7-7
テューネのくじら討伐への歩みは、ただ一点をのぞいて非常に着実に進んでいた。
まずは『くじらを倒したあとの生活』について。
革、脂、肉――これらを同時に、無限にくださるくじら様の代わりなどあるはずがない。
だから起こる問題は解決できないものとして、二種類の解決策を用意していた。
一つは、『今のうちにくじらから剥げるだけ剥いでおく』。
もう一つは――畜産の開始だ。
食べない、死なない、殺せないと三拍子そろったくじらから、『食べたらなくなる』『病気などで死ぬこともある』『肉と皮にバラせば死ぬ』、普通の動物へと街の主要資源を切り替える活動である。
二年ほどつまずいたらしいが、今ではどうにか数も増え、育て方もわかってきたらしい。
その牛に似た生き物(俺の知る牛よりやや大柄で、雌雄ともに角がない)が今後、この街の食糧事情を支えていくことだろう――脂のほうは、ちょっと他に考えないといけないらしいが。
そして戦乙女内での勢力増強。
くじら討伐の発案者たるテューネはまず、根回しをおこなった。
そうして自分以外に六人いる戦乙女のうち、二人を仲間にした。
さらに戦乙女が一人欠けたタイミングでおとずれた姉さんと話し、その思想が自分とわかりあえるものだとわかったので(ようするにチョロそうだったので)、姉さんを戦乙女にした。
七人いる戦乙女はすべて同等の発言権を持つようなので、もちろんよそ者をいきなり受け入れることには反発も起こる。
イケニエであるが治安維持&行政組織でもあるのだから当然だろう。
どこから来たかもわからない犯罪者がいきなり政治家になるという話で、戦乙女内からも、そして民衆からも反発が出ない理由がない。
テューネ、これをゴリ押し。
まずは根回しをしてある協力者二人とテューネで、賛成者は三人。
次の戦乙女になる予定だった人を説得し、戦乙女の欠員を維持。
さらにくじらがイケニエを求めた時、真っ先にイケニエとして差し出されるという条件で、反対勢力のうち一人を『受け入れ賛成派』にし――
姉さんの戦乙女入りを決定させたようだった。
テューネのきまじめで裏がなさそうで融通がきかなさそうな見た目からは想像もつかない政治的手腕である。
というかなにを約束してるんだ、姉さんは。
「だいじょうぶだ。姉さんはきちんと考えてテューネの味方をしてる」
そうは言うが姉さん、だまされそうなキャラしてるんだよな。
俺はわりとしつこく確認した。
だいじょうぶ? 本当にだいじょうぶ? 『順当にいけばけっこう近々殺される』ってこと理解してる? 命懸けるほどのモチベーションは本当にある?
姉さんはしばらく黙って考え込んでから、うなずき、理由を語る。
「この街は『平等』じゃない。姉さんは、それが許せないんだ」
『平等』。
それは、人種差別政策の布かれた港町で、反政府組織が掲げていた信念だった。
シロが提唱したその概念は、シロの口から否定された――そんなものはないのだと。それはみなを活動的にさせるための、ただの嘘だったのだと。
けれど、シロが嘘だと語ったそれを、かなえたいと思った者もいた。
それがあの港町に残った者であり――そして、姉さんだったのだろう。
「支配者を倒したいと姉さんは思う。それは恨みとか憎しみとかじゃなくって……なんだろう? 姉さんはな、たぶん、弟の願いを叶えたいだけなんだ。それが姉さんの願いとも重なっているなら、姉さんは支配者を――くじらを倒したい」
憎しみではなく、恨みでもなく。
それはきっと夢なのだろう。
新しい世界の実現を夢見ているだけ――なのだろう。
テューネの言っていたことが、ようやく少しだけわかった気がする。
憎しみでもなく恨みでもなく、ただ、気づいてほしいと彼女は言っていた。
『今、この世界』が間違っていて、そのことを確信しているのに、周囲のみんなはこの世界が正しいと思いこんでいる――それが、我慢できない。そういうこと、なのだろう。
俺にはなかった視点だ。
だって俺は『否定』しない。
今この世界がなんであろうと、『まあそういうのもアリだろう』と思う。
俺の方針とカチ合えば力でどうにかするとは思っているし、実際にそうしてきたような気もするが、それは『相手が間違っている』と思ったからではない。
俺は正しいものを正しいと認めつつ否定してきた。
テューネや姉さんは、『間違っている』という感情にしたがって、否定をする。
どちらが人として健全かといえば、きっと姉さんたちなのだろう。
たとえ健全と言えないとしたって――それはきっと、強い動機を起こすものでは、あるのだろう。
だから――くじら討伐のために、テューネたちが達成できないただ一点……
『くじらという強者を、どうやって倒すのか?』
その答えが出ないままでも、彼女たちは走り出さずにはいられなかったんだろう、と思う。
整理ができた。
彼女らが出せなかった問題の答えは、俺たちだ。
くじら討伐のために欠けていた『戦力』を、俺たちが埋められる。
サロモンに『否』はないだろう。
あいつが強者との闘いを拒むはずがない。
イーリィもなんだかんだ言いながら、俺に合わせてくれるだろう。
ダヴィッドは大賛成のはずだ。あいつはこういう状況を我慢ならないと思っている。
ウーばあさんはいやがるだろうが、どこか遠くで見ててくれればいい。
カグヤは――俺の意思を拒否しないだろう。
それがいいこととは思えない。あいつにはあいつの信念があってほしいけれど、それを望むには、まだ幼すぎると思う。
シロは言う。
「あれほどの大物を殺すのは初めての経験ですね。黒一色だ。弱点らしい弱点は見えない――いやあ、無力感にうちひしがれますねぇ。アレも僕に非才を思い知らせてくれるのでしょうか? わくわくしますよ」
黒一色、というのはくじらの体表の話ではないだろう。
チートスキルによる『視界』にまつわる話だ――以前なにかで、『弱点部位は赤く見える』と聞いた気がする。
つまりシロのチートスキルでさえ、アレの弱点は見当たらないという意味だと思う。
弱点は見えず、ステータスも見えない。
いつもさりげにとっている安全のためのマージンはとりようがない。
そんな存在との戦いに人を巻き込むというのに、俺はワクワクしていた。
――あとから思えば、きっと、鈍っていたんだと思う。
俺は普通なら死ぬようなケガを負いすぎた。
痛みに鈍感になりすぎた。
自分たちの姿をどこか第三者視点で見ているような気持ちになっていて――
自分たちがまぎれもなく当事者なのだという実感を、忘れていたのだ。




