第2話 戦い
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意識だけで語らう存在がある。
一方は、肉体の自由を失いつつも、意識の奥の奥で知られずに自我を保っている神子ダリル。
もう一方は、彼に助力する女神の遣いである妖精のエラルド。
ダリルの意識の奥底でしか存在できない状態のままの一人と一体。
「なぁエラルド。俺はアル殿の本気を知らなかったんだが……《《コレ》》があんたが前に言っていた〝ヒト族の超越者〟ってやつか……?」
『それはそうだけど……明らかにおかしい。彼とは以前にも接したことがあるけど、その際にはここまでの領域に至っていなかったはず……』
クレアの操り人形と化しているダリルの肉体は、今まさにアルと対峙している。敵として。
ただ、既に個としての力は、ダリルとて超越者の領域にある。女神の力とクレアの小細工によるブーストの結果によってではあるが……。
「……これは……ヤバいだろ。レアーナ殿の失態でアル殿を敵に回したというのは聞いていたが……今のアル殿相手では殺るか殺られるかだ……おい! エラルド! 肉体の操作を戻せないのかッ!?」
『無茶を言わないで。そもそも君の自我を保つために使った分、力が戻ってないんだから。……使徒アルバートなら、神子の肉体を壊すのが不味いことくらい理解していると思うけど……?』
「馬鹿野郎! 今のアル殿は洒落じゃ済まない! 完全に殺る気だ! 相手がクレア殿ならいざ知らず、アル殿相手に殺し合いなんて冗談じゃないぞ!? 何とかしろ! 俺の肉体がぶっ壊されて困るのは女神たちだろ!」
ダリルが意識だけで喚いている間にも……その肉体は狂戦士との戦いに臨む。
ファルコナーをも逸脱した、ニンゲンの狂戦士に気圧され……彼は焦って失念していたのだ。
女神たちは確かに神子の肉体も大事だが、ぶっちゃければ、別に壊れても大きくは困らない。肉体という檻がダメになれば、次は神子を精霊として顕現させるだけ。
むしろ、神子の肉体を大事にするのはクレア側の方だ。ダリルが壊されでもしたら計画はご破算となる。精霊として顕現されると、制御できるかは未知数なのだから。
つまり、クレアはそんな大事なダリルの肉体を……何の仕込みもなく単身で動かすはずもない。超越者となった狂戦士を制するだけの〝手〟があるということ。
……
…………
奥底の意識とは裏腹に、その肉体は命じられるままに動く。脅威を排除するために、最適解を選びながら動く人形。
白きマナによって具現化した、白き炎を薄く纏う勇者。周囲に熱を放出しているわけではないが、ソレが虚仮脅しなどではなく、尋常なモノでないことは一目瞭然。
レアーナの防御魔法を意に介さなかった狂戦士ですら、懐に飛び込むことを躊躇するだけのヤバさがある。
「(ダリル殿か。完全に操られている状態だな。コレが彼の決意のなれの果てか……力及ばずだったのか、望んだ結果なのか……まぁ別に哀れだとは思わないさ。彼には死地へ赴く覚悟があった。どちらにせよ邪魔をするなら排除だな)」
距離を置いて対峙する二人。
「……(くそ!? 当たり前にアル殿は止まらないか!)」
セシリーと決別し、クレアの協力者となった以上、その命を投げ出す覚悟は当然にあった。しかし、ダリルは知人と殺し合うことをアルほどに割り切れない。魔境に出自を持つアルが異常なのは当然として、それはダリルの主人公属性故の甘さなのか……。
「……」
「……」
お互い動かない。動けない。
中々に攻め手がないアル。
白きマナをあまり消費したくないダリル。
先に動いたのは魔境の狂戦士。『銃弾』をばら撒くと同時に、一気に踏み込む。あくまで様子見の範疇ではあるが、行けるなら命にまで到達しようとする動き。
一方のダリルは『銃弾』など意に介さない。何発かが着弾するが、どれもが白き炎に阻まれる。
意思の失せた瞳は、アルの動きのみを注視している。超越者の動きを正確に捉えたまま。
「……(よせ! アル殿! 〝俺〟は完全に動きを把握しているッ!)」
「……ふッ!」
フェイントなどなし。愚直に踏み込んで打つのみ……のはずだったが、ダリルは既にカウンターで迎え撃つ体勢。
