爺、転生。
「勿体ない、とは?」
「文字通りです。こんなに素晴らしい飲み物を作れる人をそのままリスタートなんて勿体ないにも程があります!きっと珈琲が必要な人は沢山います!」
先程までの事務的な態度は消えて、イザナミさんは熱弁した。ぐっと握りしめた拳がその熱意の証明と思われる。
「……ちょっとだけ、ちょっとだけですし見逃してもらえます……。」
「イザナミさん人一人の生命がかかってるので規則違反は困ります。」
「大丈夫です、ノーカンです。ちゃんと書類出しますので。」
この空間は割と都合よく出来ているようだと分析する。イザナミさんが軽く手を振るだけで何かの紙と羽ペンのようなものが姿を現した。
「よし、」
さらさらと紙の上をペンが走っていくのを為すすべなく眺める私。書き終えた紙を見て満足げに微笑んだ彼女は固体名がないほどに無個性だとは到底思えなかった。躊躇いなくそれを天へと放ると、空気に溶けるように消えていった。
「何を書いたんですか。」
予測1、来世は人間になって、無意識のうちに完璧な珈琲生成技術を獲得している。
予測2、珈琲関連の神様として黄泉の世界に就職する。
考えうる限りの予測ではあるがどの道悪いようにはなるまいな、と思う。生前の技術をかわれて死後も尽くせるとあればこれ以上はないというものだ。
「はい!貴方の転生手続きを少々。様々な理由で世界に危機が迫っているところもございます。」
「転生、」
生まれ変わり。予測1が当たったという事だろうか。私の生前ではやれ兵器だのやれ地球温暖化だのやれ天災だので世界……というより国には災いが降りかかりがちだったことが思い起こされる。
「ですので、世界の厄介ごとを解決する……、という名目でその世界に転生させることによって貴方の今のすべてを損ねる事無くまた世界で珈琲を謳歌でき―――ごほん、生を謳歌していただけるという訳です。」
「厄介事の解決という借金を背負わなければ次の人生にいけないほどの業を積んだという事でしょうか。」
「建前にございます。世界規模の厄介事の解決など人間一人を別世界にお連れしただけで解決できるわけないのです。貴方にはゆっくりご自愛頂きつつ、週2か週3、よろしければ週7で私に珈琲を捧げてくだされば結構です。」
「……ふむ。」
ようは神様が珈琲を飲んだことのなかった超弩級の珈琲等で、珈琲を捧げてくれる人間が目の前にいるので目を付けておこう、と。こういうの古事記で読んだことがあります。しかし、まあ。
誰かに珈琲を飲みたいと言われて断れるほど私も心が干からびたわけもなく。
「分かりました、良いでしょう。常連客が一人保証されたようなものと思う事にします。」
「ありがとうございます!では行きます!」
「行きます、とは何処へ?」
「新しい世界へ。ナカオさん、美味しい珈琲を宜しくお願いします!」
目の前が、倒れた時と同じように単色に染まっていく。
身体が一度崩れて、人魂の形に戻る。そして重力がなくなったようにふわふわと浮き上がる。
最期に視界に入ったのは、空になった珈琲カップとにっこりとほほ笑んだイザナミさんの笑顔の二つだった。