この世界でメイドの膝枕よりも素晴らしい場所があるなら教えてもらいたい
膝枕に憧れているので衝動的に書きました。
わたしの膝のうえでアルト様が眠っている。
可愛い寝顔は初めて会った頃とまったく変わりはない。わたしにとっては天使そのものだ。
アルト様は小さな頃から疲れると眠くなる。そのたびにわたしは膝をアルト様に差し出してきた。わたしの膝枕で眠るのをアルト様はことのほか気に入っていて、わたしもアルト様にそうしていただけることを無常の喜びに感じている。
わたしの名前はレイティア。
このマクスウェル辺境伯家に仕えるメイドだ。
それもアルト様専属のメイド。アルト様の身の回りの世話をするのがわたしの仕事だ。仕事と言っても、わたしにとっては褒美のようなものでしかない。アルト様の喜ぶ顔を見るのがわたしのとっては一番嬉しいことなのだから。
昔のことを思い出せば今の環境は夢のようだ。
たまに本当は夢なんじゃないかと思って不安になる時がある。
そんな時にアルト様の顔を見ると自然に涙が溢れてくる。自分で言うのも何だが、かなり重い女であることは自覚している。
わたしは戦災孤児だった。
蛮族に襲われ全滅した村のたったひとりの生き残りだ。
突然、村を襲ってきた蛮族の兵士たち。
村人たちは抵抗する間もなく、次々に殺された。
母は怯える私を無理やり納屋に押し込んだ。その後は、納屋の中で震えて泣いていたことしか覚えていない。最後に聞こえたのは母の悲鳴だったと思う。
気を失ったわたしが目を覚ますと、あたりは静寂に包まれていた。恐る恐る外に出た時には全てが終わっていた。
村の中に動いている者はいなかった。おびただしい骸の中に母を見つけた。
ようやく見つけた母にすがり、8才だった私はただ泣くことしかできなかった。
そんな私をマクスウェル辺境伯の騎士たちが見つけてくれた。
マクスウェル辺境伯である旦那様は一緒に村人や母を埋葬してくださり、「助けに来るのが遅かった。すまない」と平民の子供であるわたしに頭を下げてくださった。
孤児になった私を旦那様は家に連れて帰った。
風呂に入れて、食事をさせてくれ、孤児となった私を聖教会の孤児院に入れようとしてくださった。平民であるわたしにとっては十分な施しだ。わたしは旦那様にただ感謝した。
しかし結局、私が孤児院に送られることはなかった。
わたしが泣きながら食事をしている時、まだ3才だったアルト様がずっとわたしの頭を撫でてくれていた。まるで自分の妹にするように、最後のスープを飲み干すまで、ずっとわたしの頭からその手を離さなかった。
わたしは今でもその時のアルト様の手の感触が忘れられない。
思えばその時だろう。わたしがアルト様に心を奪われ、わたしの生涯をアルト様に尽くすと決めたのは。
孤児院に送られる日、朝からアルト様はずっとわたしの手を握っていた。
わたしもアルト様の手を絶対に離すまいと強く握りしめていた。
その手を離したら、わたしは二度とアルト様に会えなくなる気がしていた。いま思えばアルト様には申し訳ないくらい、強く、本当に強く握りしめていた。
わたしの手から引き離そうとする旦那様に向かってアルト様は訴えた。
彼女と離れるくらいなら僕も孤児院に行くと。
最後にはわたしの身体に抱きついてきたので、わたしもアルト様を抱きしめた。
まだ小さかったアルト様だったが、まるでわたしを守ろうとする騎士のようだった。
最後には旦那様と奥様が根負けして、私をアルト様の遊び相手として一緒に育てることにした。旦那様と奥様には感謝しかない。
一緒に住むことができると分かった時、アルト様はわたしにこう言った。
「レイティアは僕が守る」
それがとどめだった。
その日から、アルト様はこの世でわたしが忠誠を誓う、ただひとりの主になったのだ。
アルト様に婚約の話がきたのは16才の時。
わたしがアルト様の専属メイドになって数年が過ぎていた。
お相手は王都でも有力な侯爵家のご令嬢。辺境伯であるマクスウェル家にとっては繋がりを持つに相応しい家柄と言えるだろう。ご令嬢も素晴らしい方だった。
