第4話 ザガーロの遺志
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「(ふっ。上位存在の手の平で躍らされた故のことか、ただの実力不足だったのか、それとも単に運に見放さされただけなのか……くくく……なかなか思い通りにいかないものだ……しかし、どのような経緯を辿ろうとも、我らの存在をこの世界に刻み付けてやろうぞ……ッ!)」
内心で思いを吐露するのは夢破れた魔王。〝物語〟に悪役の可能性を与えられた者。元・ヒト族の王にして〝古き者〟たるザガーロ・マクブライン。
もはや、どうあっても計画通りに事を進めるのが不可能だと彼は思い知る。悟る。
ならば、この世界に、神々に、〝物語〟に、自らの爪痕を遺して見せる。このまま滅してなるものかと奮い立つ。
身の内に溜め込んだマナや術式を放出するため、彼の器は壊れる。そして、神をこの世界に降ろすための大規模な儀式魔法が発動する。
それ自体は計画通り。しかし、神降ろしが発動する場面には、贄としてダリル、依代としてセシリーを用意しているのが本来の流れ。
今となっては、贄となる神子は不在であり、依代となるはずの神子は白き暴威と化した。
ザガーロは自らを贄とする。その上で目の前の魔王を無理矢理術式に引き込んで依代とする。
今の状況から打てる手はそれだけ。起死回生にもならない。彼の存在自体が完全に滅するのは確定の上、願いに届くかは未知数。
積み重ねてきた計画の最後が、一か八かの賭けに頼るという体たらく。
「(……この筋書きが神によるものか、上位存在によるものかは知らんが……ここまでコケにされるとはな……くく)」
ザガーロにはもう怒りも憤りもない。そんなものはとっくに通り過ぎてしまった。あまりの状況の馬鹿馬鹿しさ、己の無様さに思わず笑いが洩れるほど。
ここに来てザガーロは、奇しくもどこぞのエルフもどきと同じ心境に至る。
黒幕を気取った人外の超越者たちは、結局のところ似た者同士だったのかも知れない。
この世界には定まった筋書きがあるのだと信じた。その筋書きを壊す。何のしがらみもないまっさらなその先を目指す。
この世界に上位存在による縛りがあるのは間違いない。だが、その縛りは彼らが思うような性質のものではなかった。ありもしない上位存在の繰り糸を断ち切ろうと足掻いた愚かな道化たち。
そして、ザガーロは知らない。自らの無様さ、間抜けさには更なる続きがあることを。
神の顕現を果たすべき儀式魔法の術式は、すでにクレア一派の手によって改変されているのに気付いていない。
その上、まさに神の操り人形となったクレアが、アジトに乗り込み暴れ回った。術式を守護する部下たちもすでに瓦解したことをザガーロは知らないまま。
クレアとザガーロ。
思惑に違いはあれど、それぞれが上位存在へと手を伸ばしていた二人。二つの集団。似た者同士。
自身の陣営にクレアの手の者が潜伏しているのは流石にザガーロも察していたが、その先までは見抜けなかった。
似た者同士ではあるが、ほんの薄皮一枚程度、今回はエルフもどきが上を行った模様。
準備に費やした時間はザガーロの方が上回っていたが、想定していた以上にクレアの手の方が上へと伸びていた。精一杯に背伸びしていた分だけ。神への祈りにも似た愛憎は彼女の方が僅かに強かった。
「……それで? ダリルの末期はどんな風だったんだ? 遺した言葉はあったのか?」
どうしようもなく道化を自覚したザガーロに向け、悲痛な面持ちのセシリーが催促する。早く続きを聞かせろと。
「……遺した言葉などは知らぬ。そもそも私と奴との決着は、そんなやり取りができる状況ではなかったからな……」
「そうか。結局、ダリルとは災害級の魔法の撃ち合いによって決着が付いたということか……」
「その通りだ(そろそろ肉体が決定的に崩れる……仕上げだな)」
騙し騙しの話。
ザガーロは、目の前の白き暴虐と化した女神の神子セシリーに語る。彼女が望んでいるだろう逸話を。
それらしい装飾を施しつつの、神子ダリルとのありもしない死闘やその結末についてを語った。
正面から堂々と魔法を撃ち合った。
逃げも隠れもせず、敵ながら見どころのあるやつだった。
こちらの幹部もやられた。
本気を出してようやくだった。
……などなど。
「そうか。ならばお前に聞くことはもうない。私は復讐を遂げる。ダリルの無念を晴らす。お前とて、今さら命乞いをするつもりもないだろう?」
「くくく……改めて貴様が力を振るうまでもなく、あと僅かで私は滅するであろうよ。ふっ。それでも貴様が、直接私に止めを刺したいというなら……気の済むようにするがよい」
ザガーロは静かに目を瞑る。やるならやれと言わんばかりに。
