7-6
くじらは時おり、大きく身をゆるがすそうだ。
その身じろぎが街全体を揺らすと、空腹のサインなのだという。
そうしてあのドーム状の――半身が土の下に埋まった球体のてっぺんから、潮を噴き出すと、もうそれは今にも目覚めるというサインらしい。
その時に、戦乙女をささげなければならない。
イケニエとしてふさわしい資格を持つのは、たゆまぬ鍛錬を積んだ清らかな乙女だという。
なのでくじらがイケニエを求めるたび、戦乙女となった者の中から、もちまわりで年長者がイケニエとしてくじらに捧げられるのだとか。
……話を聞いた感じ、『清らかな』のあたりは神話的に尾ひれをつけただけで、イケニエの資格として問われるのは『性別』と『レベル』、あるいは『レベル』のみのように感じる。
すなわち、あのくじらは、レベルを食っているのではないか? と俺は感じた。
……これはひょっとしたら大発見かもしれない。
もしかすると――
モンスターもレベリングをしている。
執拗に人ばかり襲うのも、連中がレベルを上げるためには、人を襲って経験値を稼ぐしかないからなのではないか?
俺たちが、野生動物から経験値を得られないように――
モンスターも、人からしか、経験値を得られないから、人を襲うのではないか?
なぜ経験値を求める?
『強くなりたい』という本能がそうさせる?
あるいは――『経験値稼ぎをしたい』という、何者かの意思がある?
そして、実際にレベルアップをするのか?
……可能性が見えて謎が増えた。
この謎の検証をするには、一匹のモンスターにタグかなんかをつけて、人を襲っていくうちに実際にステータスアップしているかどうかを、長い年月をかけて調査する必要がある。
さすがに非人道的すぎてやりたいとは思えない。
人を襲う経過を観察するという行為は、俺的にも『ナシ』だ。
そもそも、そんな経過観察による検証は、不要・必要で言えば、不要なことだ。
『モンスターはどうやら人を襲って強くなるらしい』――その可能性がわかっただけで充分だ。『強くなる前に倒そう』という殺意が、それだけで充分にわく。
……さて。くじらだが――
「この街でいったい何人がイケニエにされたかはわからねーが、イケニエに捧げたぶんだけ、あのくじらは強くなっている可能性がある」
「……強く?」テューネは首をかしげた。「もともと、軍勢を轢きつぶすような存在が、さらに強くなっているのでありますか?」
「その当時のステータスを知らねーから、比較はできねーな。だが、今のステータスなら見える……はず、なんだけどな」
あの生き物のそばに寄った時には、ステータスが見えなかった。
だから野生動物だと思っていた。
おそらく俺のステータス閲覧機能は、『対象の体幹』を基準に、そこからなんメートル以内なら閲覧可能、みたいな仕様なのだろう。
巨大建造物級のサイズを持つモンスターだと、たとえ表皮に触れるほどそばに寄ろうが、体幹までの距離が長すぎて、ステータスが見えないのだ。
そうなるとどうにも球体らしいくじらのステータスは閲覧できそうもない。
「……そうだ、そうだな。軍勢を轢きつぶすほど強い。そして、街の生活にかかせない存在で、おまけに、イケニエは『鍛錬を積んでいれば』一人でいい。つまり街の連中にとって最高なのは『現状維持』だ。あんたはそんな中で恵みをくださるくじらを倒そうと思っている」
「……そう、であります」
「問題点は大きなものが三つある。一つ、『街のみんなは納得するのか』。二つ、『倒したあとの生活はどうするのか』。そして三つ――『単純に、勝てそうなのか』」
「……その通りであります」
「その一とその二はセットだ。くじらを倒したあとの生活の保障ができれば、おそらく街の連中を納得させることは可能だろう。……まあ、畏敬の対象ってのはメリットデメリットだけでははかれねーからな。反発の声はあるだろう。宗教的なケアも必要になる」
「……」
