第6話 反則と誤算
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暗転の末に切り替わった視点。場面。
アルの眼前には、黒マナの礫。命を刈り取る攻撃。
「ぅッ!?」
辛うじて首を捻って躱す。やり過ごす。それは生存本能による火事場の馬鹿力だったのか、反射を超えたナニかに突き動かされたアル。
が、当然に〝次〟を意識する余裕もなく、動きに乱れが生じる。リズムが崩れた。その隙が見逃されるほど甘い状況でもない。
速度こそ『狙撃弾』ほどではないにしても、十分に必殺となり得る礫が次々に飛来する。それらを躱しても、着弾した黒マナは即座に獲物を捕らえんと触手のように変形して迫って来る。
焼き増し。繰り返し。先ほどの。少なくとも、アルの認識では一度体験した死線だ。
「くそッ!? た、確かにコレは! 〝反則〟に違いないなッ!!」
意味不明ではあるが、じっくりと考え込むわけにもいかない。黒マナを躱す。躱す。駆ける。止まる。跳ぶ。転がる。
この遊びのルールは知っている。一度捕まれば終わり。アルはなんとか直撃しないようにと立ち回る。だが、引き換えに、崩れたリズムを整えるための無茶な挙動で自傷的なダメージが蓄積されていく。
そんな状況にありながらも、アルは当たりを付ける。ジレドの〝反則〟とやらに。
黒マナの猛攻を凌ぎながらも彼は見た。白き焔が凝集していく様を。ダリルが己の命を燃やし、黒マナに飲まれつつあるセシリーを助けようとしている姿を。再度目撃する。
「(やはり時間が戻ってるのか? 今はまさに、ダリル殿が仕掛ける直前?)」
時を遡る跳躍。
あり得ない現象だが、アルは一旦受け入れる。というより、じっくりと考察している暇などない。とにもかくにも状況を飲み込み、目先に迫る危機に……黒マナに対処しなければ死ぬ。
そもそも、時間が戻ったからといってアルにできることはない。
〝観測者〟や〝代行者〟由来の特殊パワーに目覚めたわけでもない。
ダリルやセシリーのような白マナを扱えるようになった感覚も当然にない。
詳細が分からずとも、アルはご都合主義が、自分に恩恵をもたらすような代物でないのは理解した。元々、そんなモノを期待すらしていなかったが。
時間が戻った。うん。だからどうした? というだけ。やることは同じだ。
結局のところ、アルは身を守りながら状況の推移を見守ることしかできない。
「(再開直後にいきなり僕が死に掛けたくらいで……それ以外の展開は前と同じか? セシリー殿の気配が弱くなってて、ダリル殿が命を削って白マナを絞り出してる……ええと、確か〝ダリル殿の命を繋ぐ可能性を残す〟とか言ってたっけ? ジレドめ……どうせならこういうのもちゃんと説明しといてくれよな。まぁさっき死に掛けたのは、気を抜いてた自分が悪いんだけどさ……ッ!)」
理不尽はあって当たり前。結局のところ、自分の面倒は自分で見るしかない。
さて、誰の言葉だったか?
華麗なるブーメランアタック(理不尽)を食らいそうになったアルだが、流石に直前の発言は自覚しており、ジレドへの不平なり不満なりはとりあえず飲み込む。もしかすると、それらを見越した上での、ジレドからアルへの性質の悪いイタズラだった可能性すら……。
『ブヒヒ。マ、旦那なら大丈夫だろうと思ってナ』
生き死にの際にありながらも、アルの脳裏には悪びれなく笑うジレドの顔が過ぎる。
「(ふぅ……どうであれ、僕が単独で打開できない状況というのは変わらない。ダリル殿頼みなのは前回と同じ。で、ここからジレドの反則とやらがどんな風に影響してくるのか……ま、たとえ何も変わらなかったとしても、それはそれで仕方ないと受け入れるしかないんだろうけどさ)」
ダリルの死、ジレドとの別れなどで緩んでしまった感覚を戻す。先のことを考えるよりも、今を生き延びるという当たり前の思考に切り替え直すアル。
再演。死のお遊戯会は続く。
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東方辺境地のとある教会で保護された孤児。
アリエル・ダンスタブル侯爵令嬢の友。
オルコット子爵家の養子にて愛し子。
託宣の神子。
人外たる化生の虜囚。
これまでの自分自身の弱さと愚かしさを突き付けられた馬鹿。
借り物の力を使ってでも、己の信ずる道を征くと決めた脳筋。
そして、どうしようもない勘違いから〝魔王〟と化した白き暴虐。
セシリー・オルコットには、成長や成り行き、自身の選択などによって、周囲からの評価に多数の変遷があった。主に悪い方に。
