歴史はない。
しかしながら、それでも王国の貴族……特に〈王家に連なる者〉は、王国の敵を討つことが第一に求められている。魔道士であり戦士の気質を失っては、誰にも相手にされない。一般の民衆からもだ。
だからこそ、アダムの意思はあっさりと許される。その責任は自身で負う。命を喪っても仕方なし。王子様だからといって、これまでのように囲われて守られはしない。すでに女神の託宣は破棄されたのだから。
アダム・マクブライン。
彼もまた、〈王家に連なる者〉の孤独な道を歩み始めている。
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「ふーん。あれが生命と光を司る女神の属性なんだぁ。実際に目の当たりにすると凄いものだね。こんなに離れているのに……圧を感じるなんて」
保護者に手を引かれた、面差しに幼さを残した少女がそんなことを口にする。立ち止まって振り返っている。仰ぎ見ている。
彼女がいるのは、魔族領を望むことができる山の中腹。道の途中。
すでにそれなりに知られているが、かつては魔族領の者たちが、危険度の高い魔物を避けて大峡谷側へと抜けるために使用していた秘密の道だ。
少女はまさに魔族領側から大峡谷側へ……ヒト族が統治するマクブライン王国へと抜けようとしていたのだが、その途中、天を突く聖なる焔と白き暴風が激突する場面を目撃することになる。
燃え盛る風。巨大な白き焔の竜巻が魔族領に立ち上っている。
「イノセンテ。あれは術者である神子が飛び抜けてオカシイだけですよ。それに、厳密には女神の属性だけではありません。おそらくザガーロ卿の術を逆に取り込んだのでしょう。女神と冥府の王という相反する属性を混ぜ合わせているようです」
あまりの光景に足を止めて呟いた少女の……イノセンテの手を引く保護者が応じる。
「相反する属性を混ぜ合わせる? ええと……〝反属性の融合〟というやつ? それもエリノーラやザカライアという神柱由来のマナで? お母様の情報では〝摂理に反するあり得ない空想上の理論〟って感じだけど?」
「ええ。姉様ですら到底不可能というあり得ない領域でのことです。つまり、今の状況は安定とはほど遠い異常事態。ヒト族ごときが〝反属性の融合〟を成し得るはずもありません。あの異常なマナは……直に暴発するでしょう」
見聞きするすべての物に目新しさを抱く少女に対して、端的に現状を説明する保護者。
エルフもどきにして、死と闇の属性を持つ化生の一人。
そして、とある辺境に出自を持つ狂戦士の復讐対象でもある女。
レアーナ本体。
「今の内にここを離れましょう、イノセンテ。神柱のマナが暴走した際、どれほどの影響があるのか予想できません。いくら距離があるとはいえ、下手をすれば巻き込まれかねませんよ」
今の彼女は、どこか憂いを含みながらも慈しむような瞳を少女に向けている。それはどこぞの狂戦士が決して見ることのない一面。
「ん。分かった。もう少し見ていたい気もするけど……私はともかく、レアーナ姉様にとってあの白いマナは猛毒だもんね?」
「ええ。それに、私たちにはまだまだやることがありますからね。さ、まずはザガーロ卿の《《遺産》》を引き受けに行きましょう」
優しく促すレアーナ。その姿には母性すら感じられる。いや、ある意味ではまさに彼女は母だ。
「そうだね。でも……あそこまで術式がボロボロだったのに、どうしてザカライアは顕現したんだろ? 本来なら術は発動すらしないはずなのに……」
「さぁどうしてでしょうね?」
少し困ったような微笑みを浮かべてそう応じているが、彼女は知っている。
発動しないはずの術式が発動した。
ザガーロの遺志たる黒きマナが、女神の神子たるセシリーに直接触れた瞬間、確かに神を喚ぶ術は発動したのだ。贄や依代であるはずの神子すらも気付かぬ内に。