「で、その一とその二をクリアできたとして、問題その三が立ちふさがる。戦乙女の連中とは手合わせしたが、あいつらに『軍勢を轢きつぶす』存在の相手ができるとは思えない。あいつらはそこそこ強い。並のモンスターなら一蹴できるだろう。だが、くじらは並じゃない。その強さへの対策はあるのか?」
「……君の話はいちいち痛いところをついてくるのでありますな。……なるほど、見た目通りの年齢でないというのは、納得するのであります」
「んなこたどうでもいいんだよ。で、対策は?」
「問題その一、その二については、今、練っているのであります。近々成果も出るかと。その三は……鍛えてはいるのでありますが……」
「まっとうに鍛えてたんじゃあ、縮まらないステータス差が、たぶんあるだろう。まあ、筋肉の太さとSTRが関係しない世界観ではあるが……くじらにかんして、『実は風船みたいなものでした』っていうのは期待できない。見た目通りぐらいの質量があるっていうのは、軍勢を轢きつぶした逸話が証明してる。つまり、挑戦は命懸けで、だいぶ、分が悪い」
「……」
「断言しよう。くじら退治は、誰にも歓迎されないし、成功率が低すぎる。命を懸ける価値はない」
テューネはうつむく。
姉さんが怒ったように口を開きかけたが、シロがそれを押しとどめたのだろう。
俺は、テューネを責めるように続ける。
「戦乙女が妙に信頼され、あがめられてる理由がわかったよ。あんたらがイケニエだからか。あんたらへの信頼も信仰も、あんたらのおかげでくじらの恩恵を受けられるから――つまり、あんたらへの信頼じゃなくて、くじらへの、信頼なんだ」
「……それは」
「自分たちが負うべき傷と苦労を一身に引き受けてくれる、清き乙女――こんな理想的な偶像、俺が市民でもあがめるよ。その偶像がある日言うんだ。『お前たちにあらゆるものを与えているくじらを倒す!』……信頼はきっと、敵意に変わるぜ」
「……」
「おとなしく偶像でいろよ。そのほうが、たぶん楽だ。誰からも責められない。みんな笑顔であんたらを死の淵へと送ってくれる。涙を流して惜しみながら、遠くのほうで死後の安息を願ってくれるに違いないぜ」
「……その言いかたは、好きではないのであります」
「へえ。なぜ?」
「この街はそもそも、みな、奴隷でありました。ひどい扱いから逃れてきた者たちが、作り上げた街であります。自分の母は言っていました。『私たち七人がたまたまみんなを引っ張ったけれど、みんな、同じ苦労をした仲間なんだ』と。それをまるで……」
「それは前の世代の話だろう? あんたの母親はどこに消えた?」
「なぜ、消えたと……?」
「あんたの口ぶりからの推測。消えた場所、くじらの胃の中じゃねーのか? みんなに遠くから見送られて、生活のために見殺しにされたんだろ?」
「……それは……それは、そうでありますが……!」
「あんたがくじらを倒したいと思った、その動機は、『それ』か?」
「……動機?」
「そうだ。動機――衝動、願い! 言いかたはなんだっていい。あんたはいつ、どんな時に、なにを思って、『イケニエを捧げる』っていう現状に不満を持った?」
「それは……それは、み、未来を想って……くじらはだんだんとイケニエを求めるペースをあげているのであります。このままではきっと、戦乙女なんかすぐに食べつくされて、イケニエは戦乙女以外の中から出すしかなくなると……」
「じゃ、街を捨てろ」
「……」
「あんたが問題視してることは、それで解決する」
「し、しかし、生活があるのに、簡単に街を捨てることは……」
「くじら討伐後の生活保障ができそうなら、そこについやした労力を『街を捨てたあとに暮らすための準備』にあてたってよかったはずだ。なぜ『倒してこの場所にとどまる』ことにばかり力をそそぐ?」
「……」
「正直になろうぜ」
テューネのほうに身を乗り出してささやく。
ランプの中で炎がゆらめき、俺の影が屋内の壁に大きく映った。
「憎いだろ?」
「……にくい?」