セシリーは気付かない。気付けない。彼女は、ただただ己の感情のままに、白き暴虐の風を振るうのみ。敵の策謀を気に掛ける余裕などなかったというべきか。
「……ダリルの仇……取らせてもらう」
「(さぁやれ。この肉体が弾けた時が……最期の勝負だ……見ているがいい……神よ。上位存在よ! 地上を這う虫けらが貴様らに一矢報いる姿をッ!)」
空っぽのセシリー。もう彼女に激情は残っていない。後はダリルの仇を討つだけ。特に力を振り絞る必要すらない。白きマナを軽く振るうだけで終わる。
「ダリル……お前は何を想っていたんだ……」
そんな呟きが漏れる。目の前で観念した死に体の仇に向け、白きマナを意識したまさにその時。
「セシリーッ!! 止まれッ! そいつは何か仕組んでいるッ! 今すぐに距離を取れッ!!」
白き暴威によって静寂に包まれていたその場に、死んだはずの(死んでない)男の声が響く。
結界に同調して接近したダリルが、ようやくセシリーの下へと辿り着いた。
ただ、そこで彼が見たのは不味い状況。闇を煮詰めたような黒いマナがそこにはあった。今か今かと、開放の時を待っているかのような不吉さが見えた。
〝予感〟が最大限の警鐘を鳴らす。喚く。
「……ダ……リル?」
虚なセシリーは反応が遅れる。その声を、幼き頃より共にあった片割れを認識するまでに……その意味が心に沁み渡るまでに時が掛かってしまう。
間が生じる。
「(ふはは! どちらにせよ終わりだッ!)」
「ッ!?」
神子が手を出して来ないなら自ら動く。そこに迷いなどない。
もはや動けるはずもないという状態から、ザガーロは神子に対して攻撃を仕掛ける。魔法を使う……素振りを見せた。それだけでヒトを殺せるのではないかという、己の運命への怨嗟を込めたかのような殺気を放つ。
気が逸れていたとはいえ、セシリーも即応する。してしまう。白きマナの風が殺気の主へと殺到する。
「よせぇッッ!!」
ダリルの叫びも虚しく、白きマナの風をまともに浴びたザガーロはあっさりと切り刻まれる。その器が壊れる。彼の思惑通りに。
ザガーロにとっての肉体は、まさに器であり檻だ。長年に亘って醸成して濃縮された黒きマナという劇物を留めるための。そして、彼は自身の器と禁忌の術式の発動条件を紐付けていた。
適切な手順は放棄された。必要な贄もいない。制御を行うべき者たちもすでに滅している。その上で、肝心要の術式にはクレアの横槍が刺さったまま。
ザガーロは望んだ。神柱の属性反転による神の捕縛とその力の利用を。
クレアは望んだ。反属性の神二柱を同時に召喚することでの神殺しを。
人外の道化どもの願いが混ざり合った、不完全で混沌とした術式が呼応する。動き出す。完全な発動への助走に入る。
『女神の神子よッ!! 共に逝こうぞッ!!』
「なッ!?」
爆発的に弾ける。切り刻まれたザガーロだったモノから。ヘドロのようなドロドロが。神子セシリーに向かって拡がる。まるで巨人の手のように。
当然に白き風を操り、飛び付いてくるヘドロを……実体化した黒きマナを寄せ付けない。寄せ付けては駄目だとセシリーは直感する。だが、いかんせんその勢いと質量に圧倒される。
白きマナの風を物ともせず、ザガーロの遺志を宿したドロドロ……実体化した黒きマナはセシリーに迫る。逃がさない。
「セシリーッ!! そのマナに触れるなッ!! 飲まれるぞッ!!」
ダリルが聖炎を纏って駆ける。駆ける。詳しい事情は分からぬとも、セシリーに危害が及ぶのを止める。守る。守りたい。彼女とのあまりの力の差を目の当たりにして、腰が引けていた事実は記憶の彼方。身体が自然に動いた。
「くッ!? こ、このッ!」
いかに白きマナの暴威を以てしても、今回はザガーロの遺志に軍配が上がる。迫り来る黒きマナを切り裂くことはできても、これまでのように黒きマナを霧散させることができない。切り裂いても切り裂いても、黒きマナは裂かれた箇所を即座に埋める。
追い付かない。あっという間にセシリーは漆黒の触手に囲われてしまう。外からはその姿が確認できなくなる。ダリルの願いは届かない。
「セシリーィィッッ!!」
「ダ、ダリルッ!! く、来るなッ!! コ、コレは駄目だッ!!」
閉じる。セシリーは白きマナの風を纏い決死の抵抗を続けるも、その身は黒きマナの半球に閉じ込められた。逃げる道を封じられた。
「くそッ!! こんなモノッ!!」
ダリルの聖炎が轟音と共にヘドロを灼くが、その影響は大きくはない。セシリーを飲み込んだ漆黒の半球は微動だにしない。また、長々距離から飛来する〝礫〟が黒きマナに何発も着弾しているが、そちらも無意味。まさに焼け石に水。いや、それどころか、黒きマナは〝敵〟を認識している。反撃さえしてくる始末。
「くッ!?」