それはレアーナの敬愛する姉クレアの積み上げて来た計画が結実したわけでも、ザガーロの執念が神を引き摺り下ろしたわけでもない。
「(あんな滅茶苦茶な手順で……贄や依代すら放棄した穴だらけの陣で神の召喚などできようはずもない。なにより、なぜに本来の陣から遥か遠くに離れた地でザカライアが顕現するのか。明らかに何らかの意図が……〝上位存在〟の介入があったはずだ)」
胸の内でレアーナは状況に当たりを付けている。ザカライアの端切れ程度ではあるが、特異な存在が現世に喚び出された。至近で術式を精査していたレアーナだけがそれに気付くことができた次第。
術式を気に掛けていたザガーロ一味の残党たちも、もはや散り散りになって逃げ延びるのが関の山という状況であり、アルやダリルたちはそんなモノを気にする余裕などなかった。現在進行形でない。魔族領や大峡谷の地で、ザカライア顕現に気付いた者は他にいなかった。
「うーん……ま、今はいっか。レアーナ姉様、とりあえず行こっか?」
「ええ。行きましょう」
レアーナはクレアの夢を叶える。神殺しを成し遂げる。神をも縛る〝上位存在〟とやらがいるのであればそいつも殺す。
そして、神々から真に解放されたこの世界の行く末を見届け、イノセンテと共に世界の理を追う。解き明かす。
「(姉様……さようなら。私はイノセンテと共に往きます。神を殺し、この世界を巡る理のすべてを解き明かして見せます。必ず。姉様の代わりに……ッ!)」
レアーナは少女の手を取って歩き出す。果てなき探求の旅路へと。
そんなレアーナに連れられて行く少女イノセンテ。
見た目はヒト族の幼き少女。
肩付近で切り揃えられた黒い髪。
少し眠そうな印象を与えるその瞳。髪と同じく黒い色をしている。
顔立ちは整っているが……まだ幼く成長の余地を加味しても、隔絶された美を持つというほどではない。
保有するマナも、マクブライン王国基準でいうところの一般的な魔道士並み。
知らぬ者が見れば良家の子女だろうと思いはするが、特別に他者の目を惹く美貌があるわけでも、突出したマナを保有するわけでもない。王都の貴族区などを歩けばごくごく普通。どこぞの貴族家のご令嬢というところ。
だが、少女がただのヒト族であるはずもない。普通のはずもない。
エルフもどきの妖しき化生たるクレア。
彼女の情報を受け継ぐ器として、レアーナの魔法『本物の分身』を基にして生み出された存在。
エルフでもない。ただのヒト族でもない。
基となるレアーナとも切り離されており、死と闇の眷属でもない。
クレアが得ていた情報こそ受け継いでいるが、その意思や思考はまったくの別物。別人。
〝物語〟の用意した演者でもない。
役割もなければ、神々の影響なども当然にない。
クレアとレアーナが生み出した、この世界への抵抗の証。自由なる存在。
意思を持ち成長する人造存在。
「ねぇねぇレアーナ姉様。ところでヒト族の街ってどんな風なの?」
「ふふ。イノセンテだって〝知っている〟でしょう?」
「だって、やっぱり実際に見たり聞いたりするのとは違うもん。ねぇねぇ、勿体ぶらずに教えてよぉ」
「はいはい。道すがらに教えてあげますよ」
遠目には白き焔の竜巻が猛威を振るい、至近には危険な魔物が跋扈するという環境。そんな状況にあっても、二人のやり取りだけを見れば、まさに姉妹や母娘の微笑ましい一幕だ。
だが、彼女たちの征く道が微笑ましいだけで済むはずもない。
無垢なるイノセンテ。
彼女の歩む道は、その足跡は、それそのものが新たな〝物語〟。
復讐を望む狂戦士が彼女らを……レアーナを捉えられるかは、もう誰にも分からない。
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※次回の更新は3月1日(土)です。