メイドのわたしにとっても嬉しい出来事のはずだ。戦災孤児だったわたしにとってはアルト様の世話をできるだけでも身に余る光栄なのだ。それ以上何を望むというのか。
わたしは旦那様とアルト様にお喜びの声を申し上げて、そして、自室のベッドで、静かに泣いた。
「まったく何を考えているんだ!!」
聞こえてきたのは旦那様の怒鳴り声。
メイドたちから聞いた話によると、アルト様は婚約をお断りしたらしい。それも、旦那様には無断で。
王都の侯爵家と繋がりがもてると期待していた旦那様の怒りは相当のものだった。もちろん、旦那様は家のことばかり考えるような利己的な人物ではない。アルト様の将来をよく考えて、吟味したうえで侯爵家の令嬢との婚約を決めたのだ。
「当主は弟のダイナスが相応しいかと思います。侯爵家との婚約も弟に……」
アルト様はそう言って旦那様に頭を下げた。
結局、侯爵家との婚約は弟のダイナス様が受けることになり、必然的にマクスウェル家の次期当主も弟のダイナス様になることが決まった。
アルト様はマクスウェル家を出て地方の小さな領地を貰い受けることが決まった。もちろん優しいアルト様が弟の邪魔にならないようにと自分で言い出したことだ。弟思いのアルト様らしい配慮だと言える。
アルト様の専属メイドであるわたしも、当然アルト様についてマクスウェル家を出ることが決まった。
新しい領地についた日の驚きは今も忘れられない。
小さな領地なのは覚悟していたが、アルト様の住む屋敷はとても貴族の住むものだとは思えなかったからだ。
「こ、こんな小さな家でアルト様が……」
平民の村人が住むような小さな小さな家。
わたしが幼い頃に過ごしていた家と変わりがない。
だというのに、アルト様は嫌な顔をするどころか、ここで暮らすことが楽しいと言わんばかりの笑顔で言う。
「十分じゃないか。レイティアとふたりで住むには」
「はい?」
まだよく理解できないわたしを見て、アルト様はにっこりと笑いながら近づいてきてこう言った。
「昔からこうするのが夢だったんだよ」
気がつけば、わたしはアルト様にお姫様抱っこをされていた。
あまりの驚きに口を閉じるのを忘れたわたしにアルト様は言う。
「もう忘れた? レイティアは僕が守るんだ」
そう言ってアルト様はわたしに口づけしてくれた。口づけの時に口が開いたままのお姫様なんて聞いたことがない。
「さあ、僕たちの家に入ろう。まだ何も揃ってはいないけれど、これから二人で力を合わせて揃えていけばいいよね。あ、この家の扉をくぐった瞬間から、レイティアはもうメイドじゃない。僕の大切なお嫁さんだ。だからもう様づけは無しだよ」
そう言ってアルト様はもういちど唇を重ねてくれた。
さっきまであれほどみすぼらしく見えていた小さな家が、素晴らしい屋敷に変わって見えた。
わたしの膝のうえでアルト様が眠っている。
可愛い寝顔は初めて会った頃とまったく変わりはない。わたしにとっては今でも天使そのものだ。
数えきれないほどしてきたキスだけど、今でもこうやって眠っているアルト様にキスする時は胸が高鳴る。静かに、起こさないように、そっと唇を重ねてみた。
気が付けば、アルト様の瞼がひらいている。
「起きてらしたのですね」
「うん、キスしてほしかったからね」
「言っていただければ、いつでもして差し上げますのに」
「じゃあ、もう一度」
「わがままな皇帝陛下ですこと」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
小さな領地を統治していただけの若者は、その類まれな剣の才能と卓越した軍略で一代にして大陸のほとんどを制覇するに至った。王妃のご母堂を殺めたとされる北の蛮族は討ち滅ぼされ、王妃の望みであった平民の子供への教育改革も順調に進んでいる。
しかし今や並ぶものはないとされ、望む物は全て手に入れた覇王にとって、今も昔も愛するレイティアの膝の上がもっとも心休まる場所であることは言うまでもない。
最後までお読みいただきありがとうございました。