本人からすれば、ある意味では吹っ切れてすっきりしたかも知れないが、その変化は決して褒められたものばかりでもない。彼女の実情を知ったならば、『賢しげに振る舞う愚か者のままでいて欲しかった』……と、心の底から願う連中もいただろう。
「止せダリルッ! 死ぬ気かッ!?」
ザガーロの遺志たる黒きマナに囚われたセシリー。
当然、彼女とて必死の抵抗を続けているが、黒マナに圧迫されて動けない。密度を増した白きマナの風を纏い、辛うじて取り込まれるのを防いでいたのだが……徐々に均衡は崩れ始め、今や黒きマナに浸蝕されつつあった。
諦めてなるものかと奮起はするが、いかんせんザガーロの遺志の圧は強い。
ダリルが死んだと思い込んでからの……まさに後先考えずの大暴れに大暴れを重ねたツケだ。今やセシリーもかなり消耗しており、一気に黒マナを押し返すことができない。
結果、〝外〟では聖なる白き焔が猛っている。
視覚的に外を確認できないままだが、それでもセシリーは気付く。それはあまりにも不自然なマナの高まり。どうしても気付いてしまう。
〝ダリルが無茶を仕出かそうとしている〟
昔からそうだった。ダリルはやると言ったらやる。だって馬鹿だから。
二人の始まりはお互いに覚えがない。記憶が曖昧な頃から、物心がつく前から、セシリーとダリルはずっと一緒だったから。気付けば隣にいた。
ダンスタブル侯爵家に保護され、アリエルという幼馴染みができた時も二人は一緒だった。その後、それぞれがオルコット家、アーサー家の養子となってからも交流は続いていた。関係は変わらなかった。
それらは託宣という茶番のために仕組まれていたという側面もあったが……それでも、セシリーにとってダリルは唯一無二の存在であり、家族の情や血縁を越えた繋がりがあると信じている。
意味がないのだ。
知らぬ間に託宣の神子だのと御大層な役割を背負わされていたりもした。そのお陰でアリエルやダリルとすれ違いもした。そのことで怒りを覚えたりもした。
あいつの真意を聞きたい。会って話がしたい。この分らずやとぶん殴ってやりたい。
だが、結局のところ、それらはすべてダリルがいてこそだ。
「ダリル! 止めろッ! 命を捨てるなッ! お前がいないと意味がないッ!! もう嫌なんだ!! 一人になるのはッ!!」
セシリーは思い知った。
ダリルの気配が黒きマナに呑まれて消えた時(あれは囮)。
その命が尽きた時(尽きてない)。
もう二度と会えないと悟った時(早とちり)。
自身の中にあるナニかが堰を切ったように溢れた。
結果、セシリー・オルコットは白き暴威となって魔族領を蹂躙することになる。
女神の遣いを物の序でとばかりにあっけなくすり潰したり、仇の仲間と思しき連中を見つけ次第に尋問したりもした。
仇を追い詰め、ダリルの最期を聞き出し、虚しいながらも復讐を遂げようとしたその時……何故か死んだはずのダリルの声がした。
そして、黒きマナに取り込まれつつある今へと至る。自分を救うために、ダリルがまさにその命を燃やしている。
捨て身で仕掛けるつもりなのは明々白々。命を捨ててダリルはやる。やり遂げる。馬鹿だから。
しかし、セシリーはソレを認めるわけにはいかない。そんなのは許せない。止めなければならない。
「くッ!! こ、こんな黒マナッ!! わ、私が自力で抜け出せば……ッ!!」
だが、現実的に状況は厳しい。セシリーはかなり消耗している上に、彼女に纏わり付く黒きマナにはザガーロの遺志がありありと刻まれている。もはや怨念や呪いの域でだ。
敵認定のアルへの攻撃などついでに過ぎない。ザガーロの遺志は、他でもない女神の神子たるセシリーを取り込まんとしている。術式の手順を遂行するのが第一優先となっている。
消耗した神子では、中々にザガーロの遺志を振り切れない。それどころか、奮起するセシリーの願いも虚しく、纏わり付く黒きマナがとうとう風の鎧を穿つ。女神の神子に触れる。
「あぐぅぅッッ!?」
一気に全身が焼け爛れ、そのまま全身が急速に凍えていくかのような……そんな不愉快な感触と耐え難き激痛に襲われるセシリー。
生命と光を司る女神エリノーラ由来のマナと死と闇を司る冥府のザカライア由来のマナ。
いかに二柱の神が協力関係にあったとしても、その属性や力は相容れない。
白と黒が神子の肉体を舞台にせめぎ合う。相反する属性同士が、それぞれにお互いを取り込もうしている。
「ぐぅぅッッ!! ま、負けるかァァッ!! わ、私はッ!! ダリルと共に帰るんだッ!!」
神々の実情など知らない。ザガーロやクレアという黒幕気取りの道化のことなどどうでもいい。想い人と共に〝日常〟に帰還する。それだけがセシリーの願い。変わらない想い。
