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~爺とバリスタとバイトたち~





「おじいちゃん!?」


人の一生とは長いようでいて、一瞬であるものだと他人事のように思う。私は30歳で喫茶店を開店し、以来40年この街で喫茶「まどるちぇ」を営業してきました。しかし、その悪運もここで尽きたようなのです。

1人で営業していたのがだんだんと手が回らなくなり、アルバイトの子を雇うようになりました。その子の声が遠く聞こえます。しかし脳卒中だか脳梗塞だか――医学にはとんと疎いので、この視界が暗くなって倒れる現象をなんという病名であるか思い出せんが――で倒れることと相成りました。


「きゅ、救急車を呼ばないと……、」


慌てて電話へ走るアルバイトの彼の背中がだんだんと見えなくなっていく。かしゃん、とガラスが割れるような音が響き、もうほとんどが暗がりに包まれた視界に割れて転がる珈琲サーバーが入り込む。彼が慌てて落としてしまったようだ。


「(ああ、折角の珈琲が勿体ない……)」


床に落ちた珈琲が床を黒く染める。

それと同時に、意識も深く黒く変わっていく。




「カフェイン!」


周りを知覚する前に出てきた一言はそれにつきた。

珈琲を愛飲しつづけて早50年強、カフェインの摂取は精神の安定、ひいては肉体の安定において私の必要事項となるまでの割合を占めている。喫茶店で倒れてから何時間たったかは把握してはいないが、少なくとも3時間は経っていると見た。圧倒的カフェイン不足。しかし体の感覚が普段とは異なっていることに気が付いた。


まず、起き上がれない。

次に、手を伸ばせない。

というかよく見たら、ここ病室には見えない。


「元気なご老人ですね……。」


事態の把握に努めようと辺りを見回した(起き上がれないので目を動かして確認する)私に、いつのまにか目の前にいたやけに仰々しい女性はため息をついた。

白いワンピースのような服を着た女性の髪色はおよそ日本人固有のものでなく、長さも現代日本ではお目にかかることのない足まで届くかという長髪。これは昨今若者の間で流行の兆しを見せる「こすちゅーむ」なるものの可能性が高いと分析する。


「意識がハッキリあるのか、それともそうでないのか分かりかねます。」

「ありますが?」

「あるんですね。」


再び、ため息。

確かに冷静になってみれば、急に倒れて救急搬送された患者の目覚めの第一声が珈琲から分離される精神刺激薬の一種であれば正気を疑うのは無理もない。


「とにもかくにも、貴方はお亡くなりになったわけですが、何か後悔していることはありますか?」

「あっ死んだんだ私。」


お亡くなりになった、その一言で頭がすっと冷えていく。冷えた頭でよく確認してみると、私の姿は生前の人間の形から大きく外れた、言うなれば人魂スタイルとなっていることが理解できた。

人魂は起き上がれないし手もありませんし、なるほどこの状態全てに合点がいくというもの。


「はい。ばっちり。享年72歳、心筋梗塞です。お気の毒です。」

「これはこれはご丁寧に……。」


礼などできる体ではないが、心もち体を傾けておく。


「それでですね、来世ということなんですけど、その前に生前の無念があると事故が頻発しますので、前もって憂いを払っておく決まりでして、」

「珈琲が飲みたい。」

「はい珈琲ですね、それで来世――、はい?」

「生前の無念は珈琲を当日飲めていなかったこと以外浮かばん。貴方に珈琲を淹れろとは言わんので、珈琲製造機(バリスタ)をくれ。あとついでに豆も。」

「は、はぁ……、まぁ、それで無念が晴れるのでしたら……。」


女性が手を軽く振ると、珈琲製造機(バリスタ)と珈琲豆が現れた。

いくつかの珈琲カップまでもが用意されていて、至れり尽くせりである。

私の体もいつの間にか人の形に。以前のように珈琲を入れる事が出来る幸せを噛みしめよう。


「それで、貴方の名前はなんと言いましたかな。」

「イザナミとお呼びいただければ。私は所謂「神」という類なので、固体名は存在しません。ですので、役職名ですが。」

「イザナミさん、とな。うむ、やはり珈琲は美味い。」


イザナミというと日本神話の女神が思い浮かぶ。黄泉の神がわざわざ死後の迎えに来てくれるとは、前世で積んだ徳は中々の物だったと自分の人生をカフェインと共に振り返る。


「……。」


気が付けば、イザナミさんは珈琲を興味深そうに眺めていた。


「黄泉には、珈琲はありませんかな。」

「黄泉は基本、和製ですから。概念は知っていますけど、実際に飲んだことはありません。」

「どうです一口。」


珈琲をカップに注ぐ。半分ほどついで、イザナミさんに差し出す。カフェインを知らず、粛々と仕事を続けるなどとは考えられない。体のいい拷問だ。


「それでは、いただきます。」


カップを受け取り、意を決したようにカップを口に当てる。

口から吐く息で湯気が形を変えていった。


「……あら、これ……!」


美味しい、そうイザナミさんは言った。なによりも代えがたい対価だ。あるいは自分はカフェインでなく、この言葉を貰う事を目的としたのかもしれない。

妻もおらず珈琲に捧げた人生に、もはや一片の後悔なし。


「満足です。老いぼれにお付き合いいただきありがとう。来世は何に変わるか知れぬ身ですが、それでも後悔はございません。」

「……。」

「イザナミさん?」


黙ってしまったイザナミさんをうかがう。もしや苦かっただろうか。後から来るタイプだったのかもしれない。


「いえ、いえ!これは、勿体ないです!」


顔を上げた彼女の顔は決意に満ちていた

こういう顔には覚えがある。

テスト前日夜、覚悟を決めたバイトの彼。そして、学校からの帰り意を決して店に入ってきた高校生たち。

”ちょっとしたルール違反”を楽しむ目だ。


「提案があります。次の世界でも、珈琲を淹れませんか?」

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