ザガーロという個の意識は消えたが、遺された黒きマナには染み付いている。神々への反抗が。計画遂行への執着が。敵への容赦のなさが。
目の前に女神の神子がいるなら手を伸ばす。セシリーだけに留まらず、その遺志はダリルをも飲み込まんとする。
たとえダメージがなくとも、敵意には敵意を返す。攻撃を受ければ反撃する。敵は滅する。
当然、〝礫〟をぶつけて来た者は敵だと認識している。
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「おわッ!?」
黒きマナの〝礫〟が飛んで来る。正確にアルを目掛けて。『狙撃弾』をそのまま返されているようなもの。
逃げ惑うしかできない。今の彼は超越者の領域にいるが、神子ダリルとは違い、濃縮された黒きマナへ対抗手段がない。
〝距離があるから大丈夫だろ〟では済まなくなってしまった。最悪、ダリルの説得が通じるセシリー相手なら……と楽観視してたツケの支払いは早かった。
皮肉にも〝やられたらやり返す〟を、まさにアルが仕掛けられている最中というわけだ。撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけという話。この度のアルには、少々覚悟が足りていなかった。
「(くそッ! 完全に見誤ってた! ここは安全圏なんかじゃなかった! なんでボケっと気を抜いてたんだ!? 僕はッ!!)」
セシリーの白き暴威への警戒に気を取られ、ザガーロが盤上をひっくり返すことを想定していなかった。なんなら、相手の神子も〝代行者〟なんだからと気を抜いてさえいた。
それが間違いだと気付かされた。その命を懸けて。
飛来した〝礫〟は着弾して終わりではなく、そこから再度稼働する。敵に向けて触手を伸ばす。どうやら黒きマナは、一度認識した敵を逃さない。ずいぶんと執念深い性質がある模様。
「(ダリル殿の白マナの時もやりにくかったけどッ!)」
次々に飛来する狙撃を躱しつつ、着弾後に再稼働する黒きマナの触手を『銃弾』で逸らす。逃げる。防戦一方で凌ぐしかできないアル。殴り飛ばすことができれば多少は楽だが、直接触れると不味いのは百も承知の話。生と光という反属性を持つ神子セシリーでさえ閉じ込められたのだ。単なる『身体強化』でどうにかなるはずもない。
また、至近に迫る触手から距離を取ろうが、逃げた先に次々と〝礫〟が着弾する。長距離狙撃と黒きマナの特性が十全に活かされている。回り込んでアルを囲うような動きを見せ始めている。
「(不味いッ! この黒マナ、あきらかに僕の動きを学習してる! 逃げ道を塞ぎに来てるッ!)」
いかにアルが全力で駆けても、敵の狙撃範囲から一瞬で抜け出せるはずもない。その上で徐々に敵の狙撃精度が高まっている。緩急や時間差を利用して狙いを付けてくる始末。
そして、黒きマナを削ることも、動きを止めることもできない。その手段がアルにはない。この黒きマナの天敵ともいえるダリルに助力を乞おうにも、彼は彼でそれどころじゃない。
気付く。
「(あ、もしかしなくても詰んだな、これ……)」
生き延びることを決して諦めはしない。だが、冷静なファルコナーな性分が、自身の現状に対して評価を下す。これは時間の問題だと。
「(くっそぉ……こんな感じで終わるのは癪だな。〝代行者〟だのなんだのと言いながらこれかよ……はぁ。ま、今は足掻けるだけ足掻くしかない。セシリー殿かダリル殿に状況を打破してもらうしかないか)」
やることの大筋は変わらない。アルはひたすらに逃げる。耐える。ただ、ダリルなりセシリーなりに何とかしてもらうための動きを加える。
「(あの黒マナの本体? に閉じ込められはしたけど、セシリー殿の気配はまだ中で健在だ。逃げ回りながらだけど、ダリル殿も徐々に黒マナを削ってる。今の僕にできるのは、黒マナの礫をこっちに飛ばさせて向こうの量を減らすくらいか? うーん……礫を飛ばす程度で本体の総量が減ってるのかも怪しいけど……それくらいしかできないし。こうなりゃ後は我慢比べだな。とりあえず、いざという時のために、少しでもダリル殿たちに近付くか……)」
自身の死が目の前に横たわっていても特に変わりはしない。その思考に淀みはない。一か八かの賭けに打って出たりはしない。まだ早い。それは本当に最後の手段だ。
腕が千切れようが、腹に風穴が開こうが、生きたまま虫に食われようが……最後の最期まで冷静に戦士として行動する。それが平静に狂っていると評されるファルコナーの狂戦士。
アルは冷静に、平静に、そして冷酷に足掻く。
自身の命の使いどころを計算しながら逃げる。前へと。
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