「がぁぁぁッッッ!! ダリルが命を懸けるなら! 私とてだッ!!」
白き風が吠える。縛を解かんと唸りを上げる。
『おウ。その意気ダ。神子にして〝代行者〟たるセシリー殿ヨ。ここで気張らなきャ、ダリル殿の死が確定しちまうゼ』
「ッ!?」
不意に聴こえた。まったく聞き覚えのない声が。
『今も死力を尽くしてるのは知ってるガ……セシリー殿ヨ。あとほんの少しだけ頼むゼ。あとほんの少しデ、この未来を変えられるかも知れねェ』
声に続いて、唐突に脳裏に映し出された。
思わず、黒きマナの浸蝕による激痛など忘れてしまうほどの光景が。
セシリー・オルコットにとっての最悪となる場面。
それは白く白く燃え尽きた灰。抜け殻。仁王立ちのままに虚ろとなってしまった姿だ。
誰の? よくよく見知った者の。
そして、そこそこに見知った顔のアルバート・ファルコナーと、まるで見知らぬオークもそこにはいた。険しい雰囲気でなにやらの話をしている。
一体何の話を? 分からない。そんなのは聞こえない。セシリーにとっては、話の内容などよりもその場所が問題だからだ。
どうして? アルバート・ファルコナーとオークがいるのは、他でもないダリルの亡骸の前だから。
あり得る未来。これから訪れるであろう世界線での出来事。
〝観測者〟の反則だ。
ほんの僅かな過去に戻り、その時間軸で生きる人物の視覚や聴覚に訴える。〝このままじゃこうなるぞ〟という直近の未来を伝えて警告する。警告を受けた人物からすれば、それはまさに超常の存在からの託宣であり、天の啓示、神託などと呼ばれる類のもの。
己の存在や与えられた権限すべてを引き換えにして、上位存在から一度だけ許された奇跡。あり得た可能性を破棄し、新ルート構築の期待を残すという……正真正銘の掟破り。
確かにそれはこの世界の神々をも越える権能なのだが、ダリルやセシリーが持つ直接的な白きマナに比べると、いささか見劣りするささやかさ。何度も繰り返せるならともかく、〝観測者〟が身を挺しての一度きりとなれば……アルが記憶を保持したままなのを含めても、そこまでのチート感はない。
「ああぁァァァッッ!?」
だが、それでも今回については効果覿面。
ダリルが自身を救うために命を使い果たした未来。二度と共に歩むことができない。決定的に可能性を失った世界線。それは彼女にとっては絶望以外の何物でもない。
そんな場面を見せられたセシリーは、ジレドの思惑通りにブチギレた。
底をついていたはずの白きマナが、彼女の激情に呼応する。湧き上がる。吹き荒れる。限界という壁を壊す。
黒きマナの縛りを徐々に押し返していく。
『おウ。それでこそダ。どうにも陳腐でありきたりだガ……ヒトは愛しい者のためにこそ限界を超えるってなもんヨ。ブヒ。無茶をさせて悪いが神子セシリー殿ヨ。ダリル殿と二人で生き延ビ、どうか未来を掴み取ってくレ。あト、ついででいいからアルの旦那も助けてやってくれヤ』
姿を視ることも、声を聴くことも、もう誰にもできはしない。ジレドは反則を使用してこの世界から切り離された。もはや消え逝く残照のようなもの。
感情を揺さぶるためとはいえ、セシリーに想い人の死(厳密にはまだ死んでない)という残酷な場面を見せつけてしまったことへの心苦しさはあったが、それでも、ジレドはこれで未来が変わると確信した。
神子セシリーは、当然のようにダリルの死という未来を否定するだろう。マナを奮わせて自らを救い、想い人の命を繋ぐはずだと。神子の二人は託宣の呪縛を引き千切り、共にこれから先へと歩んでいけると。
改変された世界線。ダリルの生存ルートを確認できないことに一抹の寂しさなり未練なりはあったが、後はアルたちが、この世界の現実を生きる者たちが自らでなんとかするだろうと信じている。
〝しがないオークのジレド〟という残照は、そんな満足を抱いてこの世界から静かに消え失せる。
はずだった。
「ぅぅあぁぁッ!! アルバート・ファルコナーァァッッ!! なぜダリルを殺したァァァッッッ!?」
『ブヒョッ!?』
違う違う、そうじゃないそうじゃない。
……
…………
………………
その日、後世にまで語り継がれる一つの伝説が生まれた。
現場となる魔族領の森から遠く離れた地にあっても、数多くの人々が目撃したのだという。
天を貫く一条の光を。
奇跡を。
黒き不浄なる瘴気を切り裂く、白き清浄なる焔の旋風を。
……
…………
………………
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