「……(やめろ!)」
「チッ!」
即座に離脱。拳よりも早く、ダリルの貫手がアルの肩を掠める。しかも、掠める瞬間に纏う白き炎が瞬間的に膨れ上がるという芸の細かさ。
ダリルからすれば省エネ的な戦法だが、間合いが変動するのは、体術では特に脅威だ。
攻防一体の白きマナの炎。
『炎鎧』
本来は火炎系魔法の基礎となる強化的な魔法だが、ダリルが使えば桁が違う。基礎魔法がそのまま奥義だ。
アルは白き炎に軽く触れだけで灼かれた。体術では相性が悪過ぎる相手。
ダリルもクレアもアルも……知る由はないが、この世界独自の〝物語〟では、戦う際の神子の役割は、セシリーが対集団の広範囲担当で、ダリルは個と相対する担当。
単純な火力はセシリーのが上だが、個別の戦闘能力であればダリルが上を行く仕様となっている。
「(くそ……やりにくい。ちょっと触れただけでこれか。まともに当たれば消し炭だな。それに、殺気やマナの変動がないから動き出しが読みにくい。まるで昆虫どもやファルコナーの戦士を相手にしているようだ。こんな懐かしさは今は要らないんだけどな……ふぅ。とにかく、当てるなら意識の外からだな)」
「……(とんでもなく速い。今の攻防、俺が肉体を操作していたら反応できたか怪しいな……くそ! エラルド! 何とかならないのか!? アル殿に殺されるのも、殺すのも、まっぴらごめんだぞ!)」
アルとしては、特にダリルに対しての恨みつらみはない。やられたらやり返すといっても、明らかに意思を奪われている者に目くじらを立てることもない。差し向けた奴にこそ〝やり返す〟だけだ。
そもそもダリルがヴェーラ(とジレド)への手出しに関与しているはずもなく……
クレアの計画を邪魔するために、神子ダリルという駒を壊すという手もあるが……
激情に駆られているとはいえ、平静な狂戦士はそこまで見境なしでもない。明確な意思のない、無関係な者を巻き込む気はなかった。
ただ、向かってくるなら普通に排除する。迎え撃つ。
「……(……くッ!?)」
不意の衝撃で、ダリルの体がズレる。
認識の外からの『銃弾』。貫通力ではなく、当たった際の衝撃を優先した変則仕様。『銃弾(衝)』とでも言おうか。
アルは自身の近辺だけではなく、周囲に待機状態で『銃弾』を設置している。そういう芸当が可能となっていた。超越者としてのマナ制御のコツを会得し、マナ消費が劇的に減少した結果だ。
既にこの場はアルの戦場。亡者やレアーナとの戦闘の際に、あちこちに仕込んでいた。
「……(周囲に何か仕込んでいたのか……? 流石に認識外からだと、〝俺〟は衝撃までは防げないみたいだな……)」
アルの一手はダリルを若干グラつかせただけ。ダメージらしいダメージはない。
だが、もはやアルの勝ち。ダリルは死の影に抱かれている。局面としては詰んでいる。
「……(ッ!? な、なんだ……この悪寒はッ!? これは……〝予感〟か!? 本当にマズいぞエラルド! このままだとアル殿に殺られるッ!!)」
『使徒アルバート。エリノーラ様の導きを生き抜き、邪道なしで超越者に至ったのか……』
焦るダリルをエラルドは気にしない。
ダリルに宿る女神の遣いである妖精は、彼の〝凶兆の予感〟よりも先を見通している。いわば本家本物の〝予感〟だ。
アルの選択した戦術は単純明快。仕込みのあるこの場に足を踏み入れた時点で、ダリルが白きマナを温存しながら勝つ見込みはなかった。
「(ダリル殿……悪いけどこれで終わりだ)」
それは『銃弾(衝)』の嵐。戦いは数。単純にして正統派な戦い。敵を圧倒する手数で押すだけ。
認識の外、死角から……というどころではない。
全方位。
着弾、着弾、着弾……衝撃で床が壊れる。瓦礫が跳ねる。飛翔する『銃弾(衝)』は止まらない。床材の破片や土埃で瞬時に視界が悪くなる。
「……(んなッ!? がッ!? ……ぐッ! く、くそ! 何やってんだ〝俺〟! 今さらマナをケチってる場合かッ!?)」
ダリル自身からすれば、一発一発はそう重くはない。バシリという衝撃と共に少しグラつくだけ。ただ、それが何発も続けば? 何十発も続けば? 何百発という数で続けば? 千を超える数なら?