「そうだ。仲間を、親を、殺した、くじらが憎いだろ? あいつから逃げるなんてとんでもない。あいつをぶっ殺さなきゃ、とてもその後の人生を心穏やかに生きられないぐらい、憎いだろ?」
「……」
「あんたの行動はな、『くじらを殺す』っていう一点を軸におこなわれてるものばっかりだ。意識的か無意識かは知らねーけど、一番不可能そうな『くじらを殺す』っていう行為を、なんとしても達成したあとの足場固めばっかりしてるんだぜ、あんた。動機は憎しみとか恨みだって思われてもしかたねーじゃん」
「……しかし……しかし……! わ、我々は街を守る戦乙女で、守護騎士で……! 元奴隷の先達たちが勝ち得た自由を守るために選ばれた、誇り高き七人なのであります! 我らの行動は常に街の人たちを思ってなされるべきであり、決して利己的な理由はなく……」
「それこそ馬鹿言うなよ! あんたらは奴隷から脱して奴隷をはべらせてるじゃねーか! 誇りじゃねーんだよ! あんたらは、ただ、自分たちばっかりひどいことされて我慢ならなかったから、同じことしてるだけなんだよ! それっぽい言い訳しながら気持ちよさにひたってるだけじゃねーか!」
「……そんなことはッ……!」
「けどな、それでいいと思うんだ」
「……は?」
「誇りとか立場とか、めんどくせー飾りがゴテゴテくっついちまってるが――『気持ちがいいから』っていう理由で動いて、なにが悪い?」
「……いえ、えっ? その……わ、我らは……」
「大義だとか正義だとか、そんなモンはこの場でかかげることじゃねーよ。もっとあんたの心に踏み込まない、行儀のいい『その他大勢』の前で高らかに叫べ」
「……」
「俺はぶっちゃけられてーんだよ。今、出会ったばっかりのあんたの心に、土足でずかずか踏み入りてーんだ。興味本位で!」
「きょ、興味本位って……」
「興味本位で、手伝うぜ」
「……」
「ただし、俺は正義にも大義にも興味がねーんだよ。正義なんか立ち位置で変わる。大義なんか、なに? 薄っぺらい嘘だろ、あれ。俺が興味あるのはな、『果て』だ。綺麗に整えた場所じゃない。誰も知らない未開の場所だ」
「……」
「お見せするほどでもないしょうもない動機を教えてくれよ。『空が青かったからくじらを殺したくなった』とかでもいいぜ。どれほど理解や共感ができなくても、それが本音なら無上の価値がある。――さあ、教えてくれ。あんたの殺害動機を」
沈黙。
くじらの脂を用いたロウソクがジジジ……と燃え、鼻にこびりつくようなニオイを発している。
テューネはゆらめく炎に照らされて、真っ白いほおをオレンジ色に染めながら、声を絞り出す。
「……自分は……」
「……」
「……憎しみ、では、なく」
「……へえ」
「恨み、でもなく」
「……」
「……誰かに、わかってほしいんです。……自分たちが、戦乙女が、その家族が――みんなにあれだけあがめられているくじらを、殺したいほどうとんじているって……! 誰しもに必要とされているアレを! 『なくなってしまえ』と思っている者もいるんだって、気づいてほしい……!」
「……」
「みんなが……みんなが、幸せそうにアレを見るのが、我慢ならないんです……!」
テューネは涙声で叫んだ。
それは、余人たる俺からすれば、憎しみや恨みのように聞こえる。
けれど、彼女が憎しみでも恨みでもないと述べるならば、そこには大きな隔絶があるのだろう。少なくとも――彼女の中では。
まあ――
「――理解はできない」
「……」
「手伝うよ」
「……いいので、ありますか? あなたは……あなたは強いけれど、この街には関係がない」
「よそよそしいこと言うなって。関係は『ある』『ない』じゃねーんだよ。かかわりたきゃ、俺が勝手に縁を結ぶ。そして今は、この首輪が、この街と俺を結ぶよすがだ」
「……」
「さあ、前人未踏の大冒険だ。――『くじら討伐』を始めよう。この冒険譚はきっと、あんたの誇れる物語になるぜ」