省エネ戦法を命じられているダリルは亀のように丸まり、白きマナの出力を若干高めるだけの防戦一方。その場に縫い付けられる。嵐が過ぎるのをただ待つだけ。
本来のダリルであれば、マナを周囲に強く放出……『炎鎧』を極大にすることで押し返し、瞬間的な空白を作る。その空白の中で一気にアルへと踏み込むなり、魔法を速射するなりで勝機を狙うのだが……
「……(くッ! 駄目だ! 今のアル殿相手に動きを止めるなんて自殺行為だ! 何でそれが分からないんだ〝俺〟はッ!? 遮蔽物を利用して、認識の外から仕掛けてくるぞッ!!)」
ダリルには次の一手が読めている。ただ、どうしようもなく肉体が反応していないだけ。
そして、『銃弾(衝)』と瓦礫が乱舞する嵐の中……意識の予想通り、魔境の狂戦士がヒタヒタと静かに間合いを詰めていく。
肉体は未だに動かない。別の手を打たない。ひたすらな防御のみ。
如何に白きマナの『炎鎧』が強力無比であっても、連撃を受け続けることで僅かに揺らぐ。ほんの僅かな隙間が、それこそ刹那の間だけ見え隠れする。
針の穴を通すような精密さと、驚異的な速度があれば……今のアルであれば……そこを突くことができる。
「(せめて末期の言葉だけでも……と思ったけど、手加減は無理だな)」
王都を経ってからは、女神たちではなく〝物語〟からの緩い干渉を受けていたアル。
今も『神子ダリルを助けろ』という類の疼きがあるのは確かだが……無視。
動く。
『炎鎧』の揺らぎに機を合わせて踏み込む。
そのまま白きマナの守りを貫かんとする。
次の刹那。
吹き飛んだのはアル。
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……
…………
………………
変わって最前線。そこは大峡谷と魔族領との境界付近。
妖刀『殿』を抜いた老兵を中心に、滅びし一族の戦士たちが立っている。
いや、戦士《《だった》》者たちか。
手足が千切れても立ち上がる。首がもげても動く。ぎこちなく緩やかな肉体の再生まである。屍兵。
それは異様な光景。もしかすると、死と闇の眷属であるロレンゾやミルヤたちは見慣れた光景なのかも知れないが……少なくともヒト族の領域では普通のことではない。
命が零れ落ちても、戦士たちの肉体は止まらない。動き続ける。それは禁忌の外法に他ならない。
「……強い……このジジイ……ここまでやるとは……」
『ロ、ロレンゾ……このままでは神子に追いつけなくなります。貴方は行って下さい……』
ロレンゾの一団を寄せ付けない。猛攻を受けても返す。神子セシリーたちの後を追わせないようにと抑える。
既にこの場でまともに〝生きている〟のはヴィンスとロレンゾのみ。
双方の陣営の他の者たちは、生物としては〝死んでいる〟。
ヴィンス一族の戦士も、ロレンゾ率いる一団も。
総帥の不可侵の禁術と黒きマナによって、ロレンゾたちは死と闇の眷属として蘇りはしたのだが……それはヴィンス一族の戦士も同じ。その上で、ヴィンス一族の屍兵たちの方が出力は上だった。
ロレンゾ率いる一団は、亡者としての蘇った肉体を悉く壊されるという有様。今や死霊がそこら中に溢れている。
辛うじてダークエルフのミルヤだけが、肉体有りの亡者として現世に留まっているだけ。
「ほほほ。神子殿を追いたいなら追うが良い。もう止めはせんよ。ただ、その背にこの『殿』を突き立てるがのぅ」
「く……ッ! この外法使いが……同族の戦士をこのように扱うとはなッ!!」
ロレンゾが吠えるが……死と闇の眷属であり、黒きマナの禁術を身に宿すお前が言うな。正しく〝おまいう〟だ。
ヴィンスの魔法……『殿』とは、ある意味では名の通り。
仲間を逃すために、殿となって残る者たちへの強化魔法。いや、その性質をより正確に表すなら……命を棄てた死兵化であり、狂化にして凶化。最終的には命尽きても戦い続ける屍兵化。
外法の業には違いはない。ただ、当時のヴィンス一族からすれば『だからどうした?』というだけのこと。一族を生き延びさせるためには、外法に手を染めることに躊躇いなどない。
当然に対価を必要とする。変則的な儀式魔法。
「(……ほほ。すまんな、真の戦士たちよ。もうしばらく付き合ってもらう。わしの命は……まだ尽きんようじゃからな……)」
対価は強化対象者全員の命。当然に術者もだ。そして、最期は術者が屍兵となって戦う。
ただ、強力で狂悪な効果がある反面、もちろん欠点もある。ロレンゾたちは気圧されて気付いていないが……効果範囲が限定されている。その範囲外へ出てしまえば……戦場を離れてしまえば、当たり前に『殿』の効果は切れる。
戦力に余裕がある内に、ロレンゾがとっととセシリー一行を追っていれば、実はヴィンスたちはそれを見送るしかなかったのだが……気付かせないよう、敵を範囲内に抑えつつ戦うのは、まさに老練な戦士の巧みな技ともいえる。
『ロレンゾ。私が術者を……あの翁を抑えます。だから行って下さい。この戦場は……どうあってもこちらの敗けです』
ダークエルフの亡者……ミルヤが、己の武器である弓と矢を捨てながら前に出る。
分かり易く捨て身の攻勢へと舵を切った。
侮ることはできない。流石にヴィンスも切り替える。敵全員をこの場に留めることから、確実に向かってくる敵を斃す方向へ。
「ほほ。先にお主が『殿』の露と消えるか? 他の者と同じく、死霊となって大峡谷を彷徨うがよいわ」
ここがヴィンスの死に場所。この戦いが戦士としての最期の戦い。
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